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管理人のピアノ練習奮闘記〜第5話〜英雄ポロネーズ

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〜ショパン・英雄ポロネーズ〜憧れの名曲・5年越しの悲願達成とその後と〜
 
ショパン:ポロネーズ第6番変イ長調Op.53「英雄ポロネーズ」:体感難易度 8.5/10, 個人的思い入れ:10/10

管理人のピアノ練習奮闘記、第5話は、皆さんもご存知、大人気の「英雄ポロネーズ」です。 「管理人のピアノ歴」でも述べたように、英雄ポロネーズほど僕のピアノ人生に大きな影響を与えたピアノ曲はありませんでした。 英雄ポロネーズがなければ、ピアノ弾き・ショパンマニアとしての今の僕は存在しないと断言できるほどです。したがって、 このピアノ練習奮闘記のコーナーは、この「英雄ポロネーズ」の話をするために作ったと言っても過言ではないほどです。

英雄ポロネーズが僕自身にこれほど大きな影響を及ぼした最大の理由は、その衝撃的な出会いにより、 英雄ポロネーズが僕にとってダントツの憧れの曲になり、ピアノに向かうモチベーションが急激に向上したことです。 その経緯について詳しく話したいと思います。

僕がピアノが弾けるようになることを初めて夢見たのは幼稚園生年少(4〜5歳)頃でした。 幼稚園の教室にはアップライトピアノが置かれていて、先生が歌の伴奏をしていました。 僕は歌が好きな子どもで、歌のピアノ伴奏に感動したのが始まりですが、先生は休み時間に、美しいピアノ小品を弾いてくれて、 その素敵な演奏が心に染み入り、いつかこの曲が弾けるようになれたら、と憧れたものでした。 この曲は「エリーゼのために」というベートーヴェンの曲だということを教えていただきました。 もちろん当時の僕にはそのようなことは分からなかったのですが、旋律はよく覚えていて、 ピアノの発表会など色々なところで耳にする機会があったため、この曲の旋律と曲名を忘れることはありませんでした。 僕は自分がいつでも自由に弾けるピアノが家にあれば、覚えた音の記憶を頼りにこの曲を再現できるような気がして、 まずピアノという楽器がどうしても欲しくなり、親にねだりました。 しかしまさか高額なピアノをいきなり買ってくれるほど、金持ちの家ではありませんでしたし、 古い社宅にピアノを置くには床の補強工事も必要で、相当の覚悟が必要でした。 この時点では5歳の子供の一時的な気まぐれだと両親は思っていたのだと思いますが、 僕は事あるごとに「ピアノがほしい」と言い続けました。 結局、幼稚園を卒園した頃になっても、その僕の気持ちは全く変わらず、 「そこまで言うのなら」ということで、小学校に入学するのと同時にピアノを習わせてもらうことができました。 この時は「やっと僕の思いが天に通じた。長年の念願がかなった。」という気持ちで、飛び上がるほど嬉しかったのを昨日のことのように覚えています。 このような経緯からもお分かりかと思いますが、この時点で僕のピアノ人生の最終目標は「エリーゼのために」でした。 とにかく当時の僕はクラシック音楽の知識が全くなく、ピアノ曲についてあまりにも無知すぎました(小学校1年生だから当然かもしれませんが)。

僕の音楽環境、曲との出会いのきっかけに関しては、父親の影響が大きかったと思います。 父親がクラシックレコードの収集家だったこともあって、家にはLPレコードもたくさんあったのですが、その多くは交響曲や管弦楽曲などでした。 その中にはピアノ曲のレコードもそれなりにあったのですが、父がそのレコードをかける以外には自分から積極的に盤に針を落とすことはありませんでした。 だからピアノ曲はほとんど知らず、毎年、年度末に行われるピアノ教室の発表会で聴くぐらいしか、ピアノ曲を発掘するチャンスはありませんでした。 このような状況の中で、僕は「エリーゼのために」という最終目標に到達するためにピアノに向かい、ピアノのレッスンに通う日々が淡々と続いていました。 小学校4年生のある時点までは・・・そう、ある時点までは・・・

