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ピアノ練習法・上達法〜誰も教えてくれなかった上達の方法

〜さあピアノを始めよう〜ピアノという深遠な世界への誘い〜

僕がピアノを始めたそもそもの経緯

僕は周囲から「ピアノを始めたのはいつからですか?」とか「やっぱり家が裕福でピアノでも、と親から勧められたのですか?」などと よく聞かれるのですが、そのような人たちが予想している答えは決まっているようです。 東大卒だから子供の教育費は半端ないだろうし、きっと裕福でハイソな家庭なんだろう、だから1つのステータス、情操教育としてピアノでも、 という感じで親から勧められたのだろう、これだけ弾けるのだから3歳か4歳頃に、親の意向で習わせられたのだろう、と皆が皆、思っているようです。 だから「6歳から、小学生になるのと同時に始めました」、「僕が自分からピアノを習いたいと言って習い始めました。 家が貧しかったからピアノを買う余裕がなくて、説得するのに苦労しましたが、僕のあまりの執拗さに親が根負けして、 やっと習わせてもらうことができました」と言うと、やはり皆が皆、一様に驚きの表情をします。

だいたい4歳の時点で自分からピアノをやりたいと言い出す子供なんて、本当にいるのかと思うくらい天然記念物的な存在のようですが、 そのような珍しい僕自身のエピソードから、まず入りたいと思います。

これは子供の自発的な意思でピアノを習うように仕向けたいと願う両親にとって、きっと参考になる話でもあると思います。

ピアノを習いたいと自ら強く主張する変わった子供

「管理人のピアノ歴」にも書いたことですが、 僕が幼稚園生の時、先生が弾く歌の伴奏や「エリーゼのために」に感動し、自分もこのように弾けるようになりたい、 と強く憧れました。「憧れた」という表現はあるいは不適切かもしれません。僕はその当時、自分の家にピアノさえあれば、 あのくらい弾けると思っていて、習う必要はなくピアノという楽器がとにかく欲しくてたまらないという状況だったからです。 それで「ピアノが欲しい」と親にねだったのですが、当然のことながら子供の一時的な気まぐれではないかということで、 取り合ってもらえませんでした。

僕自身は本気だったのですが、その「本気さ」を伝え両親を説得するだけの言葉の表現力が当時の僕にはありませんでした (4〜5歳だったのだから仕方ないですよね)。そのようなわけで「ピアノが欲しい」という僕の心からの叫びは 両親の心に届かず、「喉から手が出るほど欲しい」ピアノは、 僕にとって永遠に高嶺の花となってしまうようにも思われました。

当時の僕はピアノが欲しいとそればかり言っていたようでした。「ピアノが習いたいのなら、小学生になるまで待ちなさい」と言われ、 僕はそれを待つことにしました。幼稚園を卒園し、その時が近づいてきましたが、母親は何と「ピアノではなくて、 エレクトーンはどう?」と聞いてきました。音楽について何も知らない人は、ピアノもオルガンもエレクトーンも似たようなものだと 思うのかもしれませんが、当時の僕はピアノ以外絶対に考えられませんでした。 ピアノ以外の楽器には全く惹かれなかったわけです。その最大の理由は、やはり「ピアノの音」でした。 僕にとってピアノの音に対して感じるものは、他の楽器の音のそれと全く異なっていて、ピアノの音は僕にとって特別なものでした。

そこで僕は「ピアノがいい」、「ピアノがいい」と叫びました。「ピアノじゃなくちゃダメ」というような言い方もできないほど、 当時の僕は口下手でボキャ貧(死語)でした。

初めてのレッスンの日、母親と2人で一駅離れた場所にある某大手音楽教室に行きました。 その時、先生が「家にピアノがないとレッスンそのものが成り立たない」と言っていたそうです。 子供がそこまでやりたいというのだから、と母親はピアノを買う方向で気持ちが動き始めていたようですが、 父親は相変わらず頑固で、「金がないし、絶対に続かないから、ピアノは買うのは、なけなしの金をドブに捨てるようなものだ」と言って取り合ってくれなかったようです。 そこで母が父の承諾を得ずに無断でピアノを買ってしまいました、しかもY社のアップライトとしては当時最高級のものを。 父がどのように反応したのかは知りませんが、「まあ仕方ないなあ、どうせ続かないだろうから、続かなかったら「ほれ見ろ」とでも言ってやろう」 くらいの諦めの気持ちだったと思います。

