トップレイとの対話

20 エーイとの対話・あらすじ
21 女海賊 エーイ22 車椅子
23 過去世 24 思い出 25 単純な仕組 26 …その後…


25 単純な仕組

彼女との対話で、どんちゃん(表)でも沢山の発見がありました。
同時に問題点も再確認されることになりました。

●どんちゃんの暴力性の原因が分かった…?−−創作歓迎!?

どんの表、どんちゃんは、とても暴力的で冷酷な面があります。
それは、女海賊のときの癖かもしれませんね。(苦笑)
そうだとすると、何となく納得できます。(笑)

女海賊の話は、作り話でもいいのです。
これによって、人間の不調和な想いが薄らぎ、やがては消えて、
本来の姿を取り戻すことが出来れば、それでいいわけですね!

それは、幼い子供を適正な大人に育てるために
母親が話して聞かせる「童話」や「作り話」と同じだからです。(笑)

●異言の国が判明…?−−過去世の仲間の出現を待つ…

どんの四種類の異言(いげん)は、どれも中国風なんですが
彼女との対話からすると、どうやら古い時代の沖縄あたりの
言葉のようです。

言葉は中国風ですが、よく考えてみますと、沖縄という島国は
昔から大陸との強いつながりがあったことは想像できます。

すると、当然、大陸の言葉
つまり、今の中国の言葉と似ていても不思議ではありません。

気になるのは、「レイ」 さんとの関係です。
彼女とは、過去世の言語の二つが一致しています。
すると、エーイや、その仲間達との関連も出てきそうです。

しかし、これについては、今後、現われてくる人物や、
「計画された出来事・運命」 を、楽しみに待つことにします。

レイさんについて御存知ない方は…

レイとの対話

これを読んでくださいね!

●内の想いに自信がついてきた…−−女の視点・観点

どんは、相手の内を映し出す 「鏡」の役割をしています。
しかし、それが純粋で曇の無いものだとは言い切れません。

つまり、どんの想いも混入している可能性が常にあります。
すると、最後の場面の、どんの行為は、それかも知れません。(笑)
しかし、このことを書くには、そうとうの勇気が必要だったんです!!

だって…、これから、どんちゃんと会う、女性達にとっては
「要注意人物!」 ということになりますからね!(大笑)

後になって、特に女性のみなさんからの反発があって
これを書いたことを後悔することになるかも知れません。(大笑)

しかし、やはり、あのときの、どんの行為には自信を持っています。
いつもそうですが、内は絶対の自信を持って堂々としていて、
表のどんが何を考えたとしても、内は常に安定したままです。

地上的な観点から、このことを、どんの 『表』が考えますと
ものすごく気持ちが悪くなってしまいます!

気持ち悪くなるときは、内の本当の想いと ズレてきたときです。
つまり、内の想いと、表の想いの落差が大きくなったときです。
こういう体験は、もう数千回も数万回もしてきたと思います。
数千万回かも知れませんね。(笑)

これは、みなさんも、きっと同じですね!
誰でも、内の本当の自分・本心に逆らえば
気持ちが良いはずがないですからね!

ですから、やはり、あれは、「内からの適正な想い」と言うことが
一番適正なことだと思います。

説明・この理屈には、どんの表は、まだ抵抗しています。(笑)

この地上では、肉体は男と女とに明確に分かれるしかありません。
過去世で男であっても、今生では女として生まれていれば
やはり「女の視点・観点」 が中心となるのは仕方がないことです。

しかし、それでいいのです!
そうであるからこそ、地上での有意義な体験ができるからです。

もし、女が、男としての数多い体験からの記憶が全部あったら
彼女には、男についての迷いも恐れも不安感も無くなってしまい
そのため、男に関する新たな貴重な体験ができなくなってしまいます。

つまり、逆に言えば、せっかく女として生まれ、育てられているのに
女としての必要な体験が、とても少なくなってしまうことになります。

このことは、今回は男として生まれている「どんちゃん」を含めた
人類の約半分を占める男達についても、同じことが言えますね。

●前世の記憶の必要性の度合い…−−有効な 「内との対話」

上記のことに関連したことですが、前世の記憶が無いことは、
この地上では、とても理に叶ったものですね。

例えば、エーイを裏切った女性が、
過去の全てを思い出していたとすれば、その人は
エーイに、こんな台詞を言うだけで終わってしまいそうです。

「あのねー、□□さん、あなたは、過去世では、
エーイ っていう人だったんですよ」

「そして、私も、あなたと一緒に海賊船に乗っていて
私は、あなたや仲間を裏切って、
あなたと仲間全員を殺してしまうことになったんですよ…」

「でも、死んでも、あの世はあったし、私達は死んでよかったんだし
運命だったしー、それに、あなた達も死ぬ機会を待っていたしー
それに、死んでも、こうして生まれ変わってきているし…」