そしてついに運命の瞬間がやってきます。そのきっかけを作ってくれたのも父親でした。父がドイツ・グラモフォンの 「ショパン・ピアノ小品集」というレコードを持ってきて、「これでも聴いてみたら」と言って2階の窓側に設置してあるLPプレーヤーでこのレコードをかけて、 そのまま部屋を出て行ってしまいました。ショパンの華麗なる大円舞曲、ワルツ第7番Op.64-2、マズルカ第5番Op.7-1、マズルカ第47番イ短調Op.68-2、 プレリュード第3番ト長調、プレリュード第5番ニ長調と続きます。ワルツなどはピアノの発表会でも聴いたことがあったからか印象には残りましたが、 僕の心を大きく動かすには至りませんでした。そしてプレリュード・ニ長調が終わると、最後は英雄ポロネーズでした。 力強く充実した美しい和音、ハーモニー、美しく感動的な第1主題・・・それが華やかに展開され、そして中間部は怒涛のオクターブの連続・・・ 詩的でありながらも迫力がある美しい音楽・・・小学校4年生の僕はそのあまりにすごいピアノ音楽に圧倒され、頭を金槌で殴られたような大きな衝撃を受け、 言葉を失いただただ聞き惚れました。 曲が終わると僕はレコードの針を上げて、またこの曲の冒頭の溝に針を落としました。また先ほどの感動が再現される喜びに我を忘れました。 こうして僕はLPプレーヤーの前にかじりついて、英雄ポロネーズを繰り返し繰り返しひたすら聞き続けました。レコードが擦り切れるのではないかと思うほどに。 「こんなすごい曲がこの世にあったんだ・・・いつかこの曲が弾けるようになりたい、いや弾けるようになるまで僕は絶対にピアノをやめない」 と心に誓いました。この日のこの瞬間、僕のピアノ人生の最終目標は「エリーゼのために」から一瞬にして「英雄ポロネーズ」に置き換わりました。 僕は早速、全音ピアノピースの裏表紙にある難易度表を見てみたのですが、英雄ポロネーズはやはり難易度F(上級上)と最高の難易度となっていました。 しかし、それでもこの曲は一体どのような楽譜なのか、自分でも少しはさわりだけでも弾けないだろうかと気になって仕方がなく、 家にあった「名曲解説全集」の中の英雄ポロネーズのページを探して読み、譜例にもかじりつきました。 しかしそれだけではどうしても飽き足らず、ついに親に頼んで英雄ポロネーズの全音ピアノピースを買ってきてもらいました。 譜面台に楽譜を立てて、早速音取りを始めたのですが、♭4つの黒鍵ばかりの変イ長調の譜読みは当時の僕には全く歯が立たず、 しかも当時の僕はオクターブが鍵盤の手前からひっかける形でしか届かず、しかも指が短くてどのような和音も抑えることができず、 その2つ、つまり譜読み能力と手の大きさ・指の長さが足りないことが最大のネックとなって、全く手も足も出ずに挫折してしまいました。 僕は指の運動神経は非常に発達していたようですが、肝心の楽典の知識とそれに付随する譜読みの能力が致命的に欠如していて、 その当時はツェルニー100番練習曲とブルグミュラー25の練習曲の途中で足踏みしていて、なかなか先に進めないという情けない状況でした。 ちょうどこの頃、この曲に登場する両手の速いユニゾンの音階を弾く夢を見たことがあり、 目が覚めたとき「あれは夢だったんだ」と非常にがっかりしたことが強く記憶に残っています。 この曲は当時の僕にとって「目標」などという現実的なものではなく、文字通り「夢」そのものでした。

