管理人のピアノ練習奮闘記〜第4話〜木枯らしのエチュード | |
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〜ショパン・木枯らしのエチュード〜ピアノ人生始まって以来の「超難曲」への挑戦〜
ショパン:エチュード イ短調Op.25-11「木枯らし」:体感難易度 9.5/10, 個人的思い入れ:9/10 管理人のピアノ練習奮闘記、第4話は、超難曲「木枯らしのエチュード」です。 これまでは「革命のエチュード」、「幻想即興曲」というショパンの超有名曲、ピアノを習う方なら誰もが憧れる名曲を取り上げましたが、 今回取り上げる「木枯らしのエチュード」は、皆さんにとってそれとは全く異なる位置づけではないかと思います。 革命のエチュード、幻想即興曲と比べると知名度が低い上に、普通のピアノ学習者にとっては全く手の届かない、山の頂のような難曲ですから・・・ しかし僕は木枯らしのエチュードに着手する時点で、この曲がとてつもない難易度であることを知らされていませんでした。 また、このコーナーに登場する他のショパンの名曲の数々は全て僕自身の意志によって着手したものですが、 この曲の場合はそうではなく、ピアノの発表会のためにということでピアノの先生に勧められたのがきっかけです。 僕の通っていたピアノ教室の発表会は毎年、年度末にあることが多く、秋が深まる頃になると発表会の曲を決めて、 その練習に取り組むのが通例になっていました。僕は中学校2年生の秋の時点で「木枯らしのエチュード」を知らなかったのですが、 最終的には「革命のエチュード」とともにこの曲が発表会の候補曲として選ばれました。そのやや特殊ないきさつについて詳しく説明します。 1986年、中学校2年生の秋頃のあるピアノレッスンで、ピアノの先生から「これを聴いてみたら」ということで、 ショパンのエチュードOp.10、Op.25全24曲、ショパンの24の前奏曲Op.28全曲とバラード第2番Op.38、ワルツ第2番Op.34-1の収録された カセットテープを渡されました。演奏者はヴラディーミル・アシュケナージでした。 僕は自宅でダビングして、まずエチュードを聴いていました。「別れの曲」、「革命のエチュード」以外は聴いたことがない曲ばかりでしたが、 曲想は豊かでそれぞれの曲に引き込まれていき、ピアノに向かっている以外の時間は結構よく聴いていました。 その中の1曲が、木枯らしのエチュードでした。これが僕にとっての木枯らしのエチュードとの出会いです。 中学校2年生の初夏頃から「革命のエチュード」に着手し程なくして一通り弾けるようになり、 ピアノの発表会の曲を決める段階になって、この曲を弾きたいという希望を伝えて即OKが出たのは、「革命のエチュード」の項でも述べた通りです。 しかし問題はその後でした。 「ピアノの発表会まではまだ時間があるし、この曲は短いからもう1曲追加してみない?」と提案され、僕がその提案に賛成すると、 先生はその場で「木枯らしのエチュード」を強く薦めて下さいました。 僕はアシュケナージの演奏でこの曲を知ったばかりで、かなりの難曲に聴こえたのですが、 先生が選曲してくれたものだし、新たに覚えたショパンのエチュードの中では結構お気に入りの曲だから、この機会にやってみようかという気持ちになりました。 こうして、僕は先生から「木枯らしのエチュード」というピアノ人生始まって以来の超難曲(その時は知る由もありませんでしたが)を 課題として与えられました。 これが、「木枯らしのエチュード」との出会いと、そしてピアノの発表会で弾くことに決まったいきさつです。 まさかこの後、とんでもない試練が待ち受けていることなど、その時の僕には知る由もありませんでした。 僕はこの時点で「木枯らしのエチュード」の楽譜を持っていませんでした。 皆さんもよく知っている全音ピアノピース一覧にはこの曲も載っていて、ピース別に購入することもできましたが、 僕はいずれ他の曲にも取り組むことを考えて、ショパンのエチュード全曲が入っている楽譜を買いました。 これも今考えれば、パデレフスキ版にすればよかったのですが、近隣で購入できるのは全音楽譜だけでした。 