「私は、悪役どころか、あなた達のために働いた
功労者だったと言えるんですよ!」

「それに、私だけに スパイという嫌な仕事をさせたのは
あなただったし、私は、その犠牲になったんだから…
これは…お互い様よね!」

「…ということは、私も悪くない、あなたも悪くないってことね!
だから、お互いに、どうってことないっ! そういうことよねっ!!」

…と、まあ…、こういうことになってしまいそうです。(笑)

もし、地上の人間達が皆こうなってしまったら
我々人間には、何の努力もしなくなってしまいます。

まだまだ地球人には、必要なことが沢山あるはずなのに
反省の気持ち、感謝の気持ちは無くなり、愛情も薄れてしまい
この地上での努力を何もしない。そういう人間になってしまいます。

当然、生きる目標も失っていますから、
この地上を生き、肉体の体験を重ねながら、
それを活かし、成長することが出来なくなってしまいます。

すると、やはり、前世の記憶が通常の状態では甦ってこないことは
とても大きな意義があり、とても素晴らしいことなんですね!
これは、「宇宙・自然の法則」 の一つの現われでもあると思うんです。

しかし、全く分からないという状態では、進歩の度合いも少なくなり、
肝心の、地上の人間としての目標の達成が危うくなってしまいます。
どうなるかと言いますと…

地上の物欲に翻弄され、人間は誰もが霊(意識・魂)であることや
肉体を脱いだときに 「あの世」の世界があることを忘れていきます。

また、死の恐怖も加速され、「この世」 限りと勘違いしたまま、
この地上世界を物欲中心で生きる方向へと進んでしまいます。

それを防ぐためには、
限定された、本当に必要な記憶だけを、
何らかの方法によって思い出すことが、
ある程度は必要になってきます。

どんが提案する 「内との対話」は、そのための一つの方法です。

●やはり、霊的背景はあった…

どんちゃんも彼女も知らない所に
二人は不思議な力で引き寄せられていきました。

そして、この 「地上という舞台」で、我々二人のために、
この日、特別に準備されたもの、と思うのですが…

背景(霊的)は、このために地上の適当な背景(情景)を探し出し
そこで、我々は計画・予定どうりの演技をさせられたようです。

何処かの誰かが、映画のロケ地を選んでくれて
そこに、我々二人は案内されて行き、
そこで、台本どおりの芝居をさせられた。

…というようなものですね。(笑)

「そのような設定をした者達は誰なのか?」
「何故、それをしなければならなかったのか?」
「そして、それらが意味するものは何なのか?」

もう、これらについては、何も言う必要はありませんね。(笑)

しかしこれは、実は、誰もがそういう芝居をさせられているようです。
「芝居をさせられている」 と思っていないだけのようですよ!(笑)

つまり、このようなことは、何も特別なことではなく、普通の日常で
いつも、そういう霊的背景の影響を受けて動かされているようです。

それに気がつくか、気がつかないかで、
その人の人生は大きく変わってくるはずです。

実は…、誰もが気が付いているのです。
ただそれが、明確に表で感じられないだけのようです。

●巧妙に仕組まれた舞台と、その舞台裏…

この「お芝居」の背景のことです。

「誰が台本を書いたのか?」
「巧妙に仕組んだ、その芝居の演出家は誰?」
「あのときの、大道具も小道具も、よく準備したもんだね!(笑)」

大道具=どんの車、車椅子、銀行の掲示板など
小道具=絵葉書、裏切り者の写真、黒猫の置物、木像の母子像など
ロケ地=明治神宮、讃岐会館、「和民」周辺、麻布から銀座の間

それに、ギャラ無しで芝居に参加協力してくれた
讃岐会館の人達、工事中の銀行にいた職人さん達、
通行人をやってくれたエキストラの人達もいました。(笑)
彼らの演技は、全く自然で素晴らしいものでしたよ!(大笑)
ありがとうございましたー!!!

でも、とっても不思議なことなんですが…
スタッフの姿は、何処にも見られませんでした。(笑)

また、台本も無いし、何も読まないのに
台詞は無線(テレパシー?)で教えてくれたようです。
おかげ様で、ぶっつけ本番でも、台詞は完璧だったようです。(笑)

前日、どんちゃんに言わせた、この台詞によって
この映画のロケが二日がかりになってしまいました。
どんちゃんが彼女に言った台詞は…

「明日も…会えるかなぁー…?」

でも、これも、決められていた台本の「台詞」だったんですね!

