真・女神転生W

50年が過ぎ去った
あたしらみんなが、あんたの死ぬのを目にしてから

−ディスティニィ(サイバーパンク2020内のロックグループ)

 





この作品への絶望感は言葉にしがたい。

私は、FCつまりファミコン時代の女神転生からプレイしている生粋のメガテニストだ。女神転生Uよりも、真1を愛している。
少しずつ壊れていく日常、些細な行動でさえ、そのキャラクターの生き方に反映される属性システム、そこには文字通りのロールプレイがあり、キャラクターの生き様が 、プレイヤーの判断の積み重ねが物語となっていくものだった。

そしてなによりも、神と悪魔が相対的に語られると同時に、名前だけを借りてきたような、おざなりな設定ではなくきちんと元の神話を踏まえた設定がなされていた。そのことが、女神転生の世界においては、悪魔はただの怪物ではなく、時として神として祭られ、魔として忌み嫌われる、生きた存在であった。

ところが、真4では、それを全て否定するかのように、名前を借りてきただけのただの怪物に貶め、記号としてしまっている。
開始早々、グリフォン※がレベル3で最初期悪魔として登場するとか、デザインしたヤツ正座させたいわ。この悪魔をただのモンスターとして扱うと言う傾向は、ペルソナ2でも見られたが。

※空の王者ワシと百獣の王ライオンの合成獣たるグリフォンは、すなわち空陸の王者である。

意味づけのないイベント群

わりと序盤のイベントだが、セイオウボのイベントで、悶絶してしまった。

ビジュアルはコストカットのためか、ソウルハッカーズのセイオウボ、すなわち、仙界の女帝の姿をしているにもかかわらず、人間を喰う怪物として、登場する。しかも、喰われた人間が胃の中で暴れると言う、何十年前のマンガに良くあった一寸法師ネタを見せる。その前にだ。セイオウボのサイズは、どうなっているのだ?。丸呑みされて、胃の中で暴れているのか、それともかみ砕かれて肉片が暴れているのか。

そうした基本設定が、整理されていない時点でゲンナリなのだが、再度言う。グラフィックは「仙界の女帝」で登場する。にも関わらず人を躍り食いする。元々のセイオウボの設定は、どこへ行ったのか。

原初のセイオウボは、人頭虎躯の怪物であったとされる。その姿でやるならまだ良い。仙界の女帝、仙桃の番人の姿で、人を食う。この段階で、メガテンとしては失格だろう。そもそも、なぜ人を食う悪魔に、セイオウボを選んだのか。中国には、四凶がいる。アバドン王でも活躍したトウテツなど、適任だろう。人間の側に立つべきセイオウボをなぜに選んだのか。ペルソナ4のイザナミのように故あっての悪役ではない。

まぁ、まだセイオウボのイベントは、カガの死に様を見せる事に意味はあるのだが、サブイベントに至っては本当に意味が不明になっていく。 イベントに意味が無く、ただ出来事の羅列でしかない。新聞の訃報欄に意味を見出す人は少ないだろう。だが、友人や親族の事故に何かしらを感じない人はいない。

意味と言うか意義のないイベントは、訃報欄の俯瞰でしかない。

ハリティの子供を人間がさらうと言うイベントがあるのだが、これも意味不明で、人間が悪魔の子、しかも、人類側に立っているハリティ、鬼子母神から子供さらう事も意味不明なのだが、その理由も意味不明。 人間は悪魔の子をさらって何がしたかったのだろうか?。そして、そのさらった人間が、借り受けているとは言え、召喚するのがカンテイセイクンという意味不明さ。悪事に手を貸すのか?聖君。

そもそも、子供とはいえ悪魔である。並の人間にさらえるのかと。なおざりすぎるイベントにうんざりする。

他にも、ケルヌンノスの主張は意味不明レベルで「人間を全滅させて、信仰を取り戻すのだ」としか受け取れない。人間を全滅させて、豊穣神として復活したいそうだが…人間以外で農業する動物はおらんぞ?。誰に「今年もケルヌンノス様のおかげで豊作でした」と感謝の捧げものをして貰おうというのだ?。