その「ほれ見ろ」という言葉を言う機会が永遠にやってこないままに現在に至っているのは言うまでもありません。 いやそれどころか、僕は歳を追うごとにピアノの世界の深みにはまっていき、ピアノと心中さえしてしまいそうな状態に陥ってしまったことは、 当サイトの様々なコンテンツをお読みになれば分かると思います。 僕を「ピアノマニア」と言わずして誰を「ピアノマニア」というのだろう、というほどの凄まじい傾倒ぶりであることは皆さんもお分かりになると思います。 そんな僕がピアノという世界に足を踏み入れる、そもそもの経緯がこのようなものだということに、驚きを覚える方も多いのではないかと思います。 いや、4歳か5歳でピアノを習いたいと言い始めるような子供で、その子供の執拗さと執念に親が根負けしてしまったというような始まりそのものが 普通ではないですし、今にして思えば、この時点で僕のピアノマニアとしての片鱗はこのような形で現れていたという見方もできます。

僕はよく「ピアノと出会っていなければ」という「タラレバ」を考えることがありますが、ピアノという楽器と僕という人間がこの世にある以上、 その接点は必ずどこかで訪れたとしか考えられないです。その「出会い」が遅いか早いかだけであって、いずれ僕はピアノと出会うことになった、 そのように思われてならないです。ただ、もう少し早ければよかったのに、と思うこともありますし、ピアノと心中してしまったばかりに、 世の中の一般人が享受している幸せを何も経験できないまま歳を重ねてしまったせいか、「ピアノと出会わなければ僕の人生、もっと幸せだったのではないか」 というタラレバを考えることもありますが、残念なことに全ては「タラレバ」でしかなく、 人生は2通りの生き方ができないのが何とも悲しいですね。

何故、ピアノの音に惹かれたのか?

僕は既に幼稚園に入る頃に「ピアノの音」に他の楽器の音とは異なるものを感じ取る素地があったことになりますが、 その素地はどのように形成されたのか、ここが分かれば、子供にピアノを習わせたい親が子供をそのような環境で育てることで、 同様のことが期待できると思います。 僕は音に敏感な子供だったようですが、その素地はクラシック音楽が流れる環境で育ったように思われます。 他のページでも少し触れていますが、実は僕の父親がクラシック音楽愛好家で、音楽理論や知識はあまりないのですが、 演奏家(特に指揮者)には詳しく、LPレコードのコレクターでした。それは交響曲や管弦楽曲ばかりでピアノ曲は少なかったのですが、 当時、よく聴いていたモーツァルトの交響曲第40番ト短調K.550の第1楽章を僕は覚えてしまったようでした。 それで「チャララン、チャラランってやって」というと、そのレコードをかけてくれるのですが、それが何よりも嬉しいという変わった子供でした。 しかも耳慣れたブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団の時だけ喜び、同じ曲でもカール・ベーム指揮ベルリンフィルの演奏や、 フルトヴェングラー指揮ベルリンフィルの演奏のレコードをかけると「違う、違う、これじゃない」と首を横に振ったそうです。 「すごい、分かるんだ」と父親も驚いていたようでした。弱冠3歳で聴き分けができたということで「この子は天才か」とも言っていたようですが、 本当に天才なのかどうかは一切不明です。

とにかくそのようなわけで僕は自然にクラシック音楽に親しめる環境にはいたということです。 父親はピアノ独奏曲のレコードはあまり持っていないようで、ピアノが入るとしてもコンチェルトのレコードが多かったのですが、 いずれも僕の記憶には残っていないので、幼い頃の僕はピアニストの演奏を聴く機会はほとんどなかったと思います。

こう考えてくると、僕がピアノの音に特別なものを感じる素地は生まれつきのものだったようにも思えてきます。 ただそうであったとしても、幼い頃、クラシック音楽が流れる環境で子供を育てれば、ピアノやその他の楽器の音に強い興味と感動を 示す子供になる可能性が期待できると思います。

