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スタニスラフ・ブーニン(Stanislav Bunin、1966〜、旧ソ連)

 
1983年ロン・ティボー国際音楽コンクール・ピアノ部門で優勝
1985年第11回ショパン国際ピアノコンクールで優勝、1世紀に1人の逸材とまで言われたことも
1986年以降:日本は「ブーニン現象」・「ブーニンシンドローム」、熱狂の渦と化した

スタニスラフ・ブーニンと言えば、やはり、1985年第11回ショパンコンクール(正式名:ショパン国際ピアノコンクール)で 他を圧倒するものすごい成績で優勝して合わせてポロネーズ賞とコンチェルト賞を受賞し、聴衆を熱狂の渦に巻き込んだことを 記憶している方も多いのではないか、 と思います。このとき、彼は弱冠19歳。このときのコンクールの模様は、NHKテレビでも特別番組を組まれて放送されるなど、 クラシック界の出来事としては異例の扱いを受け、それがきっかけに話題が話題を呼んで、遂に1986年来日公演時では、 我が国全体がブーニンの話題で沸き返り、大きな社会現象を引き起こすまでに至りました。

これは、ブーニンシンドローム (またはブーニン現象)とも呼ばれ、クラシック界のピアニストとしては異例の人気を博すなど、ブーニンは、 クラシック界の寵児、スーパースターとして押しも押されもしない確固たる地位を築き上げたとも思われました。 この年の我が国のクラシック界の話題は彼1人によって独り占めされてしまったと言っても過言ではないように 思われるほどでした。もともとクラシック界は専門家やクラシック音楽通を初めとする権威の閉鎖性の強い世界と思われているため、 一般人の入り込む余地が少ない(と思われているだけですが)のが現状ですが、ブーニンは、そんな気難しい本格的ファン だけでなく、若い世代を中心にして、より多くの一般的なファンをも獲得して一大旋風を巻き起こしてしまいました。

当時、僕は中学生だったのですが、ピアノを知らない学校の友達や塾の先生 までもが、彼の名前を知っていることに驚いたのをよく覚えています。 卑近な一例ですが、社会全体の縮図を見ているようで、少年ピアノ弾きの1人としてもショパン音楽ファンの1人としても そのことを実感せずにはいられませんでした。 我が国でこれほど一般的知名度を獲得したピアニストはその他キーシンをおいて他にいないと思われます。彗星のごとく 現れた、というよりなるべくしてなったクラシック界の大スター誕生でした。

「なるべくしてなった」というのは、実は、ショパンコンクールで優勝する2年前の1983年のロンティボーコンクールでも 史上最年少の17歳で優勝を果たして(このときは、まだモスクワ音楽院に進学しておらず、ソ連最高の初等教育期間である 「チャイコフスキー記念モスクワ音楽院付属中央音楽学校」の学生でした)、その才能と実力を知られていたからでもあり、また、 彼が非常に恵まれた音楽の血筋を受け継いでいるからでもあります。 彼の父方の祖父は、ロシアの大ピアニスト、スヴャトスラフ・リヒテルやエミール・ギレリスを育てた名音楽教師にして 偉大なピアニストでもあったゲンリッヒ・ネイガウスであり、彼の父は、やはり素晴らしい音楽教師であり優れた ピアニストでもあった、スタニスラフ・ネイガウスでした。また、遠く祖先をさかのぼると、ポーランドの偉大な作曲家、カロル・ シマノフスキの血筋も受け継いでいると言われています。また彼の母親もモスクワ音楽院付属中央音楽学校の名ピアノ教師であり、ブーニンは、母親からピアノの 手ほどきを受けたことが、ピアノを弾き始めるきっかけとなったようです。ショパンコンクール翌年の来日公演時には、 特別インタビューもあったように記憶していますが、ブーニンの発言の中には、母親の教育に感謝する言葉が多数見られたのが 印象に残っています。幼くして父親スタニスラフ・ネイガウスを亡くしたブーニンは、その後、母親の影響を強く受けながら 育ってきたのではないか、と思われます(一部ではマザコン説もあるようです)。

