連合艦隊

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ミッドウェー海戦

南雲忠一の武士道

1942年太平洋の覇権を賭けて、二人の提督がぶつかり合う。一人は、日本の南雲中将。もう一人はアメリカのフレッチャー少将。二人は別々の場所から同じテーブルを見つめていた。今、二人の歴史家が、それぞれの立場に身を置き、その戦略と戦術、決断、苦悩、そして問題点を分析する。さらに、日米の兵器、技術、火力を比較し、ミッドウェー海戦での日本の敗因を探る。

1942年5月、世界最強の艦隊が、日本を出撃した。指揮官は南雲忠一。海軍史の専門家、アンドリュー・ランバート教授が南雲中将を分析する。

アンドリュー・ランバート教授「命令に忠実で、有能だった南雲は順調に出世しました。作戦を正確に実行する。それが彼の最大の強みであり、最大の弱点でした。彼は独創的な人間ではなく、融通が利かず、物事を逆から見る能力に欠けていたため、不測の事態に、簡単に足元をすくわれてしまったんです。」

南雲の任務は、アメリカ太平洋艦隊の壊滅。それは彼にとっても、やり残した仕事であった。わずか数か月前、南雲は真珠湾でアメリカ海軍に大打撃を与えたものの、その結果に満足してはいなかった。南雲が目標としていた航空母艦は、そのとき(真珠湾攻撃のとき)、湾外にいて無傷だった。

アンドリュー・ランバート教授「任務は完了していませんでした。攻撃目標を誤ったんです。日本軍が爆撃した戦艦はスピードが遅すぎて使い物にならず、戦闘機も簡単に補充できました。アメリカの空母が湾内に一隻もいないのを知って、日本軍はあわてました。アメリカが反撃の武器を持っているということですから。」

南雲のように、武士道が身体に染みついた者にとって、それは、受け入れがたいことであった。

アンドリュー・ランバート教授「武士道には、一撃必殺という言葉があります。攻撃するときには、必ず息の根を止めなければならない。侍がばっさり相手を刀で切るのは、相手がやり返してこないようにするためです。」

ここで日本軍は、アメリカ艦隊を一気に叩き潰す作戦に出た。作戦の成否は、両国の中間に位置する太平洋の島にかかっていた。ミッドウェー島である。一見、何の変哲もないこの島は、アメリカの重要な前哨基地であり、戦争中は、海軍の補給基地として使われ、日本にとっては、最大の障害であった。そこで日本軍は、ここに南雲艦隊を送り、上空から爆撃して島を攻略する計画を立てた。そして、アメリカの空母を真珠湾からおびき出し、島の奪還にやって来たところを叩き、敵の戦意を喪失させようと考えたのである。最後は、待機していた日本の主力戦艦がその強力な主砲で米空母を撃滅する。

日本軍の戦闘機と魚雷の優位性

日本の戦闘機は航続距離が長く、戦艦の主砲は水平線の彼方まで射程を持つ。魚雷は、アメリカ軍から長い槍と呼ばれ恐れられていた。この魚雷は、気泡による航跡の問題を解決した新式であった。従来のものは、圧縮空気を推進力としていた。だが、空気中に酸素は21パーセントしかなく、残りの窒素は気泡となって排出されるため、位置が補足されやすいという難点があった。そこで日本軍は、酸素のみを使い、気泡による航跡が目立たない魚雷を開発したのである。しかも、航続力に優れ遠くの敵に不意打ちを食らわすことができた。

性能の面でも火力の面でも、日本海軍に敵はいなかった。特に、真珠湾で戦艦の大半を失ったアメリカ軍は、恐れる相手ではなかった。かたや、わずかな空母で日本と戦うことを期待されたのは、フラップ・J・フレッチャー少将である。アメリカ海軍史の専門家、オブライエン博士が、フレッチャー少将を分析する。