ちなみに僕にこれほど大きな衝撃を与えた英雄ポロネーズを演奏していたピアニストはタマーシュ・ヴァーシャリと言います。 マイナーなピアニストで「知る人ぞ知る」存在という形容が相応しいと思います。目立つ演奏をする人ではありませんが、 なかなかセンスの良い優雅な演奏が特徴です。英雄ポロネーズというと、現在は力で押しまくる演奏が主流ですが、 その中にあって、ヴァーシャリの演奏は優雅で美しく格調高く、まさにポーランドの誇り高い民族精神を高らかに歌い上げるという趣の素晴らしい演奏です。 トリルも上の音から先に弾くことが多く、これも柔らかく優しい響きを作り出すのに大きな影響を与えています。 小学校4年生の僕は、すっかり英雄ポロネーズのとりこになり、来る日も来る日も聴き続けましたが、 他のピアニストはこの曲をどのように弾くのかも非常に気になり始め、家にあったLPレコードを物色し始めました。 そして他に2種類の演奏を探し出すことができました。1つは、前出の「幻想即興曲」が収録された、ワルター・ハウツィッヒという ピアニストの名曲集に収録された英雄ポロネーズ、もう1つはアルトゥール・ルービンシュタインのショパン・ポロネーズ集(1番〜6番)のレコードでした。 ハウツィッヒの幻想即興曲はなかなか良い演奏でしたが、英雄ポロネーズは遅いテンポで弱々しく薄い響きの演奏で僕にとっては今一つでした。 一方、ルービンシュタインの演奏はずっしりとした質感を持った非常に迫力ある演奏で、ハウツィッヒの演奏よりは好きでしたが、 主題部でところどころいきなりテンポが速くなるところ(オクターブの間に和音を挟んで駆け下りてくる部分やトリルの部分だけ急に速くなる)があり、 それが当時の僕には不自然に聴こえてしまいました。結局、3種類の演奏を聴いた上で、 僕の中ではヴァーシャリの演奏がダントツでトップでした。 僕の中でのこの序列は、ヴァーシャリの演奏でこの曲を知ったという偶然も大きく影響していると思いますし、 これは初めに見たものを「親」と思い込むひな鳥と似たようなもので、刷り込みの影響の大きさを物語っています。 しかし、ヴァーシャリの英雄ポロネーズは今聴いてもやはり素晴らしいと思いますし、仮に僕がルービンシュタインやハウツィッヒの演奏で この曲と出会っていたとしたら、この曲にそこまで大きな衝撃を受けることもなかったでしょうし、この曲のとりこになることもなかったような気がします。 その意味で、この曲とこのような形で衝撃的な出会いを果たしたのも、何か不思議な運命を感じます。

僕は「幻想即興曲」と同様、この英雄ポロネーズも小学生時代、気が向くたびに譜面台に楽譜を立てて音取りをしていましたが、 やはり譜読みがネックになって一定時間内に全く進歩がないまま挫折しました。 僕の場合、ある特定のピアノ曲に取り組んでから遅々として進まない場合、自然とモチベーションがダウンしてそのまま頓挫してしまうことが多いです。 これは皆さんも同じだと思います。曲に取り組むときは、日に日に弾けるようになっていくという実感そのものがモチベーションを維持する何よりの原動力 になるのではないかと思います。その意味で、小学生の頃の僕にとって、英雄ポロネーズは難しすぎました。 いつか弾きたいという夢と憧れは大きかったのですが、それを実現するには長年のたゆまぬ努力が必要と感じていました。

こうして小学生時代、中学生時代を過ごしていきますが、その過程で色々なピアニストの弾く英雄ポロネーズに出会いました。 1983年、小学校5年生の時には、当時世界一のピアニストと言われた78歳のウラディミール・ホロヴィッツが来日して話題騒然となり、 プレミア級の破格の高額チケットが飛ぶように完売したというニュースも流れてきていて、その演奏の模様もNHKで放送されました。 その中に英雄ポロネーズが入っていたのですが、当時の僕にとって好きな演奏ではありませんでした。 中学校2年生の時には、スタニスラフ・ブーニンの1985年ショパンコンクール特集番組がNHKで放送され、録画して何度も繰り返し見ていました。 その中で第2次予選で弾いた英雄ポロネーズの一部も紹介されていて、実はこの演奏が非常に気に入り、僕の中ではヴァーシャリと双璧となりました。 この英雄ポロネーズが一部しかないのが何とも残念で最初から最後まで通して聴きたいという気持ちは強かったのですが、当時の僕にはCDを買うほどの財力がなく、 この一部の演奏から全体の演奏を想像することで自分自身を満足させる以外、方法がありませんでした。 その後、1986年7月にはブーニンの来日公演で演奏されたショパン・ワルツ集(第1番と第10番を除く12曲)とアンコールの英雄ポロネーズがNHKで放送され、 こちらも録画して何度も聴いていました。この英雄ポロネーズはショパンコンクールの時と比べると荒っぽくて完成度が甘かったのが惜しまれましたが、 テンポが速くて歯切れがよく、僕の中では結構好きな演奏でした。 その他、ショパン名曲集のCDで聴いたジュリアス・カッチェンの演奏、ホロヴィッツ・プレイズ・ショパンというCDに収められた壮年期の名演奏、 サンソン・フランソワのポロネーズ集の中の演奏など、多くの英雄ポロネーズに接する機会がありました。