また、彼の受けた教育も旧ソ連国内では最高のもので、チャイコフスキー記念モスクワ音楽院付属中央音楽学校では、 名教師エレーナ・リヒテル氏(20世紀の巨匠スヴャトスラフ・リヒテルとは無関係)に師事し、モスクワ音楽院に進学後は、 名教授、権威として名高いセルゲイ・ドレンスキー教授に師事しています。ドレンスキー氏は当時既に教授会の最高権力者に なっていたようで原則として生徒を取らなかったそうですが、天才ブーニンだけは才能が特別ということもあり、 例外だったそうです。まさに、家系や血筋もエリートなら受けた教育もエリートというわけですね。

ところで彼の演奏は、一聴すると独創的な解釈に貫かれているように聴こえますが、その根底に流れる血は 上記のように音楽一家の血筋を引いており、まさに、血統書つきのサラブレットでもあるわけです。その驚異の 音楽的才能に彼が持ち合わせた天性のスター性が見事に後押しし、さらにはマスコミの威力までも味方につける ことにより、クラシック界前代未聞のスーパースターがここに生まれたというわけです。

確かに彼のスターとしての素質は天性のものであると思わずにはいられない要素は多々ありました。 演奏会でのサービス精神はもちろんですが、その演奏内容においても話題性には事欠きません。 優等生的なコンクール出場者が多い中、彼は革新的で個性的な演奏を聴かせて、コンクールの 話題を独り占めしました。また、彼は、演奏時のパフォーマンスも非常に面白く、彼の表情や身体の動きを 見ていると、そこに役者性を感じてしまうことも度々ありました。表情豊かで見ていて視覚的に面白いということは、 これほど多くの聴衆を魅了する力にもなるのだと痛感した次第です。

演奏内容については、ブーニンの演奏は時として伝統的なショパンの演奏スタイルの常識を 打ち破ることもありましたが、その演奏が受け入れられたのは、時代の要請でもあったのでしょう。 その表現は斬新かつ新鮮で想像力に富み、聴くものを魅了したのです。磨きぬかれた完璧な テクニック、切れ味鋭いリズム、美しいソノリティを武器に、極めて斬新で自由闊達な表現を 繰り広げます。ショパンコンクールの第2次予選で弾いた快速のワルツ第4番は衝撃的な演奏でしたし、 ポーランドの民族精神を高らかに歌い上げた英雄ポロネーズのスケールの大きさは見事でした。 その一方で、第1次予選で聴かせてくれたスケルツォ第4番は彼の研ぎ澄まされた感性と 抜群のリズム感を前面に押し出し、切れ味鋭い超絶的な名演奏となっていました。

これらの演奏を聴いて鳥肌の立つほどの感動を覚えたショパン音楽ファンの方々は、きっと彼の前途に 大きな期待を抱いたと思いますが、「世紀の大天才」と 呼ばれた割には、現在の音楽界で高い評価は得られていないようです。 僕が最近の彼の演奏を聴いて強く感じるのは、かつての若々しい覇気が失われた代わりに 演奏の恣意性が増していることです。その「ブーニン節」とでも名付けたいほどの 持って回ったような独特の節回しには、思わず小首を傾げたくなるのは僕だけではないでしょう。 彼は本来非常に美しい音色と抜群のキレをもつ不世出の天才だったはずですから、あまり奇をてらわずに 自然に演奏してくれれば、それだけで名演奏が実現すると僕は考えています。そこが何とも残念で ならないです。