こうした、設定面での雑さは本当に酷い。何が雑かというと、人間と悪魔(神)の関係性をきちんと設定できていないので、論旨が無茶…ならマシで、論旨がない事も多い。神を愚弄してないか?。

私はP4を「神話がない世界の神」と言う評価をしたのだが、真4もその通り…いや、それ以下。「逸話を持たない悪魔」と言う、極端にデジタルな存在になってしまっている。だからセイオウボが仙界の女帝のまま、物理的に人を食い、人の居ない世界で信仰を得ようとする神が生まれる。

メガテンの設定面でのウリは、「オカルトというアナログの権化」と「コンピューターというデジタルの極北」を矛楯無く融合させた事にある。これも理解していない。 というか、NPCの背景設定が作れていないダメライターと言える。ケルヌンノスを、ガイア教の司祭に入れ替えた場合「狂ってる」としか評価されないだろう。


クリアランクとマルチエンドの違い

もっとも許し難いことは、キャラクターの生き様の結果であるはずの属性固定において、一周目はニュートラルルートに入れない(と思われる…攻略サイト等で調べてないので申し訳ないが)、分岐直前のボスに、ニュートラルだな。と言われているので、問題ないはずであるが、最後の選択でロウとカオスからしか誘いが来ない。

繰り返すが、これらは、キャラクターの生き様の結果である。クリアランク(トゥルーとかノーマルとかの)ではない。二周目に固定してどうするのだ。

例えるなら、ときめきメモリアルで、紐緒閣下一筋に三年を過ごしたのに、詩織をクリアしないとクリアできません。と言われるようなモノだ。まぁ、このあたりの事は「トゥルーとバッドとマルチエンド」と言うコラムでまとめてあるので、読み流してみて欲しい。

メガテン、何作目かにして、はじめて投げてしまった。そして、クリアしない事が惜しくないと感じている自分にも驚いている。本当に、スキャナーズ1とスキャナーズ5ぐらい、なんの脈絡もないぐらい大きくかけ離れてしまっている。


私は、メガテンとは何か。と問われたならば、「自分の生き様が物語となる」と「名前を借りただけではない、生きた超常体(悪魔)の姿」と答えるだろう。
この真4は、そのどちらも捨て去ってしまっているのだ。これをメガテンの死と言わずして、なんと言えばいいのか。

超力兵団の時もそうだったが、アトラスは自社作品であるにもかかわらず、理解していないどころか、酷い勘違いをしたまま、それをさもメガテンの本流として見せてくる事がある。ストレンジジャーニーもそうだが、真1から真2へのタイムラインが絡むと本当に壊滅する。メガテンのタイムラインから外れると、いいもの(ソウルハッカーズ、アバドン王)を作る当たり、本当に理解できていないのだと思う。

ただ、この真4は、タイムラインから抜け出しているはずだ。いや、スティーブンが出てくるあたり、実は…なのかも知れない。東京が地下にある事からも、真2の東京が地下にあるコトにつながるのかも知れない。だとすれば、わずかに救いがあるかも知れないが…

真1のタイムラインを捨てて、これほどまでに壊滅しているとすれば、もはや救いようがないのだが、タイムラインに絡めてあるならば、相変わらずとなる。どちらにしても、救いは無さそうだ…。


ゲームとしてはマトモだが、メガテンとしては壊滅的

ゲームとしては、私のような小うるさいメガテニスト以外から見れば、佳作から良作に入るゲームだとは思う。ゲームシステムも、近年のゲームとしては及第点だし、シナリオも、ただのゲームとしてみれば、良い方だ。ちゃんと生き様を選べるのも良い。

とはいえ、けっして褒められる出来映えではなく、赤玉の存在も出てきた瞬間から、ソイレントグリーンだなと丸わかりだし、赤玉を人間が喰うと悪魔になる。と言うのも、意味がない。と言うか混乱の元。結局悪魔はなんなのか。伝説の生物なのか(ならなぜに同じ姿に人から変容するのか)、ただの怪物なのか(信仰の対象となっている存在もいるのに?)、人間の変異体なのか(古代人も同じ変容をしたのか)。まぁ、クリアしていないのでとやかく言う資格はないわけだが。