この楽譜を持ってレジに行くと、店員さんから「こんなすごい曲を弾くんですか?」と聞いてきたので、「弾けないですけど、 これから弾こうと思っています」と答えると、「未来のブーニンだ!」と言われてしまいました。 当時、日本のクラシック界はブーニンの話題で持ちきりで、ブーニンという人は、田舎の書店の店員でも知っているくらい抜群の知名度があったことを このエピソードは物語っています。 こうして早速、「木枯らしのエチュード」の譜読みに取り掛かったのですが、これがとんでもない難儀でした。 最初の4小節は初級者レベルですが、5小節目以降が初めから非常に難しかったです。 この曲は右手で6連符の速いパッセージを装飾的に奏で、原則として左手が旋律を担うという特殊な役割分担があり、 非常にピアにスティックに書かれた名曲です。 まず譜読みですが、右手は6連符で上下2声になっています。外声部はF音から下降する半音階になっていて、これは誰でも分かりますが、 内声部がイ短調の主和音のいずれかの音を弾くという規則性が一応あることは、気づかなければそのまま通り過ぎてしまいます。 この動きは、慣れてしまえば難しくありませんが、当時の僕は譜読みの能力もまだ発展途上で、しかも楽曲のアナリーゼも 完全な自己流だったので、1音1音を「点」で捉える譜読みをして手や指がその動きを完全に覚えるまで ひたすら繰り返し弾き続けるという非常に効率が悪く、原始的な方法で練習していました。 急速部に入ってから最初の4小節はそのようにして譜読みをしますが、後半の4小節は右手の動きががらりと変わり、 ここは広義のアルペジオになっています。このアルペジオは4音単位の同じような動きをする音型から成り立っていて、 それを適切に分解すれば、それをオクターブ上下動にポジション移動するだけで弾けるようになっています。 最初に登場するこの部分では、それがごく自然な手のポジションで弾けるようになっており(これは第1指で黒鍵を弾く必要がないため)、 難易度的には易しめです。8小節目の最後のつなぎの部分の右手の動きがやや厄介なくらいでしょうか。 休符を挟んで、再びイ短調の主題が繰り返されますが、15小節目以降も外声部は連続した半音階下降ですが、 内声部がイ短調の主和音(A, C, E)からE, G, B♭に変えることで、結果的にヘ長調に転調しています。ここからが結構難しいです。 17小節目以降も実は前出のものと同様に、4音単位の音型を1つのかたまり(音群)として、その単位を弾いた後、 手のポジションをそのまま素早くオクターブの距離を上下動させて弾くということを繰り返すだけで一応弾けるようにはなっていますが、 第1指で黒鍵を弾くこともあることと、第2指をやや左方に開く必要が出てくるため、難易度が上がっています。 しかも悪いことに、ここでの全音楽譜の運指指定は黒鍵を1指で弾かないという原則に固執しすぎて、 不自然な運指となっています。これは明らかに間違っていると思いますし、この運指を付けた人は 本当にこの曲が弾ける人だったのか大いに疑問を持っていますが、それは経験のある今の僕だから言えることで、 ピアノの経験の浅い当時の僕はこの全音楽譜の運指に従って弾いていました。 3ページ目以降はホ短調に転調し、第1主題が繰り返され、演奏や運指の原則はイ短調の場合と全く同じですが、 冒頭のイ短調の場合、右手の開始音がイ短調第6音のF音であるのに対して、 3ページ目冒頭のホ短調の開始音は、ホ短調の第8音のE音であるという点が異なります(この曲を弾く人ならよく分かりますよね、 「そうそう」とうなずく皆さんの声が聞こえてきそうです)。この相違点は半音階下降音型から 例の広義のアルペジオ音群のつなぎの部分で調整されます。 このホ短調のアルペジオ音群の運指も黒鍵を第1指で弾くことを許容してワンパターンな動きを繰り返すことで解決できるのですが、 全音楽譜では、やはり黒鍵を第1指で弾かないと原則を頑なに守ることで逆に弾きにくい運指となっている点に注意が必要です。 