フレッチャーと南雲

オブライエン博士「フレッチャーについていえば、普通の人間、陽気で酒を楽しむ男。歴史家の中には、そのことで彼を批判する人もいるようですけどね。凡庸で消極的というのが、歴史のなかでの彼の人物評です。フレッチャーは極めて困難な状況にいました。多勢に無勢という不利な状況下で、指揮官になったんです。アメリカには戦艦は一隻もありませんでした。つまりこれ以上、損失を拡大できない状況にあったわけです。もしフレッチャーが、たった一隻の空母でも失えば、戦局は大きく違っていたでしょう。アメリカ海軍は壊滅状態に陥ったはずです。」

日本艦隊の指揮官、南雲中将は勝利を確信していた。

アンドリュー・ランバート教授「日本は半年間、連戦連勝でした。負けるなどとは思いもしなかった。アメリカを叩き、イギリスを叩いた日本以外に、世界の覇者はいない。開戦以来負け知らずの自分たちが、一番だと思っても当然です。」

アメリカ軍のダメージコントロール能力

ミッドウェー海戦は、南雲に当然の勝利を、フレッチャーには、大敗をもたらすかに見えた。指揮官を命じられたフレッチャー少将には、船さえもなかった。彼の空母ヨークタウンは、わずか3週間前、珊瑚海で、日本の爆撃を受けていたのだ。船体が被弾し、浸水していた。そこでアメリカ軍は、直ちに応急修理をした。防衛アナリストでもあるエリック・グローブ教授が、米国海軍の戦闘シミュレータを使って、フレッチャー艦隊の乗組員たちのテクニックを研究する。これは、船にロケット攻撃を受けたときのシミュレーションである。すべきことはただ一つ、船を沈没から救うこと。

エリック・グローブ教授「穴に木の杭を打って浸水を防ぐのは、航海を始めたごく初期のころからある有効な方法です。ヨークタウンが被弾したときには、かなり深刻なダメージで、大急ぎで修復作業に入りました。火を消し、穴を塞ぎ、船をだめにする危険をすべて取り除いて、ヨークタウンを救ったんです。日本の船はまさに、その危険によって沈んでしまいました。」

アメリカ軍はこの方法を使って、日本軍から受けたダメージをほとんど修復することができた。アメリカ軍は、ダメージコントロールのプロだったが、日本軍は違っていた。

エリック・グローブ教授「考え方の違いでしょう。日本の海軍には、やられるという認識がなかった。やられたら即座にやり返す。修復などあとで、エンジニアに任せればいい。だから応急修理の訓練を受けた者は、ほんの数人しかいなかった。応急作業員の人手が足りなかったんです。それに、乗組員はみな、上からの指示を待って行動するように訓練されていました。アメリカの海軍とは大違いですよ。アメリカ軍は下士官でも責任者になった。組織的能力というか、危機管理能力に優れています。乗組員が訓練を受け、すぐに仕事に取り掛かるので、ダメージコントロールも機能する。だから、ぼろ船でも簡単には沈まなかったんです。」

フレッチャーは、深刻な損傷を受けたヨークタウンを、修理のために、真珠湾に帰投させた。修理には何週間もかかりそうで、それでは、南雲率いる4隻の空母に対して、たった2隻の空母で立ち向かうことになってしまう。ヨークタウンがぜひとも必要だった。そこで、わずか24時間で修復することになったのである。1,400人が不眠不休で作業にあたり、再度、戦いに赴く準備を完了した。

オブライエン博士「ヨークタウンの修理は、第二次大戦中、最も重要な修理でした。あれほどドラマチックな修理はほかにありません。戦局を左右する大事な戦艦を、突貫工事で見事に修理したんですからね。」