まぁ、本を読んでは悪魔になり、赤玉を食べては悪魔になる。人間のフリをしている内に、悪魔である事を忘れているだけなのか。と言いたくなる。ハリティーやセイオウボのイベントからしても、答えが用意してあるとは思えない。勢いだけだったし。

何にもまして、露骨すぎるLAWやChaos論が、痛々しい。真1の頃は、どっちにも一理あるよね。と言うところはあったんだけど、ヨナタンに賛同する人は、ディストピア大好き派なんじゃなかろうか。Lawを通り越して、真3のシジマレベルの、個性は消滅して世界の一部となるべきだし。カオスの方も、露骨すぎる実力主義。どっちにも共感できないけど、一周目はニュートラルに入れないという。

真3で言うところの、他のコトワリすべてに賛同できないけど、どれか選べ。と強制されているようなもの。駄作だよなぁ。メガテンでないとしても。


佳作かも知れないが、それでもデザインは悪い

まず、始めて思ったのが、視界の狭さ。バックビューなのは良いが、自キャラがドンと中央に鎮座するので、周辺情報が得られにくい。シンボルエンカウントで無いなら、これでもか舞わないのだが、リアルタイムに敵がフラフラしているシンボルエンカウント方式で、視界が極端に狭いと言うのはダメだ。

シンボルエンカウントなので、敵から接触されると、不意打ち確定。となると、プレスターンの欠点が大写しになる。つまり、不意打ち>クリティカル>1more>クリティカルと言うコンボで、実質二倍ダメージ確定。これが、全体攻撃になったり、弱点を突かれたりすると、もうゲームオーバーが見えてくる。

さらに、普通のデザイン感覚で言えば、新しい街に着けば、新しい武器と防具を揃えて戦力アップし、強くなった敵と張り合える。と言うのが一般的と思うのだが、ウエノでは、銃攻撃をしてくる敵がゴロゴロいるのに、売っている防具は「銃に弱い」と言う特性。なんというか…もぅ…ね。

もう一つオマケに、AIが相変わらずP3並で、無効反射の攻撃を延々とやってくれるだけならまだしも、今作の特徴であるニヤリシステム(無効反射攻撃を喰らうと、次の攻撃クリティカル確定、防御時なら次の攻撃100%回避)が、発動し、クリティカル=1more=再攻撃確定で、全体攻撃だと終わった感が漂います。

で、難敵を仲魔にしたら、すごく弱い。同種の敵の攻撃、一発で瀕死とかざら。スーパーロボット大戦Fで、敵の間は、数万HPを誇るが、味方にしたら3500HPになるガンダムWみたいな感じ。

ストレンジジャーニーもそうだったけど、デザイン面では。とにかく「雑」と言う一言。シナリオ、設定面でも雑なんだけど。荒削りと雑は、似て非なるもので、「荒削りだが良い仕事している」とは言っても「雑だが良い仕事している」とは言わないように、「雑」と言うのは、ほぼイコールで「手抜きすんな」と言う評価なのだ


他にも、ファーミングをかなりする必要があり、本来、合体はファーミングの軽減が目的だったはずだ。つまり、弱くなった仲魔を合体させて、強くする。そうする事で、ファーミング、レベル上げの作業を軽減するシステムだったと思う。仲魔にした後、レベル上げをしないと使い物にならないと言うのでは、本末転倒というか、ほんっっっっっっっとに、分かってないなアトラス。としか言いようがないなぁ。

合体も、もう模倣作が山ほどあって、モンスターの掛け合わせだけじゃ、オリジナリティを主張できないしねぇ。

短くまとめるならば「周回遅れどころか、時代錯誤の傍観シナリオ」「雑すぎるデザイン」かな。

物語の中心にいるようで、何一つ物語の方向性への決定権がない傍観者。元々のメガテンが、一言もセリフのない傍観者のようでありながら、決断する決定者であった事を考えれば、本当に真逆のコンセプト。