僕がピアノを始めるまでの経緯はかなり特殊だと思いますが、全く参考にならないわけではないと思います。

色々個人的なことばかり延々と話してしまいましたが、皆さんがピアノを習い始めるまでの経緯はどのようなものだったでしょうか。

思い立ったが吉日:ピアノを習わせるのは早ければ早いほどよい

もし皆さんのお子さんが幼い頃の僕のように「ピアノをやりたい」、「ピアノがほしい」と執拗にせがんでいるのであれば、 是非すぐにでも習わせてあげて下さい。「どうせ子供の一時的な気まぐれだろう」、「長続きしないだろう」、「ピアノを買う金がない」 というのも分かりますが、皆さんは自家用車を買うお金があるはずですから、アップライトピアノを買うお金くらい、 その気になれば何とかなるのではないかと思います。 ピアノの音感やリズム感が一番育つと言われるのはまさに幼少期ですので、少しでも早く始めた方が圧倒的に有利なのは明らかです。 仮にその子供に天才的な音楽的才能がある場合には、いかに早く教育を始めたかが極めて重要になってきます。 仮に才能がない場合にも同じ才能であれば、早く習い始めた子の方が上達しやすくなります。

僕は「小学校に上がるまで待ちなさい」ということで出遅れてしまいましたが、幼い頃の僕の言うままに「それならピアノ買ってあげるから 習い始めよう」と4歳から習い始めることができたなら、ピアノの成長がそのまま2年前倒しになり、僕のピアノ開花のタイミングは 小学校6年生に訪れていたことになります。その頃、ショパンの難曲を弾けていれば天才児の部類に入っていたことになりますし、 僕の目の前にピアニストへのレールが自然に敷かれた可能性も高いと思います。 実際の僕自身もそうなりかけた一時期はありますが、やはり2年の違いは大きすぎたと言わざるを得ませんし、 今にして思えば、2年間の「足踏み」は痛すぎました。 こう考えてくると、子供の方から「ピアノをやりたい」と叫んでいる特殊な状況の中では、 高々数十万円のアップライトピアノを買うのに逡巡している場合ではなかったとも思います (まあそれだけ家計に余裕がなかったということでもありますが・・・)。

僕に子供ができて、子供がそのようなことを言い始めたら、迷わずピアノを買い与えて(自分のピアノは自分専用です)始めさせると思いますし、 皆さんにもそれを強くお勧めします。

ピアノを始めてよかったと思う日々

僕はこのような経緯でピアノを習い始めたわけですが、ピアノを習い始めて後悔したことは数えるほどしかありません。 このように書くと「数えるほど」ということは「後悔したこともあったんだ」と驚く方も多いのではないかと思います。 これは後に詳しく説明する予定ですが、ピアノをやっていてよかったと思うことがほとんどです。

僕は大人しくて引っ込み思案で目立たない子供でしたが、ピアノという圧倒的な特技があるおかげで、 小学校高学年以降、学校の行事でも学年代表・学校代表のピアノ伴奏などで大活躍して常に一目置かれる存在でした。 その後もピアノという特技があったから、勉学もここまで極めることができたのだと思いますし、 (詳細は「ピアノを弾くと頭が良くなるか」の項を参照して下さい) ピアノという深遠な世界を知ることができて、普通の人が味わえない果てしない無限の楽しみを味わうことができる というのが何よりも大きいです。

皆さんもピアノを始め、続けていけば、きっと目の前に大きな楽しみが広がってくるのが分かると思います。

これからピアノを始めようとしている皆さんへ

ピアノという世界は本当に奥が深く、ひとたびその魅力を知れば、底なし沼に引き込まれてしまうほどです。 皆さんはその覚悟はありますか?もちろん、そこに入る前にやめてしまう人がほとんどですが、 続ければ続けるだけ、その世界は果てしなく広がっていきます。 その世界を知ることができる人はほんの一握りですが、そこまでたどり着けた人ならではの特権とでもいる無限の楽しみが待っています。

さあ、皆さんもピアノの世界に足を踏み入れてみましょう!

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