既に中学校2年生になると、革命のエチュードや幻想即興曲も弾けるようになっており、長年の夢だった英雄ポロネーズが夢ではなく 現実味を帯びてきているのを実感していましたし、僕には革命のエチュードという大の得意の持ち曲があることで、 あえて英雄ポロネーズの着手を急ぐ意義はあまりないように感じていました。そのようなわけで、これらの曲に遅れをとってしまったわけですが、 いよいよ機は熟しつつありました。 前項の「木枯らしのエチュード」のページでも述べたように、ピアノの発表会で弾くために、木枯らしのエチュードを猛練習しつつも それ以上の完成度が見込めず飽和点に達してしまい弾き飽きてしまっていた1987年3月中旬に、僕はそろそろ英雄ポロネーズに本格的に取り組んでみようかという 気持ちになりました。譜面台に楽譜を立てて音を取り始めると、これが面白いように進みました。 小学生の頃、あんなに苦労したのが嘘のように変イ長調の譜読みははかどり、主題も弾けるようになってきました。 既に身体も成長しており、それにほぼ比例する形で手も大きくなり、 この曲に頻繁に登場する短10度のアルペジオは上から一度に抑えられるようになっていました。 最終的には3月末には1曲通して弾けるようになり録音もしました。今考えるとややぎこちない演奏だった記憶がありますが、 2週間の練習で一応弾き通せるようになっていたことを考えると、少なくとも譜読みの能力は急成長したことが実感できました。 しかも木枯らしのエチュードというとてつもない難曲を弾いてきた後だったため、英雄ポロネーズが相対的に非常に易しく感じました。 木枯らしのエチュードには非常に苦労させられましたが、このような思わぬ効果もありました。

次に僕が英雄ポロネーズを練習するときに感じていたことを詳細に説明したいと思います。 また各部分でピアニストがどのように弾いているか、実際に僕はどのように弾いているのかも付け加えることにしました。 このような長ったらしい説明は作品解説では到底できないですが、ここは英雄ポロネーズについて管理人が熱く語る場ですし、 英雄ポロネーズ何でもアラカルトということで、ご容赦いただきたいと思います。 長すぎてとても読む気がしないという方はこの部分は無視して下さい。

この曲は冒頭のちょうど1ページ分の序奏が結構難しく、とっつきにくい印象を持たれる方が多いと思いますが、 その後に登場する有名な第1主題は決して難しくはないので、まず初めにここを弾いてみると英雄ポロネーズを弾いている気分が 味わえて気持ちが良いと思います。是非、試してみることをおすすめします。 冒頭の難しさは、何と言っても右手の4度和音の半音階上昇進行にあります(これと似たような動きはピアノ協奏曲第1番・第1楽章の展開部の後半にも登場しますね)。 この4度和音の上昇進行は4回出てきますが、その難易度は全く違います。個人的には3か所目が最も難しいと思いますが、 その原因は4度の上の音の進行で、E音を5指で弾いた後、F音を4指で弾くというように4指が5指を超える動きが登場することと、 4度進行の上の音が1か所だけF音→G音と半音ではなく全音進行になっていることの2点に集約されます。しかし4指が5指を「超える」とは言っても、 実際には超える動きは必要なく素早いポジション移動で代用できてしまいますので、慣れてしまえば何とかなります。 それと最初に登場する1か所目も意外な曲者だと個人的には感じていますが、これは手全体が右に移動していく中で、 2番目から3番目の和音に移る際、2指だけは瞬間的に逆の左方向に突っ張らざるを得ないからだと思います(右手の2指が固くて短い僕だけの課題かもしれませんが)。 この2か所だけは独自の工夫が必要でしたが、あとは普通に弾き込めば完璧に弾けるようになるように書かれていると思います。

