和紙・純水墨作品11.
山水画は風景画ではない
混沌とする現代人の美意識の中では、一般的に通用しない言葉かも知れない。
和紙・純水墨作品13.和紙・純水墨作品14.
長い歴史を持つ「山水画」は、東洋における独特な伝統文化の中で育んできた。最も優れた絵画芸術である。その背景は、一、悠久なる東洋の歴史に浸透されている。二、古代から人間が自然と融和するナチュラリズムの精神構造を持つことである。この両義のもとで、山水表現が単なる風景意識を超え、一種の精神表現の世界に昇華している。
「山水画とは何か」新藤武弘著(福武書店1989出版)の本があります。その本の題名は「山水画とは何か」の題を付けられ、題名そのものが私に興味を持たせ、一読してみると、山水画の極意を解説する著作である。
棉布・純水墨作品15.和紙・純水墨作品16.和紙・純水墨作品17.
題名は単純な疑問句を反問する用語を用いて、「山水画」と言う言葉の真意を解説しようとすることである。一般論的には山水画が「山」と「水」を描いた絵を指している。風景画と同格に理解する。しかし、一般論と違って、「山水画」と言う言語に隠された真意の真実にある。この本の題名には「…何か」の疑問句が付けられ「山水画」の持つ一般論に疑問を示す、その一般論に変質しょうと理念的に、しかも導向性のある論述を説き明かされた。同じ理念を持つ私は、作者の意途とまったく同感である。なぜ「山水画」を一般論の常識で認識されるのか、幾つも原因を挙げられるが、一つの大きな原因は、混沌する現代社会の功利主義が審美意識を混乱させることであったのは間違いない。言えば現代人である現代文明への疑問でもある。
和紙・純水墨作品18.棉布・純水墨作品19.
「超俗の精神から生まれた山水画、それは東洋人の心のふるさと理想郷である。美の原点である…。」「山水画では、描かれる対象はいつも変哲のない山や川であっても、作品の筆や墨の扱いや、山のかたちや構図に画家の理念と個性や、制作の背景と時代の思潮が表れていると言われています…。」その論説は「山水画」を一般的に認識するものではなく、ある認識レベルの深化することが必要と述べている。山水美の伝統を延長する現代こそ、山水精神は新たな表現を求めるべきである。