●新しい体験は、新しい霊的感覚を引き出す…

「彼女の体に触れるだけで、どうして行先が分かるのか?」
これは、触れなくても分かるのですが、車の速さに対応する
ためには触れた方が確実でした。

「どうして、透視が出来てしまうのか?」

この二つは、今回、初めて出来てしまったことです。
新しい体験をするたびに、新しい技が身についてきます。

●「うどん」好き

どんは、「うどん」 が大好きでした。彼女もそうでした。
当時の、あの島で食べていたものと似ているのかもしれません。
「うどん」 の、「どん」というもの、おもしろいですね!(笑)

●南の島への憧れ

今年の初め頃から、「南の島」についてのMM(メールマガジン)を
とっています。でも、ほとんど読んでいません。
「南の島」 というところだけが必要だったのかもしれませんね。(笑)

●彼女にとっては、どうだったのか?−−これは、どんの想像です。

「女海賊団のボスだった」 ということについては、半信半疑…?
でも、それを裏付けるような間接的な証拠(?)は一杯あった?

特に、大事だと思われることだが…

当時、人を傷つけたり殺したりしたことを悔やみ、
今回の地上では病院に勤め、今度は人を助ける方向で、
それらのカルマを解消しようとした…。

病院には苦しむ人が沢山いて、車椅子も置いてあり、血を見ることも
多い所だから、そういう場所を、わざわざ選んだ意味が分かってきた。

…と考えることも、…できなくもない。でも、違うかもしれない…。

一方、どんちゃんの方も…

中古の車椅子搬送車を買ってきて、無償の送迎サービスをしている。
また、今回は、何処かの誰かのために役に立つかもしれないと思い、
搬送者を譲ってくれた、その同じ人から古い電動車椅子を買ってきた。
やはり、過去世の体験を共有しているせいなのか…?

このときの 「内との対話の旅」 で、初めて、その車で来たのだが、
それは、古い電動車椅子を買い、それを乗せてくるためだった。
そうさせられて、あのような芝居をさせられてしまったようだ。(笑)

あの話は、本当かどうかは全く分からない…。
それを信じることも否定することも…、できそうもない。

でも、仮に、全ては、どんの創作であるとしたら…
この話は、あまりにも出来過ぎているような気がする。

創作だとしたら、あの異言(いげん)については説明できない。
あれは、自分と彼女の共通の過去世の言葉だと、とりあえずは、
そう考えるしかないようだ…。

過去世で縁があったと指摘された人達との関係を確認できるのか?
その人達も異言を話すことになるのだろうか?
そうでなければ、この話の信憑性は薄くなる。

しかし、縁があった人達と、仲良くできるのなら、
それに越したことはない…。

仲が良くなる キッカケが、この話であってもいいわけだ。

前世などは、あっても無くても、そんなことは、どうでもいいこと…。
今を楽しく生きられるための、その 「教訓話」としておくことが…
今は一番いいかもしれない…、とりあえずは…。

自分が今まで感じてきた霊的な体験も、
このときの体験からの方向で考えると、
その意味が分かってくるかもしれない。

霊的な感覚によって、自分や他人の人生が明るく楽しい
ものになっていくのなら、それを認めてもいいのではないか。
しかし、その方向に進むことが、今の自分にとって適切な
方向なのか…、それには自信がない。

どんな人にも霊感はあると言われている。
すると、それを使おうとしないだけの理由があって、
そういう現実となっているのだから、そういう人達に対して
積極的に、その方向に進ませることは、どういうものか?

過去世があるとするなら、自分の過去について
何処まで知ることが適当なのか?
必要なことは、必要なだけ現われる。ということのようだが…。

いずれにしても…

自分の内を知ることは、自分のためにはなっているようだ…
それが、人のためにもなることも理解できる。

どんが、「過去・現在・未来は、今の一点にあるために、
過去のことが、現在のことのように分かるのだ」 という説明は、
何となくだが、理解できそうな気がしている。

そして、未来についても、過去と同様に本当は分かるのだが
我々の、そういう表の想いとは反対に、それを見ることを
拒んでいるということも理解できそうだ。

説明・過去と未来を知ることについては
この話の中には書きませんでした。

この体験から、原因と結果の法則 「因果応報」 について
あらためて考えさせられた。意味のない出来事はないようだ。

また、その因果の法則は、地上と霊界とを通じて
決して途切れることがないことも、何となくだが
分かるような気がする。
そうなると、自分にとっての輪廻の意味も理解できる。

分からないことがある…

その日は命日だというが、刺客だったという彼は来なかった。
「どういう形で来るかは分からない」 と、どんは言ってはいたが、
来たような感じがしないのは、何故?

説明・彼女の過去世での肉体の痛みの再来は、
彼の意思と直結していますから、当然ですが、
彼の内の想いが、そのときの我々と共にあった、と言えます。
つまり、「彼は来ていた」 ということにしてもいいと思います。

どんは、彼女が 「内の世界で再婚する」 と言ったが…
何処の誰と 「内の世界」で再婚するのか?