全音楽譜では、木枯らしのエチュードに限らずショパンのエチュードは至るところで不適切な運指が散見されるので、 全音楽譜は個人的には皆さんにはおすすめしたくないです。やはりショパンのエチュードはパデレフスキ版、 コルトー版(各パッセージ毎の練習法まで詳しく載っている)、ウィーン原典版がおすすめです。 休符を挟んで、同様に再びホ短調の主題が繰り返されますが、ここは右手の開始音がホ短調第6音のC音となり、 相対的には冒頭のイ短調の場合と同様の音程関係に戻されています。この辺りのホ短調の部分の右手の音型の扱いについて、 ショパンは何を意図してこのような変則的な書き方をしたのでしょうか?ただ単にホ短調の前の2ページ目後半からの つなぎの関係でこうなってしまっただけでしょうか? ホ短調の主題部が過ぎるとやや経過句のようなはっきりしない楽想に変わりハ長調となって落ち着きます。 曲の構成を考えた場合、ここまでが主部だと思います。 中間部は旋律部が右手に移り、右手で和音を取り左手で急速な6連符を弾きます。 その後、再び急速なパッセージは右手に移り、曲想はめまぐるしく変わりますが、 右手の基本的な音型は明らかに主部と類似したものです。しかしその規則性は微妙に崩れるので、 この部分を覚えるのが一番難しかったと記憶しています。 中間部最後の方には、右手と左手とで同じような速い6連符を弾きながら徐々に接近してくる音型があり、難儀したのを覚えています。 ここでも全音楽譜には不適切な運指があり、それが諸悪の根源であったことが後に判明しました(その数年後、ウィーン原典版とパデレフスキ版を購入して判明しました)。 主部はイ短調で戻り、主部が初めて登場したものと全く同じパターンが再現されますが、 その後、コーダに向かっていきますが、このコーダの入り口が結構な難所でしたが、 その後は弾きなれた音型の「使いまわし」でほぼ弾けるようになっています。 最後のイ短調の上昇音階はこの曲の難易度からすれば取るに足らないほど易しいですが、この難曲を華麗に締めくくっています。 僕は中学校2年生の初冬に、全音楽譜のショパン・エチュード全集を購入し、ピアノの先生に言われた通りこの木枯らしのエチュードに取り組んでいましたが、 とにかく音が多くて譜読みが大変である上に、譜読みして覚えた後も、正規のテンポで弾くと崩れることが多く、本当に大変な思いをしました。 それまではツェルニーの練習曲にしても、ショパンの「革命のエチュード」や「幻想即興曲」にしても、 一度譜読みして覚えてしまえば、大抵の曲はそれで一応正規のテンポで弾けてしまいましたが、 この「木枯らしのエチュード」はなかなかテンポが上がらないという初めての経験をしました。 ピアノが弾けない人や経験の少ない人は「革命のエチュード」も「木枯らしのエチュード」もともに難易度Fで大差はないのではないかと 考える人もいると思いますが、この2曲の難易度はこれほど大きな差があるわけです。 学校から帰るとすぐにピアノに向かい、この難しいパッセージをひたすら繰り返し弾き続ける、 そんなことをしているうちに、とっくに日が暮れて部屋の中が真っ暗になりつつあるというのに、 しばらくそれに気づかなかったということもありました。 誰もいない部屋の中で目を血走らせながらの猛練習で、「くっそ〜〜!」、「ちくしょう!」という罵声を自分自身にかけていました。 癇癪を起してピアノの鍵盤を拳で殴ったこともありました。自分に対する怒りでした。 この苦しい状況の中、哀れな僕を助けてくれる人は誰もいませんでした。まさに自分との闘いです。 僕はいまだかつて、ピアノの先生が課題に出してくれた曲で挫折した曲は1曲もありませんでした。 これがその初めての曲になってしまうのかと思うと、それが悔しくて、本当に血のにじむような練習をしました。 当時の僕には絶対に完璧に弾きこなすことのできない曲であったことは、今考えれば明らかで、 冷静に考えれば、ここでそのことをピアノの先生に正直に話して断念するのが賢明だったと思います。 しかし僕はそれができず、心が荒びながらも、来る日も来る日もただひたすら、木枯らしのエチュードを弾き続けました。 そうしているうちに、何とか弾けるようになってしまいました。