変イ長調の第1主題は装飾音付きの右手の3度和音で提示されて、左手は和音の跳躍となります。 4つのアルペジオを挟んで変ロ短調に転調して同様のモチーフが使用され、変イ長調に戻って、3度や4度の和音を挟みながらオクターブで駆け下りてくる部分があり、 その後、ヘ短調となり右手でトリルを弾く部分から変イ長調に戻り、次に同様にヘ短調で1オクターブ上でプラルトリラーを弾く部分から変イ長調に戻るという部分があり、 後者が前者の変奏となっています。その間、左手は目まぐるしく跳躍します。 この1オクターブ上のプラルトリラーも結構曲者です。譜面上は16分音符の第2音のみをプラルトリラーで弾くことになっていて、 正統的には最初の音を1指、次のプラルトリラーは4指と5指で弾くのだと思いますし、僕もそのように弾いているのですが、 ブーニンは最初の音を1指で取った後、素早く1オクターブ上に跳躍して普通の運指でトリルを弾いていました。 またルービンシュタインは第1音と第2音を同時に抑えて上の音をプラルトリラーで弾くという弾き方をしています。 運指としてはオクターブを1指と4指で押さえて4指5指でトリルを弾くという方法です。 このような弾き方をしているのは僕の知る限り、ルービンシュタインただ1人で、 やや端折りすぎのような気もしなくはないのですが、専門的に見てこの弾き方は許されるのでしょうか? 余談ですが、ルービンシュタインは楽譜通りに弾かないことが結構多いピアニストです(例:バラード3番、スケルツォ2番で端折っている部分あり)。 そしてそのプラルトリラーの部分が終わるといくつかの和音を弾いた後、変ロ短調の幅広いアルペジオ連続部があり、両手のユニゾンで華麗な上昇音階を弾くというのがパターンです。

このパターンは曲中4回登場します。冒頭の1回目だけは音が少なく高音の旋律部は他より1オクターブ低いのですが、 2回目以降は右手が基本的に3度ではなくオクターブの中に音を内包する構造で動くことになり、 さらに高音の旋律部には全音上の装飾音も付くので、これらをしっかり弾くにはそれなりの手の大きさが必要になります。 変イ長調の主題と変ロ短調の主題のつなぎのアルペジオは右手、左手ともに短10度の広がりが要求されますが(右手は9度、8度を挟みますが)、 両手とも分散和音にするとミスタッチしやすいので、僕は右手は一度に抑えて左手を分散にするという方法で弾いています。 これは譜面通りの弾き方ではないのですが、ブーニンやホロヴィッツがそのように弾いていて、僕にとっては最もしっくり来る弾き方だからです。 3度や4度の和音を挟みながらオクターブで駆け下りてくる部分は、2回目以降はオクターブ上で行われる上に、左手もバス音と和音が交互に繰り返され 跳躍の多い部分なので、結構せわしなく弾く人が多いです。ここは視点の置き方がポイントです。 右手は跳躍が少ないのでとにかく弾きなれてしまえば、ブラインドで弾くことができます。 その一方、左手は跳躍が多いので左手に重点的に視点を移すことでミスタッチを防ぐことができます。 視点の移動のしかた、使い方は実際にこうして文字で説明しただけでは分かりにくいでしょうし、 実際にデモンストレーションしながらレッスンする方が断然分かりやすいと思うのですが、その機会はないでしょうし・・・。 そして両手のユニゾンの華麗な上昇音階は1度目と違って2度目以降は1オクターブ上までの長い音階を弾かなければなりません。 ここの運指も人それぞれのようで面白いですが、僕はこの曲を弾けるようになった頃からずっと、 右手:2-3-1-2-3-1-2-3-4-1-2-3(以下同様)、左手:3-2-1-4-3-2-1-3-2-1(以下同様)で弾いています。 今もこの運指が最善ではないかと思っています。