もう一度初心に帰って、再出発して欲しい、と願っているのですが・・・

参考文献:カーテンコールのあとで

※これは、ブーニン自身が自らの四半生を綴った自叙伝です。 1985年第11回ショパンコンクールで聴衆からの圧倒的な人気と素晴らしい成績で、文句なしの優勝を勝ち取った「世紀の天才ブーニン」 とは、一体どんな人なのか?どんな音楽教育を受けたのか?どんな考え方をする人なのか? ショパンコンクール前後の心境はどうだったか?そのような様々な疑問を持ったファンの方々には、是非本書を手にとっていただき たいと思います。ブーニンの想像力溢れる個性豊かなピアノ演奏の源となる様々な体験が、彼自身の演奏からは分からない 私的な出来事に至るまで赤裸々に綴られています。 彼の音楽体験の土台となった旧ソ連・共産主義体制に対してのブーニン自身の 姿勢は実に毅然としたもので、彼の文才が長けているのか、翻訳者の方の名訳によるものか、非常に辛辣で鋭い文体となっている のが大きな特徴です。一部どう考えても大げさな表現と思われるものはありますが、彼一流のウィットに富んだ言い回しには 憎めないユニークさがあって、なかなか楽しませてくれます。 ブーニンは実はリヒテルを尊敬していた、とか、ショパンよりもシューマンの方が得意だった、などという 意外な事実にも触れられていて、彼の内面を理解するのに大きく役に立つ一冊です。 これを読めば、皆さんも「ショパンコンクール 優勝」の気分が味わえる?!

「カーテンコールのあとで」についてもっと詳しく知りたい方はこちら

スタニスラフ・ブーニン・ディスコグラフィ

衝撃のショパンコンクールライヴT

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収録曲:
本選
ショパン・ピアノ協奏曲第1番ホ短調Op.11(ストルガワ指揮ワルシャワ国立フィル、85年録音)

この演奏の模様は、我が国で「ブーニン現象」が起こった1986年(ショパンコンクールの翌年)、NHK教育テレビでも ノーカットで放送され、その番組の録画も手元にあります。既にワルシャワの聴衆から絶大な人気と支持を得ていたブーニンですが、その最後をしっかり決める 意味でも本演奏にかける意気込みと緊張は凄まじいものだったのだろうと想像しています。しかし、そんな僕の想像とは反対に、 ブーニンはこの作品を落ち着いて弾き進めていきます(テンポそのものは速めですが、「音楽の運び方」が落ち着いています)。 ブーニンの持ち味である硬質で磨き抜かれたシャープな音色はここでも冴えていて、一つ一つの楽想が確かな手応えをもって くっきりと明確に弾き上げられていきます。コンクール本選の異様な空気、熱気といったものは背後から感じられますが、 そんな異常な状況の中で、これだけ落ち着いたスケールの大きな演奏ができるブーニンは、やはり素晴らしい役者、スターです。 プレッシャーに押しつぶされて、演奏がガタガタに崩れていく実力者が多い中、ブーニンは最後までこの曲を美しく完璧に 弾き上げた、その事実はブーニンが音楽的才能だけでなく、プレッシャーを自分の味方につける術を既に身につけていた、 ということをも示しているような気がします。ミスタッチはたくさんありますが、音楽のつくりそのものは確かな質感と構成感が 感じられ、聴き終わった後の充実感があります。…この曲は、第3楽章の最後、ピアノがホ長調の音階を猛烈なスピードで 駆け上がっていった後、管弦楽のトゥッティで幕を閉じるのですが、ブーニンが弾き終わった時点では、管弦楽がまだ 最後の和音を鳴らそうとしているところなのに、「フライング拍手」が盛大な拍手とブラボーと悲鳴が一気に湧き上がるところは 何回聞いても感動します。 「ブーニンさん、あなたの演奏は素晴らしかった!あなたの優勝、やはり間違いなしです!」と、待ちに待った意思表示の瞬間が やってきたというところでしょうか。ワルシャワの聴衆は、こうした歴史的瞬間に立ち会えることを大きな 喜びにしているのだと思います。というわけで、このCDは、ブーニンの有終の美を飾るショパンコンクール本選の模様を 収めた貴重な記録です。