人間の適応力、日々の努力、そして「弾いていればいつか必ず絶対に弾けるようになる」 という自己暗示の力は恐ろしいものでした。 当初はいつものピアノ教室の発表会で「革命のエチュード」とともにこの「木枯らしのエチュード」を弾く予定でしたが、 この発表会は例年よりも1か月ほど早い時期にあり、この時期までに仕上がっていなかったこともあって、 この発表会では「革命のエチュード」だけを弾いたのは、「革命のエチュード」の奮闘記でも述べた通りです。 その後、同系列のやや遠方のピアノ教室の発表会でゲストで演奏することが決まり、そこで「革命のエチュード」とともに 「木枯らしのエチュード」も弾くことが決まりました。 既にこの時期になると暗譜は完全になっていて弾き込み量も十分だったのですが、自分で納得できない部分が多く、 その部分はどうしてもそれ以上の改善が見込めず、飽和状態となっていました。 僕は既に木枯らしのエチュードは弾き飽きていて、発表会が目前に控えているというのに、あろうことか、 長年、目標にしてきた憧れの名曲・英雄ポロネーズにも着手してしまいました。 当時の僕にはこちらの方が断然易しく、発表会前にはほぼ弾き通せるほどになっていました。 木枯らしのエチュードの代わりに英雄ポロネーズを弾いたほうがいいくらいでした。 こうして発表会当日を迎えることになりました。 本番では全くと言っていいほど緊張していなかったのですが、 「管理人のピアノ歴」にも書いた通り、結果的には僕自身にとっては非常に不満な出来となってしまいました。 これには諸事情があったのですが、ここは不成功に終わった言い訳をする場ではないですし、 皆さんもそのような話は聞きたくないと思いますので、事実だけを淡々と述べたいと思います。 ものすごい練習量と弾き込み量の裏付けがあったので、演奏中に頭の中が真っ白になるとか止まるというような ハプニングはありませんでしたが、上手く弾けるかどうかは本番次第と思っていた部分はことごとくダメでした。 その後の初めてのピアノレッスンでも先生に「どうしちゃったの?あがっちゃったみたいね」と心配されましたが、 僕は上手くいかなかった原因を冷静に分析して先生に伝えました。 それまでの僕はピアノに関しては大抵の状況には適応できていましたが、今回それができなかったのは、 やはりこの「木枯らしのエチュード」が当時の僕にとってレベルが高すぎたのが何より大きな要因でした。 ピアノというのは長年の練習の蓄積によって確実に上達していくわけで、 手を着ける曲はその時の自分のレベルに見合った曲でなければならない、背伸びのし過ぎはいけないということを再確認できました。 もし自分自身がこの曲を選んだとしたら、すぐに却下・封印しただろうと思います。 でも、これを選んだのはピアノの先生ですし、それができない状況だったのが運の尽きでした。 しかし見方を変えれば、この14歳の一時期、この難曲と格闘したことで密度の濃い指の訓練ができ、 テクニックが急激に上達したことが実感できる出来事もあったため(後述)、 この経験は決して無駄ではなかったと思います。 そして何より、中学校2年生で「木枯らしのエチュード」を弾いたという事実は紛れもないもので、 このような事実を残すきっかけを(結果的には)作ってくれたピアノの先生にも感謝したいと思います。 僕の長年の夢は英雄ポロネーズを弾くことでしたが、この発表会が開催された頃には既に弾き通せるようになっていて、 記録によるとその翌々日に初録音をしたことになっています。 僕はその翌年のピアノの発表会ではこの英雄ポロネーズを弾かせてもらおうと思っていました。 既にこの時点で最後まで弾けるようになってはいましたが、英雄ポロネーズは小学校4年生の時に衝撃的な出会いを果たした後、 絶えず夢見てきた憧れの曲でもあったため、発表会で最も弾きたい曲ナンバーワンでした。 最終的には高校受験のため、中学校3年生の秋をもって親から強制的にピアノをやめさせられたため、 その夢は叶わず、最終的にはこの木枯らしのエチュードを弾いたピアノの発表会が僕のピアノ学習時代、最後の発表会になってしまったのが 何とも残念でした。 