これで、フレッチャーは、もう1隻を戦列に加えることができた。乗組員は修理もできる。来たるべき戦闘に、大きな利点であった。

ロシュフォート中佐の暗号解読

何といっても、最大の功労者は、44歳の数学者、ジョセフ・ロシュフォート中佐だ。

オブライエン博士「服装には無頓着で、靴は汚れていました。変わり者ですね。彼とそりの合わない上官もいました。」

ロシュフォート中佐率いる暗号解読班は、太平洋戦争のかげのヒーローである。彼らは、日本軍の無線の傍受に何か月も必死で取り組み、日本海軍の暗号通信を15パーセント程度解読できるようになっていた。そして日本が、AFという場所を攻撃する計画であることを知る。ロシュフォートは、ミッドウェーのことだとあたりをつけたが、確信はなかった。そこで、日本側から直接その答えを得ようと画策する。

オブライエン博士「彼らは、日本を罠にかけるために、ミッドウェーの海水のろ過装置が故障したと平文ひらぶんで電信したんです。そしてそれに続いて日本が打った暗号文に、攻撃目標にろ過装置を持って行くべしという内容を見つけて、AFがミッドウェーで間違いないことを突き止めたんです。端に暗号を解読しただけでなく、日本軍を操作して、その攻撃目標まで突き止めたというわけです。」

仕掛けられた罠

日本の攻撃目標を知ったフレッチャーは、直ちに待ち伏せ作戦に入る。彼らは、ミッドウェー島の北東約600キロの、ポイントラックと名付けた地点に向かった。

オブライエン博士「ポイントラックは完璧な場所でした。ミッドウェー島の北東にあるので、北西からやって来た日本軍が、真っ直ぐミッドウェーに近づいたところで、アメリカ軍は自分たちが敵に見つかるより先に、敵の艦隊を発見できる。アメリカ軍にとって、とっておきの切り札でした。」

また、ミッドウェー基地には、大きな燃料タンクを積んだ哨戒機が配備され、広範囲に偵察することができた。日本艦隊の位置を掴んだフレッチャーは、すぐさま作戦行動を開始。彼は、日本軍の爆撃機がミッドウェー基地を攻撃し終わるまで、日本空母への攻撃を待った。

オブライエン博士「ミッドウェー基地に汚れ仕事をさせたんです。もちろんそれは、非常にうまくいった。日本の爆撃機がミッドウェー攻撃を終えて、空母へ戻って再装備をする、その隙を狙って奇襲攻撃をしようという作戦です。つまり待つことに意味があった。日本軍が手の内を明かすように仕向けたんです。」

ミッドウェーは、フレッチャーに大きなチャンスを与えた。島が、彼の4番目の空母になったのだ。彼は、ミッドウェー島から、最初の攻撃をかける。アメリカ軍は密かに、100近い戦闘機を補充して、ミッドウェーの攻撃隊を強化していた。罠は、仕掛けられた。

偵察の差

6月4日、午前4時半。南雲艦隊は、真っ直ぐミッドウェーへ近づいていた。そして、敵に不意打ちを食らわすつもりで、偵察機を数機出す。

アンドリュー・ランバート教授「もちろん南雲は、アメリカの空母がいるとは思っていません。一隻もいないことを確認するために出したんです。彼の作戦では、敵は明日か明後日に来る予定でした。」

南雲は、50万平方キロ近い海上を、たった7機で偵察させた。一機当たり、四国の3倍近い広さを偵察しなければならない。そのため、アメリカの空母が待ち構えているのを、見落とした。不十分な偵察によって、南雲は、一刻を争う戦場で、貴重な時間を無駄にしたのだ。

オブライエン博士「日本軍は、非常に好戦的です。ということは偵察を、軽視する傾向があったんです。とにかく出撃して攻撃するのが一番だと信じていました。いっぽうのアメリカ軍は、大変な努力をして日本艦隊の居場所を突き止め、それが重要なアドバンテージになったんです。」

フレッチャーは、南雲の4倍の数の偵察機を送り出した。ミッドウェー島だけで、22機の飛行艇が発進。航続距離が長いこの飛行艇は、日本機の5倍も広い範囲をカバーした。しかも、飛行艇の互いの間隔は、日本の偵察機よりも狭く、敵を見つけるチャンスは、それだけ大きかった。