説明・これについても話の中には書きませんでした。

以上のような、「どん流」 での想像をしました。
しかし、彼女の想いとは、かなり違うかもしれませんね。(笑)

★ どんの、とりあえずの結論

この話は、
やはり 「創作」 とするのが一番妥当だと思います。
こうして公開する場合、読者が作者の想いと同化しない限り、
受け入れがたいものと感じるのは当たり前のことです。

どんや彼女にとっては真実でも、
他人にとっては、そうではありません。

しかし、創作であっても、そこに真実らしきものが
含まれていると感じ、それに共鳴できるのなら、
それだけでも 「創作」の意味があったと言えます。

全てに意味があるはずです。すると、この創作にも、
何らかの意味があってもいいはずですね。(笑)

我々は、「物事を信じるか、信じないか」、「嘘か本当か?」
また、「間違いか、正しいか?」 という判断をしたがります。

宇宙の中の、ほんとうに小さい存在の我々に、
そういう判断・判定が適正にできるものとは、
ちょっと思われません。

現実の物質界では、選択するというような形で、
気楽に 「判断・判定」をしています。

それは、確かに、現実では必要なものではありますが、
そういう感覚のままで、その延長上に 「心の世界」 があると
考えることが、ほんとうに適正なものであるかどうか…。
我々は、それは十分に分かっているはずですね。

みなさんの 「心の世界」 が、本当は表を遥かに越えた、
実に素晴らしいものであること、それに気がつくための、
その お手伝いをしたいと思っています。

その行為によって、どんちゃんも、
自分の 「心の世界」を、より深く感じることになります。
つまり、これは自分の欲求を満たすためでもあるんです。(笑)

その欲求は、物欲的なものではなく、心の底から喜べるような
とても楽しいものです。
しかもそれを、みなさんと共有できるという、喜びもついています。

我々に、ほんとうに必要な喜びは、こういうものだと思っています。

★ さて…、かなり長い話になってしまいました。

我が家に戻り、うちの奥さんと中2の娘、
それに小5の息子に、この出来事を話しました。

うちの奥さんは、相変わらず半信半疑のような顔をしています。

娘は、かなり面白がって聞いてくれました。
特に、数年後には、元の母親である彼女と
再会することになるかも知れない、と話すと、
その場面を想像してか、とても恥ずかしそうでした。
でも、同時に、嬉しそうな顔もして喜んでいました。(笑)

息子は、というと…

テーブルと椅子の間に挟まって眠り込んでしまいました。(大笑)
後で、「話を聞いているうちに、寝てしまったね!」 と言うと…

「だってーっ! ほんと! つまんないんだもん!!!」(爆笑)

ところが、あの夜、彼女と車の中で対話していたとき
どんの携帯には、一度もかけてきたことが無かった息子から
初めて電話がきました。

息子の名前は、輪(りん)といいます。「輪廻転生」の輪です。
彼女との対話では、輪廻が話が中心になっていました。
彼は、そのことを、内で感じていたのかもしれません。

我が家に帰る途中でも、また、かかってきました。
彼は、内との対話が終わったことを確認したかったのかな?
そんなことを、勝手に都合よく想像していました。(笑)

帰り道、ハッ!と気がつきました!

輪は、ここ数ヶ月前から自作自演の歌を歌っていました。
その歌は…

「♪ おれたちゃ、かいぞくだんの、いちいんさ、いちいんさ! ♪」
(俺たちゃ、海賊団の一員さ、一員さ!)

これを、くどいほどに歌っていたんです。(笑)

しかし、それは、「ワンピース」 という
テレビのアニメがあって、その主人公の超能力少年が
海賊王になるという物語の影響だと思っていました。

そうかも知れません。でも、ひょっとしたら、
彼の内から表に出てきたものかも知れません。

輪に、よく聞いてみましたら…
歌詞は自分で考えたもので、何かの真似ではないそうです。

うーん…、やはり、輪(りん)は、「輪廻の輪」だったのかと、
一人で車の中で笑っていました。(笑)


そういえば、どんちゃんの携帯電話の着信メロディーにある
「島唄」 が大好きなんです。これは沖縄の有名な歌ですから
御存知の方も多いかと思います。

我が家では、その頃は、他には誰も、
この歌には興味を持っていませんでした。
彼だけが、奇妙なことに、これが好きなんです。(笑)
ドコモの携帯の中にある曲です。

では、最後に…、もう一度…

「♪ おれたちゃ、かいぞくだんの、いちいんさ、いちいんさ! ♪」

(終わり)

どん・どんちゃん


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