再燃した記者クラブ問題の争点   欧州連合・外国特派員協会対新聞協会

権田萬治     

 欧州連合の記者クラブ批判

 2001年5月15日に田中康夫長野県知事が「『脱・記者クラブ』宣言」を発表、県政記者クラブなど県庁内の三つの記者クラブに退去を求めるとともに、それまでクラブ主催だった記者会見を県主催に改め、記者会見には、従来の記者クラブ員以外の政党機関紙、宗教機関紙、週刊誌、『噂の真相』などすべての表現者≠ェ参加できるようにする改革を打ち出して大きな反響を巻き起こしたことは記憶に新しい。    こういう動きに対して、新聞協会は記者クラブ問題小委員会を設置して検討を重ねた後、翌2002年1月17日、新しいガイドラインとして「記者クラブに関する日本新聞協会の見解」をまとめた。
 この新方針は、記者クラブの性格を、これまで、「親睦社交の組織」(1949年)、「日常の取材活動を通じて相互の啓発と親睦をはかる組織」(78年)、「公的機関が保有する情報へのアクセスを容易にする『取材拠点』(97年)と二転三転して来た定義を改め、初めて「取材・報道のための自主組織」と正しく規定した点で、画期的な意義を持つものだった。また、組織としての記者クラブと記者室の利用を明確に区別し、記者室は記者クラブ以上開かれたものでなければならないこと、記者室の利用経費などは報道側が応分の負担をすべきことなどが確認されている。
 これらは新方針の優れた改善点だが、その半面、記者会見の主催権の問題や記者会見のオープン化などについては、必ずしも十分な考察がなされておらず、問題が再燃する余地を残していた。
 2002年10月17日に駐日欧州委員会代表部が出した「日本の規制改革に関するEU優先提案」は「ジャーナリズム、情報への自由かつ平等なアクセス」の項で、優先提案として、a外国報道機関特派員に発行されている外務省記者証を、日本の公的機関が主催する報道行事への認可証として認め、国内記者と平等の立場でのアクセスを可能にすること、b記者クラブ制度を廃止することにより、情報の自由貿易に係る制限を取り除くこと、の二点を挙げている。
 まず、bの記者クラブ制度の廃止要求について考えることにしたい。

 現実性を欠くEUの記者クラブ廃止論

 欧州連合は、@中央の官公庁および地方自治体の公式の記者会見やブリーフィングでは、記者クラブメンバーだけに出席が制限されている、A加盟を認められた海外メディアはごく少数で、それも多くは準会員として質問を許されていない、B会見から(日本の?)大衆的週刊誌、をはじめ雑誌媒体が排除されているのは特筆に価する、C記者クラブ会員は常に取材源から物理的に近い場所に居るため、オフレコ情報を入手しやすいという特権をも享受している、D記者クラブがニュースソースと癒着し、狂牛病発生の際には、ニュース報道が遅れたり、情報源からの一方的な情報をそのまま報道するため、情報の質的低下を招いている、などの理由から、記者クラブ制度の廃止を政府に要請している。
 すなわち、「記者クラブ制度が情報の最終の受け手にもたらす害を是正するためには、記者クラブ制度を廃止し、国内外すべての報道機関に、報道行事への公平で平等なアクセスを与えるしか道はない」というのである。
 今までにも日本の記者クラブ制度を廃止すべきだという考えは少数意見ではあっても、日本の関係者の間にもあったし、理想論としてはもっともな所もあると私は思う。遠い将来に、そういう道が見出せる可能性も絶無ではないかも知れない。
 しかし、当面の政治的な提案としては、このEUの記者クラブ制度廃止論は、具体的な改善策を提示することなく、一足飛びに廃止を要求するもので、まったく現実性がなく、問題解決にはむしろ障害になる提案だと私は考える。
 そもそも記者クラブ制度の廃止がそんな簡単なことなら、何も戦後五十年以上も日本の報道界がさまざまな批判を基に記者クラブの運営方針の改善の努力を続ける必要もなかったはずである。
 また、政府当局者も述べているように、各記者クラブは政府が作ったものではなく、日本新聞協会の方針の下にそれぞれ独自の規約を持って活動する自主組織であり、その活動の中身も、それぞれのニュースソースによって、かなり違いがある。政府がそれを一律に廃止することができる制度ではない。つまり、政府にこのようなことを要求するのは筋違いなのである。
 しかし、そのことは、現在の記者クラブ制度にさまざまな問題があることを否定するものでは決してないことも事実である。
 実際のところ、EUが今回の問題にしている記者クラブの閉鎖性やニュースソースとの癒着の危険性などは、多かれ少なかれ、何10年も前から指摘されて来たことであり、それを根拠に記者クラブ廃止論が出て来
ること自体、問題の根深さを物語っているともいえよう。