最初の一手

フレッチャーの作戦は功を奏した。6月4日、午前5時30分。一機が無線で、感動的な報告を送ってきた。南雲の空母を見つけたのだ。アメリカは、日本の爆撃機がレーダーゾーンに入るのをじっと待った。

ミッドウェー島から発進した
米海軍雷撃機隊は、飛来
した日本の爆撃機隊の北
東を北上。日本の爆撃機
隊を迂回して南雲艦隊へ進行した。
そして、島に待機中の全機に、出撃命令を出す。このアメリカ軍のパイロットのほとんどには、戦闘経験がなかった。それでも、彼らは真っ直ぐに、日本の空母に向かって行った。奇襲を仕掛けたはずの日本軍が、奇襲されたのである。だが、アメリカの雷撃機は、南雲の空母に近づいたものの、任務には失敗した。経験の浅いパイロットたちは、日本の強者つわものに歯が立たなかった。

オブライエン博士「アメリカの雷撃機のパイロットたちは、相当な覚悟が要ったと思います。魚雷を発射させるには、低空飛行するので敵に見つかりやすい。船に突っ込んでいくときには、日本の優秀な戦闘機に間違いなく見つかってしまいます。ミッドウェー海戦で戦死したアメリカ兵は、ほとんどがそれです。」

日本が撃ち漏らした雷撃機は、たった3機だけであった。アメリカの魚雷は、一発も命中しなかったのである。南雲の目には、楽に勝てる相手に映った。

アンドリュー・ランバート教授「南雲は、これがアメリカ軍の実力なら、日本の勝利は確実だと思ったでしょう。敵はありったけの爆弾を投下したが、一発も命中できず、我らの戦闘機は優秀だ、とね。」

南雲の誤算

しかし、南雲の計画通りに、事は運ばなかった。日本軍の爆撃機は、島の守備隊を壊滅させ、占領の足掛かりを築くはずだった。だが、その計画は見破られていた。爆撃機は対空砲火を浴びて、大損害をこうむるのである。かくして、南雲部隊はまたもや任務を完遂できなかった。ミッドウェーの防衛を打ち破ることはできなかったのだ。

アンドリュー・ランバート教授「南雲の問題は最初からはっきりしています。アメリカ軍が備えていたことです。真珠湾の二の舞にならないように、万全の準備を整えていました。攻撃隊のリーダーだった友永ともながじょういちは第二次攻撃の必要ありと伝えました。空中戦ではひとまず成果を上げたが、爆撃機の高性能爆弾で、地上撃破をすべきだと言ったんです。」

南雲はこれを受けて、再度ミッドウェー攻撃のために陸用爆弾を装備させていたころ、驚くべきしらせが入る。偵察機が、わずか400キロ先に敵の空母を発見したのだ。南雲は混乱した。空母はまだ真珠湾にいるはず。これでは予定と違う――。

アンドリュー・ランバート教授「たった一つの電文で、世界がひっくり返ったんです。」

南雲は、ミッドウェー島への攻撃を諦め、先に敵の空母を攻撃しなければならない。しかし、それは難しい選択だった。直ちに爆撃機を発進させたとしても、積んでいる爆弾が、適当ではないのだ。かといって対艦爆弾に積み直せば、最低でも1時間はかかる。果たして、間に合うかどうか。

アンドリュー・ランバート教授「こういう状況は、南雲にとっては苦手です。彼は想定外の場面で決断を迫られたのです。何か手を打たなければなりません。柔軟に、素早く、そして断固として、決断しなければなりませんでした。」

――南雲は通常の手順に従い、爆撃機の爆弾を降ろさせ、魚雷を積むように命じる。しかし、これは致命的な決断だった。

海軍史のグローブ教授が、この重大な局面を分析する。

グローブ教授「日本軍は、陸用爆弾から、魚雷に再び兵装転換しなくてはなりませんでした。つまり、全機を格納庫に戻して、爆弾を積み直すということです。もちろん急がないといけないので、取り外した爆撃機の爆弾をしまわず、横に積み上げて、新しい爆弾を装着していました。この問題点は、何機もの武装した爆撃機と大量の爆弾が、格納庫内に一緒に置かれていたということです。」