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収録曲:
第1次予選
ノクターン第5番嬰ヘ長調Op.15-2
エチュードハ短調Op.10-12「革命」
エチュード変ニ長調Op.25-8
スケルツォ第4番ホ長調Op.54
第2次予選
プレリュード第13番嬰ヘ長調
プレリュード第14番変ホ短調
プレリュード第15番変ニ長調
プレリュード第16番変ロ短調
プレリュード第17番変イ長調
プレリュード第18番へ短調
バラード第4番へ短調Op.52
ワルツ第4番ヘ長調Op.34-3
ポロネーズ第6番変イ長調「英雄」

上記のように、この1枚のCDには第1次予選と第2次予選の全曲目が収録されています。 第1次予選のノクターン第5番から、ブーニン特有の硬質でシャープで目の覚めるような冴えに冴えたピアノの音色が堪能できます。 ノクターンは、極めて冷めた感覚で緊張のためかやや硬い印象がありますが、「革命」は力強い華麗な演奏で、ここにきて少しずつ エンジンがかかってきたのが分かるようです。ただ次の6度の難しいエチュード(Op.25-8)はややミスが多く立て直そうとするうちに 終わってしまったような感じですが、最後のスケルツォ第4番は、目の覚めるような素晴らしい演奏でビックリです! ブーニン自身も後にこの演奏を振り返って、「我ながら納得できる演奏」と満足していたとのことです。このスケルツォ第4番は、 ショパンコンクールという特殊な状況が生んだ名演奏と言えるでしょうね。未来永劫、語り継がれることになると思います (実を言うと、僕自身、スケルツォ第4番は聞き飽きるほど多くのピアニストの演奏を聴いてきましたが、僕の中でこれを 凌ぐ演奏にはまだ巡り合えていないです)。 次の第2次予選は、13番〜18番の6つのプレリュードから始まりますが、こちらもやや硬いかな?という感じがします。 遅めのテンポで「冷めた感覚の現代的ショパン演奏」という印象です。しかし、バラード第4番辺りからエンジンがかかってきた ようで、次のワルツ第4番はエンジン全開、それ以前誰も弾いたことがないような超特急テンポの演奏で、ワルシャワの聴衆を翻弄するかのような、 全く型破りの新感覚のショパン演奏として、それ以後も大きな話題になりました。その場に立ち会った聴衆の方は、この演奏を聴いて 一体どう思ったのでしょうね?このワルツを弾き終わると、プログラムの途中だというのにその演奏のあまりの素晴らしさに、ワルシャワの聴衆は黙って次の曲を 待つことができず、拍手が沸き起こったんですよ。よほどのことがない限り、このようなことは 起こらないことですよね。ブーニンはその聴衆の1人から花束を受け取り、それをピアノの上において、最後の英雄ポロネーズを 弾き始める…その演奏の素晴らしいこと!ミスは若干ありますが、ノリにノった演奏で、この曲に込められた ショパンの誇り高き民族精神、祖国を愛するプライドは、そのままブーニン自身の誇り高き凱歌、勝利宣言となって、ワルシャワの聴衆の前に 高らかと響き渡るかのようでした。本当にこれを聴いていると、ブーニンに感情移入してしまって、泣けてきます。 そして、最後の変イ長調の和音が高々と鳴り響くと同時に、ワルシャワフィルハーモニーホールが本当に割れてしまうのではないか、と 思われるほどの盛大、怒涛の拍手が一斉に沸き起こり、僕なんか、この会場に居合わせていたら、この瞬間にブーニンの 優勝を確信したと思います。可哀想なのはその後に弾かなければならなかった他のピアニストたちですね。とにかく、これは ブーニンが起こした「奇跡」の一部始終が会場の熱気とともに収められた貴重な記録です。ショパンコンクールの歴史に 新たな1ページを作った奇跡の人ブーニンの伝説は、このCDを通して未来永劫語り継がれていくことでしょう!

ショパン・バラード全曲・スケルツォ全曲・エチュードOp.10 & 25

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更新履歴
2002/10/** 初稿
2005/07/04 CD評追加
2005/10/03 説明文一部追加更新

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