管理人のピアノ歴でも述べたように、木枯らしのエチュードは英雄ポロネーズとは比べ物にならないほど難易度が高い超難曲であることは この2曲を弾いたことがある人なら誰もが分かることだと思いますが、 もしこの発表会で革命のエチュードとカップリングする曲が木枯らしのエチュードではなく英雄ポロネーズであったなら、 まず間違いなく成功していたでしょうし、僕の長年の夢を実現するという意味で、僕のピアノ学習時代の集大成に相応しい、有終の美を飾る発表会に なっていただろうにと惜しまれます。 やはり僕はその点で意思表示力が弱かったと思います。木枯らしのエチュードが暗礁に乗り上げかかっていたときに 先生に一言、「木枯らしのエチュードではなく英雄ポロネーズが弾きたいです」と言っていれば、 こんなことにはならなかったのにと惜しまれます。もう終わってしまったことなので、何を言っても仕方のないことですが・・・ 僕はこの後、木枯らしのエチュードは一旦封印し、高校1年生の終わり頃、再着手したのですが、 この頃はショパンのバラードやスケルツォなど難曲ばかり弾いていたため、中学校2年生の頃よりもテクニックが上達していたようで、 中学校2年生の頃、あまりうまく弾けなかった苦手箇所がまるで嘘のように弾けるようになっていました。 まだまだ完成度は甘かったですが、確実に上達し完成に近づけることができました。 その後、大学に入ってからも再着手し、この時は既にあまり難しく感じなくなっていて驚きました。 大学に入って2年目の夏に、この奮闘記の冒頭でも書いたようにエチュードOp.10-1とOp.25-6の2本立てで猛練習していた時期に、 実はこの「木枯らしのエチュード」もその合間に練習していたのですが、この時は中学校2年生の時の苦労が嘘のように 当たり前に弾けるようになっていました。 結果論ですが、「木枯らしのエチュード」は中学校2年生のあの頃に取り組むのは時期尚早で、 大学に入った頃に取り組むべき曲でした。ある程度の背伸びは許されますが、背伸びのしすぎは禁物です。 皆さんはこんな無謀な選曲はしないと思いますが、背伸びのしすぎにはくれぐれも気を付けて下さい。 上達を続けていれば弾けるようになる時が必ず来ると考えて、その時を気長に待つことも必要です。 またピアノの先生が無謀な曲を薦めてくれたときは、それを断る最低限の意志表示力も必要です。 そのことを痛感したエピソードでした。 今の時代はインターネットという便利なツールがありますので、ピアノを練習していて、どうもこの曲は今の自分には難しすぎると思えば、 インターネットで曲名と難易度で検索すれば、その曲が一般的にどの程度の難易度とされているのかを簡単に調べることができます。 そうすれば、「全音ピアノピースの難易度一覧表で、革命のエチュードも木枯らしのエチュードもともに難易度Fとなっているから、 同じくらいの難易度なのだろう、革命のエチュードが弾ければ木枯らしのエチュードも弾けるのではないか」 というような認識が実はとんでもなく的外れであることを嫌というほど思い知らされるページに複数当たるはずです(このページも含めて)。 僕がピアノを習っていた時代、インターネットがあれば、そしてその時に当サイトのようなホームページがあれば、 こんな無謀な挑戦をせずに済んだかもしれないのに、と思うと、複雑な気持ちになりますが、 それだけ今の時代にピアノを習っている皆さんは恵まれているということでもあります。 木枯らしのエチュードに関する僕のこのエピソードを思い返すたびに、微弱ながら当サイトが悩めるピアノ学習者の一助となれば、 という思いを新たにし、更新のモチベーションが湧いてきます。それを原動力にこのコーナーをさらに充実させていきたいと思います。 アクセス数を見る限りこの「管理人のピアノ練習奮闘記」の需要は少なそうですが、少ないながらも需要は確実にあると僕は見ています。 皆さんからのご意見、ご感想、ご希望などをお聞かせいただけると大変嬉しいです。
初稿:2016年1月25日
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