さらにまた、これらの爆弾の隣に、大量の可燃性の液体、つまり、航空機の燃料があった。

グローブ教授「当時の海軍の飛行機の扱い方は、今から見ればひやひやものです。まず、燃料がガソリンで危険です。非常に爆発しやすく、現代なら、空母内で使用することなど許されません。今の燃料は違いますよ。パラフィンが主体で、もっと燃えにくいです。」

飛行甲板に出そうとしたそのとき、東から、フレッチャーの爆撃隊が接近。南雲にとっては最悪の瞬間だった。いまや飛行甲板は、飛行機の発艦のために必要だった。爆撃機は、格納庫に留め置かれた。それこそが、フレッチャーの思うつぼだった。いよいよ、アメリカが攻撃する番だ。爆弾と、燃料満タンの爆撃機でいっぱいの格納庫へ一発でも命中させれば、船を木っ端みじんに吹き飛ばせる。ただし、南雲艦隊に接近するフレッチャーの攻撃隊に、戦闘機の援護はなかった。彼らは、勇猛果敢に攻撃を仕掛けたが、日本の零戦の前に、次々と撃ち落とされる。

オブライエン博士「全員撃ち落とされました。雷撃機の乗員にとっては最悪の日でした。スピードが遅すぎて、簡単に狙い撃ちされてしまうんです。でも、彼らは勇敢でしたよ。優秀な零戦の攻撃にさらされながら、敵艦に真っ直ぐ向かって行ったんですからね。でも打撃を与えることはできませんでした。一隻も破壊することができなかったんです。」

アメリカ軍は、貴重な機会を失った。

南雲の反撃

今度は、南雲が攻撃をかける番だ。南雲は、船を風上に向け、攻撃隊出撃の準備に取り掛かる。あと45分あれば、格納庫から爆撃機を出して、出撃できるのだ。

悲運の雷撃機が発進してから90分後、フレッチャー少将は第二次攻撃隊を出撃させた。17機の急降下爆撃機には、それぞれ1,000ポンドの爆弾を搭載。今度は、戦闘機が援護のために近くにいた。彼らを迎え撃つのは、恐れを知らぬ零戦のパイロットたち。

オブライエン博士「アメリカ軍の戦闘機は、日本ほど性能が良くないんです。日本の零戦は素晴らしい戦闘機でした。空母もそうでしたが、とにかく、非常に威力がある。20ミリ機銃を搭載し、本当に圧倒的に強い戦闘機でした。」

零戦の弱点

日本の空母に接近してくる17機のワイルドキャットに、20機の零戦が襲い掛かる。アメリカにはないように思われた。だが、無敵の零戦にも、弱点はあった。爆発物の専門家、シドニー・アルフォードがデモンストレーションをする。

シドニー・アルフォード「第二次大戦時の日本軍の戦闘機を再現してみましょう。このペットボトルを燃料タンクとします。中身はガソリンです。今からあれを、空気銃の弾で撃ってみようと思います。爆発性の弾です。さてどうなるでしょうか。

火が付きましたね。あんな風に燃料タンクが火を噴く飛行機に、乗りたいと思います?」

タンク内で気化したガソリンは、爆発しやすく、一発でも被弾すれば、飛行機は墜落した。

シドニー・アルフォード「これが、攻撃することしか考えない、といってもいい、日本軍の戦闘機なんです。安全性は二の次でした。軽さ、速さ、破壊力、そして何よりパイロットが命知らずであることが、当時は大事だったんです。」