主題パターン2回目と3回目の間には経過的な楽句が挿入されています。 前半は付点付きの跳ねるようなリズムの楽句で、その前半はハ長調、後半は変ホ長調で、いずれも結構弾きにくいです。 この付点付きのモチーフは右手、左手ともに2重和音で構成されていて決して複雑ではないのですが、 両手ともに和音の幅が微妙に変化し不協和音も入って規則性に乏しいのと、特に左手の5指-2指の和音から4指-1指の和音に移行する際、 2指と4指に不自然なほどの拡張を要する(ただ単に僕の指が短いだけの可能性もありますが)のと、この2つが主な理由だと思います。 後半はヘ短調で、左手で刻むリズムがはっきりとした典型的なポロネーズリズムとなっています。 ここは決して難しくはないのですが、唯一、右手でオクターブ下の前打音を弾いた直後にトリルを弾く箇所が若干弾きにくい部分ではないかと思います。 いわばここはこのトリルが上手く弾けるかどうかのみです。

その後、主題パターン3回目は2回目と全く同じものが登場し、それが同様に変イ長調で終結すると、いよいよ中間部(トリオ)です。

中間部はいきなりホ長調で始まります。変イ長調との関連性に乏しい調性ですが、変イ長調の主音のA♭をG♯と読み替えることにより、 それを第3音とする調性として開始するという技法で、これはショパンのピアノソナタ第3番の第2楽章やエチュードOp.25-7でも使われている技法で、 この曲に特殊なものではないようです。 この中間部の前半はあまりにも印象的な左手のオクターブ連続部で、同じものが2回繰り返されます。 技術的な課題も左手のオクターブの連続に尽きますが、右手にもいやらしい動きが出てくるので要注意です。 左手のオクターブは、E-D♯-C♯-Bをひたすら繰り返すもので、左手の全体としての動きは反時計回りとなります。 そして最後の方でD♯-C♯♯-B♯-A♯と半音下がって嬰ニ長調(平均律では変ホ長調と等価)に転調し、左手全体の動きは時計回りに変わります。 運指については、白鍵のオクターブは1-5指、黒鍵のオクターブは1-4指(3指が長ければ1-3指も用いると良いようです)が原則ですが、 手が小さい場合、この原則にこだわらず全て1-5指で弾いてしまってもよいと思います。 この部分の左手のオクターブを速く正確に弾くのは結構大変で、左手の前腕の筋持久力が意外に求められます。 コツとしてはできるだけ肘は上下方向に動かさず前腕を脱力した状態で前腕のとくに遠位部(手首側)から手・指先までを軽く上下に振動させるようにして 鍵盤を捉えるようにすると、求める速さが得られます。これをゆっくり正確に繰り返すことによって確実性を保ち、 少しずつテンポを上げるようにしていくとよいと思います。 これで求める速さは得られると思うのですが、問題はその速さが最後まで持つかどうかです。 出だしが速すぎると途中でバテてしまうのはマラソンと同じで、この曲の場合、左前腕の筋持久力にかかっています。 こればかりはここを集中的に弾き込んで左前腕に負荷をかけ続けるしかないと思いますし、僕の経験では、そうすることで徐々にバテずに 最後まで持つようになっていきます。 このオクターブ連続部のテンポについては、最初のホ長調の分散和音から最後の嬰ニ長調の和音までの演奏時間は、 現在では1分10秒前後で弾くピアニストが多く、僕もおよそ1分11秒〜12秒で弾きますが、 実はショパンはここまで速いテンポで弾くことを意図していなかったとも言われています。 おそらくショパンが今の時代に生きていたら、今の僕たちの弾き方はショパンの意にそぐわない可能性が高いと思います。 しかしそれが現在の主流ですし、遅いテンポで弾いていると「この人は速く弾けないのだ」と誤解される可能性があるため、 やはり速いテンポで弾かざるを得ないというのが現状ではあります。

オクターブ連続部が終わると和音を小刻みに刻む経過句となりますが、ここは若干連打もあり弾きにくい部分があります。 その後はト長調に転調しト短調、変ロ短調、ヘ短調など色々な調性を使って、右手のゆっくりした16分音符の不安定な旋律が不安げに流れていきます。 その間、左手は3度(4度)-8度(または9度)という主に2重和音の8分音符を刻み続けます。 この部分の最後の方に、右手の方でC音(ド)に繰り返し執拗にアクセントが付けられていて、不安さが強調されています。 このアクセントの意味が不安さの強調だとすると、この曲全体の高々とした輝かしい曲調に合わないような気がするのですが、 この意味は何なのでしょうか。これは解明されていないようです。ショパンの遊び心でしょうか。