 食い違う事実認識

 ただし、個々の問題事例の事実関係の認識では、当事者の間で大きな違いがあるようである。
 このEUの優先提案に沿って日本外国特派員協会(The Foreign Correspondents Club of Japan)は、同協会機関紙NO.1SHIMBUNで本年一月号から記者クラブ問題を批判的に取り上げたが、これらに関連して、日本新聞協会記者クラブ小委員会は、欧州連合や特派員のメンバーが問題にしている事例を調査した結果、批判は事実に反するとして3月13日同協会に対して報告書を送付した。
 そのすべてをここに挙げることはできないが、例えば、外務省の霞クラブの例で、緊急記者会見の場合は情報が同クラブメンバーにのみ伝えられ、非常勤の記者は事実上排除されるという点については、「記者会見は、クラブ加入・非加入に限らず新聞協会や雑誌協会加盟社、外務省発行の外国人記者証の保持者であれば自由に参加でき、質問も自由に行えるが、ブリーフィング、大臣や省幹部との定例懇談は原則クラブ員のみが参加できる。ただ、大臣と外国人との会談に関するブリーフィングは、相手国のメディアから『ブリーフを聞きたい』旨の要望があれば、その都度、幹事社が相談し参加を認めるケースがある。最近は断るケースはない」としている。
 また、英国女性のルーシー・ブラックマンさんが殺された事件で、来日した多数の英国の記者が警察の記者会見に出席できなかったほか、その後の記者会見では、「何も情報は出せない」ということだったとされる事例では、在日外国報道協会からの要請により、2回の警視庁捜査一課長の記者会見にAFP通信の記者一名が外国メディアの代表として出席していたこと、遺体発見以前も、英国メディア六社からの申し入れにより、警視庁広報課長と麻布署副署長が対応しているという事実が明らかにされている。
 その他は省略するが、少なくとも事実関係については、特派員協会などの主張と新聞協会側の調査結果では大きな隔たりがあり、必ずしもEUや特派員協会の批判をそのまま受け入れる状況にはないのが現実である。  
 水掛論より現実的な論議を
その後、外国特派員協会は、機関紙などで、「新聞協会は相手にしない」などとやや感情的な態度を表明しているが、すでに指摘したように、政府が介入する問題ではないので、現実的な解決策を考えるのなら、新聞協会との話し合いが不可欠であり、感情的な主張をいくら続けても無意味だと思う。
 非現実的な廃止論も事実関係の確認での水掛け論も生産的でないとしたら、 現在の問題点をきちんと整理して、対策を考えるしかない。
 まず、現在の記者クラブ問題は外人記者などの記者クラブへの加盟問題ではなく、主として記者会見やブリーフィングへの参加問題であるということを確認することである。
 すでに知られているように、1993年の「外国報道機関の記者の記者クラブ加入に関する日本新聞協会編集委員会の見解」によって、一定の資格を持つ外国特派員のクラブ加盟は認められている。例えば農水省には、非常駐ではあるが、ブルームバーグ、ロイター、ブリッジニュースなど各社が正式に加盟しており、加盟問題はすでに基本的には解決しているといっていい。
 しかし、問題は国際通信社や大規模の海外新聞・放送メディアのように支局を持ち、スタッフもある程度擁している社はともかく、一人の記者が日本全般をカバーしなければならない社の場合や、日本の週刊誌記者やフリーランサーなどの場合、特定の記者クラブへの加盟はほとんど無意味であり、必要に応じて関心のある事件や事柄について幅広いニュースソースの記者会見を取材できればいいというのが、本音だろうと思われる。
 3月15日に開かれた外国特派員協会主催の記者クラブ問題に関するシンポジウムで、ヴァン・デル・ルフト会長が「われわれの要望は記者クラブへの加入ではない。記者会見に面倒な手続きなく出席させてほしい」と述べているのも、こういうことを指しているのではないだろうか。
 逆にいうと、新聞協会などが進めて来た記者クラブ加入のオープン化のためのこれまでの改革では、こういう記者会見の参加の自由化問題が十分に論議されて来なかったうらみがあると考える。