サッチ・ウィーブ

アメリカ軍の哲学は違った。戦闘機はより安全に設計されており、機体は頑丈で、防弾性能にも優れていた。タンクの内側には、ゴムの袋が仕込まれ、なかの燃料が減るにつれて、それを包むように、ゴムの袋も小さくなった。燃料の気化を防ぐためである。こうした工夫で、アメリカの燃料タンクは日本のより引火しにくくなっていた。

この利点を生かしたのは、ジョン・サッチ中佐であった。彼は、果敢に攻撃を仕掛ける零戦に、ある戦術で対抗したのである。彼は部下たちに、編隊を崩し、2機ずつペアで飛ぶよう命じた。一機がおとりになり、零戦の攻撃を一手に引き受ける。そこで、2機のアメリカ機は、お互いに位置を変える。そしてすぐにまた、位置を変える。こうすることで、2機目が、零戦を真っ直ぐ捉えるのだ。この戦法を、サッチ・ウィーブという。零戦は大いに慌てた。

サッチ・ウィーブ

2機のペア
で飛行
1機が敵の
攻撃を引き受ける
前方で交差
し位置を変
える
ペアの一方が
方向を変え、射撃好適位置へ移動
敵を補足し、
撃墜

オブライエン博士「日本軍はその対応に苦労しました。この戦術は、この海戦で初めて使われたんです。」

続く数分間で、サッチの戦闘機隊は、日本軍のパイロットに報復した。彼らは4機の零戦を撃ち落とし、味方の急降下爆撃機を救ったのだ。

オブライエン博士「戦闘空中哨戒をしていた零戦は、サッチの部隊を相手に苛つき、敵の急降下爆撃機を探している余裕はありませんでした。数機しかないワイルドキャットが、サッチウィーブ戦法で零戦をきりきり舞いさせたんです。」

南雲艦隊への致命打

いまや、南雲艦隊を狙うフレッチャーの急降下爆撃機を邪魔する者はなかった。アメリカ軍は、真っ直ぐ南雲の空母に向かってぎりぎりまで降下していた。

アンドリュー・ランバート教授「彼らが攻撃を開始するや否や、日本軍は、これは大変なことになったと悟ったはずです。というのも、急降下してくるパイロットたちは、ミッドウェー基地から飛び立った新米ではなく、プロのパイロットでした。」

南雲は、なす術もなく見ているしかなかった。まず、空母加賀に4発の爆弾が命中した。ブリッジが吹き飛び、たちまち航行不能に陥る。1分後、今度は蒼龍に命中。南雲の乗った赤城と、もう一隻の空母(飛龍)が必死に回避行動をとる。

アンドリュー・ランバート教授「上空を見上げる日本軍には、投下される爆弾が見えたことでしょう。全ては、スローモーションのようだったと思います。避けられない悪夢でした。日本軍の空母は、大型で小回りが利きません。赤城は42,000トンもあるので、28ノットという速度でも、進路を変更するのは容易ではありませんでした。アメリカ軍の身軽なドーントレス急降下爆撃隊の攻撃をかわすのは、至難の業だったといえます。」

南雲は脱出を試みるも、3機のドーントレス急降下爆撃機に狙われた。隊長は、エースパイロットのリック・ベスト大尉だった。南雲が蒼龍と加賀から立ち上る黒煙を見つめているあいだ、ベストたちは、南雲の船を攻撃する。1発目は、わずかにそれた。2発目は、リック・ベストが投下した。

オブライエン博士「たった1発でしたが、ど真ん中に命中しました。致命傷を負わせるには、これ以上の場所はなかったでしょうね。」

爆弾は、燃料を満タンにした飛行機や、爆発物でいっぱいの格納庫を直撃した。

グローブ教授「爆撃機から投下された爆弾と、格納庫に保管された地上用爆弾の、二つの爆弾で、大変なことになってしまいました。格納庫は壊滅状態です。手が付けられません。一隻で、269人だったかの整備員が、一瞬にして消えてしまった。焼け死んだんです。」