中間部最後は両手のゆっくりした16分音符のユニゾンで徐々にクレッシェンドされ、再び変イ長調の主題が戻ってきます。 この主題パターンはこれで4回目・最後になります。最後は変イ長調の短く華やかなコーダがあり、 最後に変イ長調の右手の主題が回想され、中間部の左手のオクターブの連続が変イ長調(A♭-G-F-E♭)で2回再現されて力強い和音で華やかに終わります。

このように作品全体を振り返ってみると、難所のオンパレードではないかと身構える方も多いのではないかと思うのですが、 決してそんなことはないです。少なくとも僕がこの曲に本格的に着手する直前に弾いていた木枯らしのエチュードと比べれば、 はるかに易しい曲です。主題パターンは最初の簡易バージョンを含めると4回登場し、ほとんど同じものなので、 一度練習すればそれが「使いまわし」できてしまいます。中間部のオクターブ連続部も同じものがただ単に2回繰り返されるだけですし、 中間部後半のパッセージは意外に易しいです。これ以外に新たに練習する必要があるのは、序奏部分と主部の主題部の間に挿入された経過句、 中間部の前半と後半のつなぎの和音部分、そしてコーダくらいのものです。

そのようなわけで僕は中学校2年生時代の最後、3月に約2週間かけてこの曲に取り組んだ結果、弾き通せるようになってしまいました。 長年憧れ続けてきた曲が一応弾けるようになって嬉しかったのを昨日のことのように覚えていますが、 僕は既にこの時点で革命のエチュードや幻想即興曲、木枯らしのエチュードなどの難曲も一応弾けるようになっていたため、 新たに英雄ポロネーズが弾けるようになっても、ただ単にレパートリーに英雄ポロネーズが1曲加わったという程度の意義しかなかったためか、 当初想像していたほどの嬉しさではありませんでした。 しかしピアノの上達というのはそのようなものだと思います。 いきなり憧れの曲が弾けるようになったら、それは飛び上がるほど嬉しいでしょうけど、 そのようなことは通常不可能ですし、ピアノというのは段階を経て徐々に難しい曲が弾けるようになっていくわけですから、 レパートリーに加わる曲の顔ぶれは連続性があって、それゆえ新たな曲が弾けるようになったインパクトは小さくならざるを得ないわけです。

それでも僕は英雄ポロネーズが弾けるようになったのが嬉しく、中学校3年生になってからもほぼ毎日弾き続けていました。 僕がこれまでのピアノ人生で1曲を通して弾いた回数は英雄ポロネーズがダントツでトップではないかと思います (ちなみに第2位は舟歌、幻想即興曲、ワルツ7番のいずれかだと思います)。 中学校3年生が始まった時点で、英雄ポロネーズを人前で演奏する機会はありませんでしたが、 早速、その機会がやってきました。ゴールデンウィーク明けの5月初めの頃、学校の音楽室に早めに行くとピアノが開いていて、 それを見て「弾いて」と周りから促されたのがきっかけでした。僕はそれでは、とばかりに英雄ポロネーズの第1主題を適当に弾いてみたところ、 周囲の反応は上々で、音楽の先生(中2の時とは違う先生でした)も興味を示してくれました。「最後まで弾けるの?」と聞かれたので、 「一応弾けます、でもこの曲は6分30秒くらいかかるので、休み時間には弾けないと思います。」と答えてその場は終わり、 音楽の授業が始まりました。するとどうでしょうか。音楽の授業の最後の方に「まだ時間が少し残っているから、英雄ポロネーズを1曲弾いてくれない?」と 先生からのリクエストがありました。僕は一度はためらうそぶりを見せましたが、内心は腕が鳴っていました。 そして前に出てピアノに向かい、クラスメート全員が席に座った状態で、僕は英雄ポロネーズを最初から最後まで弾き通しました。 全く破綻のない、いつも通りの演奏ができました。演奏が終わると音楽の先生、クラスメートから盛大な拍手をもらい、 気分はすっかりブーニンのようで、非常に気持ちよかったです。 こうして僕は中学校3年生時代も音楽の先生、クラスメートにピアノ弾きとして一目置かれる絶対的な存在となりました。