物語の中心にいるようで、実はただの傍観者であるFF型の直系たるセブンスドラゴンと比べれば遙かにマシ。と感じてしまうあたりにも、絶望がある。そんな低い位置でせめぎ合わねばならんのかと。 真レブスとかだったら、褒めてた気がするがなぁ。

一番の絶望は、これだけ不出来さを列記に出来るにもかかわらず、和製としては、わりとイイモノ。と言う評価をしてしまうこと。ドンだけ地を這っているのかと。



・メガテンの解放なのかもしれない

まぁ、メガテンとしては終わった。とだけは言える。全世界で60万本売れてたらしいが…世界規模で語るなら、三ケタ四ケタ行かないとなぁ…日本、アジア、アメリカ、ヨーロッパ、4で割ったら、15万本ずつ。まぁ、そんなトコだろう。悪魔デザインは基本使い回しだし、黒字にはなっているのだろうけど。

販売総数シリーズ累計○万本。とか言うのもよく見るが、コレは単に、前作はよく売れたが、今作は売れてません。と白状しているようなものだとナゼ分からない。真4の世界60万本も、国内では10万本少々のヒットとも失敗とも言えない、微妙な売り上げということを露呈させている。

こうしたダメ作品のレビューは、ホントに書く気がしないので、ずいぶんと遅れてしまったが、Finalが出る前に上げておかねばと、頑張った次第。そして、FINALなんだが…世界観を踏襲した完全新作なのに、真・女神転生4FINAL…タイトルの付け方から、オカシイんですけど。

アナザーとか、外典とか、あるでしょうに。ペルソナ3のフォローをペルソナ4でしつこくやってしまうようなアトラスだからして、FINALも、真4の言い訳が随所にある気がする。真4の設定フォローが入って、タイトルにつながるんです。くーー、 オレってCooooooL!!!とか本気で思ってそうで寒い。

FFやガンダムと同じで、設定的な繋がりは何もなく、客寄せのための冠なんでしょうね。女神転生と言うタイトルも。真4も、別タイトルじゃ、さらに売れなかったろうし。それこそ、真レブスじゃ売れないよね。


もう一度言う。メガテンとしては終わった。もしくは、鈴木大司教のつくったメガテンは終わり、アトラスのメガテンがようやく始まったのかも知れない。終わりの始まりだけどね。正直、さっさと終わってくれた方が、晩節を汚さなくて良いと思う。XTHのチーム村正にしても、そう。そこに、愛情とか、信念を持っているように見せかけて、じつは何も理解していないどころか、勘違いがたまたま良い方に向いただけ。

「まぐれ当たりで得た自信は、しょせん、まぐれあたりさ」
リョウ・サカモト(アストロ球団)


メガテンもXTHも、まぐれ当たりだったと言うこと。たいていは、二作、三作で化けの皮が剥がれるものなんだけど、アトラスがイヤらしいのは、まぐれ当たりをチマチマ出すんだよなぁ。超力兵団でしりもち付くような空振りしといて、アバドン王で場外弾とか。P3で大暴投しといて、アウトローにスプリット決めるようなP4とか。大失敗の後に、大成功出すからFINALも出来は良いかもしれない。けど、私はもう見限った。

チーム村正もダンジョンRPGを絶対に愛してないのが、XBloodで丸出しだったけれど、アトラスはメガテンを愛してないコトを上手く誤魔化していた。振り返ってみれば、if…あたりから、鈴木大司教の作った世界観から抜け出そうしているのが、いまなら何となく透けて見える。真3やストレンジジャーニーで、新しい世界を構築しようとしたが失敗し、結局寄生を選んだ時点で、愛も尊敬も無いのだろうな。

メガテンを骨の髄まで吸うどころか、吸い終わった骨を骨粉にしてきたアトラスから、ようやく解放されるのかも知れない。メガテンを手放したアトラスが、どうなるか。それが実力を計るコトになると思う。

願わくば、メガテンという大きすぎる看板の呪縛から、解放されたのはアトラスだったと言わせて欲しい。

 


2015/12/15初稿  2015/12/21改定
 


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