 公式会見の原則オープン化は不可能か

 新聞協会の新しい見解では、「公的機関が主催する会見を一律に否定するものではないが、運営などが公的機関の一方的判断によって左右される危険性をはらんでいる。その意味で、記者会見を記者クラブが主催するのは重要だ」としているが、同時に「記者会見参加者をクラブの構成員に一律に限定するのは適当ではない。より開かれた会見を、それぞれの記者クラブの実情に合わせて追求していくべきである。公的機関が主催する会見は、当然のことながら、報道に携わる者すべてに開かれたものであるべきである」とも述べている。
 非公式の懇談や特定のブリーフィングについては、例えばアメリカでも、海外メディアを排除して主要メディアだけを対象に行われることも実際に行われているから、非クラブ員の出席を制限することもあり得ると思うが、主要官公庁で行われている公式の記者会見をクラブ主催だという理由で記者クラブが同じような制限を加えることには疑問がある。
 乱暴ないい方かも知れないが、ブリーフィングや非公式の懇談以外の公式会見は、すべてニュースソース主催とするか、かりにクラブ主催の場合でも、クラブの役割は会見の申し入れ、日程の調整、会見のテーマ、進行などに限り、クラブ員以外の記者場合も、外国記者証や雑誌協会の記者証など一定のIDを持つ記者は原則参加自由として、セキュリティ問題などを踏まえた最終判断はニュースソース側の選択に委ねれば、会見参加の問題はある程度解決するのではないだろうか。
 日本の週刊誌などの場合、記者の身分が社員でないこともあり、問題発生時の責任の所在が明らかでないなどの問題があるが、そういう点については、当該出版社と雑誌協会などが協議してルール化する必要があるように思われる。フランスでは、記者として認定するかどうかはかなり厳しい基準があるようだし、ヨーロッパの実情などを踏まえての検討も必要かも知れない。
 一般に海外では、記者会見はニュースソース側が主催するものであり、メディアの選別もメディアの質、記者の資質や技量、セキュリティの問題、会場のスペースなどを考慮して行われる。この場合は、会見に参加できなかった記者とニュースソースとの間に問題が起きても、記者クラブ対非クラブ員という今回のような問題は発生しない。 
 1996年2月の竹内謙市長(当時)による鎌倉市役所、2001年5月の田中康夫長野県知事による長野県庁の改革では、会見のニュースソース主催を打ち出すことによって、クラブ員以外の記者会見への参加の自由が拡大した事実がある。
 私は記者クラブの閉鎖性の裏には、日本の官公庁の情報公開の理念の欠如が潜んでいると考えている。一方、記者クラブにもそういう官公庁と癒着し、情報独占という幻想に安住していた所があったと思う。残念ながら、現在の記者クラブは「権力と対峙する」(藤森研朝日新聞編集委員)という本来の理想からはかなり外れたものになっているのが現状ではないだろうか。
 その意味では、官公庁の情報公開の徹底と記者クラブに所属する記者の意識改革がががまず問われるべきであると思う。
 ニュースソースごとにセキュリティなどさまざまな事情が異なるし、記者クラブの事情が違うので、会見のオープン化を実現するためには、記者クラブ側とニュースソース側の双方の理解が必要だろうし、主要官公庁や総務省や新聞協会との話し合いなどとの調整も必要で、簡単ではないかも知れない。しかし、少なくとも、記者クラブ制度廃止論などという非現実的な極論よりは話し合いの議題にはなる問題ではないかと思う。なお、記者クラブ制度に関する海外の研究者の論文などに対する私の意見の詳細については、別項の『記者クラブ制度改革論』をご覧頂ければ幸いである。

(新聞調査会報2003年5月号に一部加筆)


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