英雄ポロネーズは、ピアノのレッスンでも取り上げてもらいました。 先生には「この曲を来年のピアノ発表会で弾きたい」という気持ちを正直に伝えました。 「木枯らしのエチュードを弾いた○○君には、ちょっと簡単すぎる曲ではないか」という反応を予想していたのですが、 その予想に反し、「この曲を発表会で弾くのは結構怖いと思うんだけど」と先生は言っていました。 「木枯らしのエチュードの方がはるかに怖いでしょう・・・」と僕は心の中でつぶやきましたが、もちろん声には出しませんでした。 「跳躍が多い曲ですけど、慣れれば大丈夫です。」と僕は答えて、一応、暫定で来年の発表会の曲はこの曲で行くことになりました。 「革命のエチュード」の奮闘記でも述べたように、高校受験のため結果的には僕はこの年の11月をもって親から強制的にピアノを中断させられることになり、 最終的には発表会に出場しなかったため、英雄ポロネーズを発表会で弾くという長年の夢はついに実現することなく ピアノレッスン時代は終わってしまいました。

しかし僕にとって英雄ポロネーズは大切なレパートリーとなり、「何か弾いて」と言われて、まず披露するとしたら絶対にこの曲という 状態が長年続きました。「管理人のピアノ歴」のページでも述べたように、僕は私立の進学校に進学し、 そこでは音楽の授業が一切なかったため、高校生時代、人前でピアノを弾く機会は一度も訪れず、帰宅するとショパンのバラードやスケルツォを 一人寂しくかき鳴らすという状況が続きましたが、多くの難曲を弾けるようになってもなお、僕の中で最もよく弾けるレパートリーは この英雄ポロネーズでした。高校生時代には、クラスメートの前で英雄ポロネーズを弾く夢を何度も見ました。 しかしそれは僕にとって文字通り「夢」そのものでした。 高校生時代、人前で弾く機会があれば明るい青春だったかもしれないのに、と思うと何とも残念ですが、 それが僕の運命だったのだと考えてあきらめることにしました。 僕は高校で軟禁状態であれだけ勉強したのに、最終的にはうつ状態になって頭の回転がにぶったのか高校3年生になって成績が急降下して 現役時代には第1志望の日本の最高学府と言われる大学には受からず、浪人してしまいます。 その浪人時代は予備校に通いながらも、孤独に寂しくピアノに向かってショパンのピアノ協奏曲ばかり弾く生活でした。 そんな中にあっても、英雄ポロネーズは僕にとって大切なレパートリーでした。 その1年間の自由気ままで孤独な浪人生活の末、第1志望の大学に受かり、 サークルの先輩たちの前でショパンのピアノ協奏曲第1番を始めとしたあらゆる曲を弾きまくりました。 それまで人前で弾けない状況が長年続いたことで積もり積もった鬱憤を晴らすかのごどく・・・。 そしてそのピアノサークルの新歓演奏会で、英雄ポロネーズを披露しました。 色々な曲が弾けるようになってもなお、僕にとって十八番は何と言っても英雄ポロネーズでした。

最近、2015年には2度ほど人前で弾く機会がありましたが、そのプログラムにはどちらも英雄ポロネーズを入れました。 この曲を聴いたことも曲名を聴いたこともない人たちばかりの前での演奏でしたが、 久々に人前でピアノを弾くのは本当に気持ちがよかったです。 欲を言えば、この曲のことを少しでも知っている人たちの前で弾きたいと思いました。

このように、ショパンの英雄ポロネーズは僕にとってピアノ人生の思い出が詰まった大切な1曲です。 この後、ピアノ演奏を披露する機会があれば、毎回この曲をプログラムに入れたいとすら思うほどです。 もし、「ショピニストへの道」管理人のピアノ演奏会という企画が実現するとしたら、 これをお読みの皆さんの前で、英雄ポロネーズを披露できればと思っています。 それが僕の夢でもあります。皆さんもそれを期待しているでしょうか。

・・・とりあえず完・・・

初稿:2016年1月27日
最終更新日:2016年1月29日

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