わずか5分で、南雲の空母は、4隻のうち3隻が大破した。

アンドリュー・ランバート教授「必要な人間は、全員が死んだか負傷し、必要なシステムも、すべて壊れてしまいました。手も足も出ない状況です。粉塵と黒煙が晴れて、視界が確保されたとき、南雲は自殺したかったでしょう。自分の船が、目の前で消えてなくなったんです。3隻の空母を失ったことは明白でした。彼は、旗艦を捨てざるを得ませんでした。日本海軍の象徴として、勝利の護符のような船が、自分の足元で、木っ端みじんになったんです。」

日本軍の一矢

南雲は、空母を捨て、巡洋艦に退却しなければならなかった。だが、彼の心は、依然として同じ場所にいた。同じ戦略を前に、敵と相対そうたいしていたのである。

アンドリュー・ランバート教授「3隻の空母が被弾し、残っているのはたった1隻。そのときの南雲の境地を想像してみてください。普通なら、もうこれ以上の被害はごめんだ、さらに悪化する前に撤退しよう、となるのに、彼はアメリカ軍に向かっていく。撤退など考えもしない。一発勝負をかけて、敵を追ったんです。」

1隻だけ残った飛龍は、大型で、力のある空母だった。南雲はついに、敵空母への攻撃のチャンスを得る。偵察機が、フレッチャーの乗ったヨークタウンを発見したのだ。南雲は、迷わず攻撃した。だが、ヨークタウンの上空にたどり着いた爆撃機は、対空砲火を浴びた。18機の急降下爆撃機のうち、13機が被弾。それでも、残ったパイロットたちは見事な腕前を披露した。対空砲火をかいくぐり、ヨークタウンに3発命中させたのだ。ヨークタウンから、煙と炎が立ち上る。もはや、命運尽きたか。

だが、アメリカ軍も簡単には諦めなかった。

グローブ教授「ヨークタウンは、珊瑚海の戦いでも被弾しています。だから、対処方法がわかっていた。可燃物をできるだけ海に捨てたんです。燃料補給車もすぐに投棄できるように脇に移動してあった。」

さらにまた、ごく簡単な化学で、燃える船を救った。シドロ博士が、それを説明する。

シドロ博士「燃料火災は消すのが難しいんです。水を使った場合、水はすぐに蒸気になってしまいます。蒸気は広範囲に広がって、巨大な火の玉になってしまう。だから燃料火災の消火には、水は絶対に使えません。そこで、水の代わりに、この容器の中身で実験してみましょう。ご覧のように、透明で見えませんね。ほら、消えました。これは炭酸ガスです。透明なガスで、空気より濃く、重さもあります。つまり、酸素をなくすことで、火を消してしまうわけです。上から火を包むようにして酸素を押しやってしまう。酸素が無くなれば、もう燃えませんから消火は完了です。」

炭酸ガスは、ミッドウェー海戦での、重要な鍵となった。

グローブ教授「ヨークタウンでは、被弾に備えて前もって、燃料供給装置に炭酸ガスを注入してありました。そうしておけば、被弾してもガソリンに引火して爆発することがありませんからね。もしこれをやっていなかったとしたら、日本の空母と同じ運命をたどっていたでしょう。」

南雲の空母赤城は、一発の爆弾で沈没したが、フレッチャーの空母ヨークタウンは、3発の爆弾でも、なかなか沈まなかった。だが、南雲はヨークタウンの沈没を確信し、残る2隻の敵艦に注意を向けた。攻撃できる艦載機は、もうわずかしかない。

エース友永丈市の散華

アンドリュー・ランバート教授「この時点で、日本軍には少しだけですが雷撃機が残っていて、それで爆撃することができました。ただし残っていたのは――15機。」

この攻撃隊の隊長は、エースパイロットの一人、友永ともながじょういち。友永機はミッドウェー上空の空中戦で被弾しその応急修理が済んだばかりだった。

アンドリュー・ランバート教授「片側の燃料タンクが壊れて、燃料が漏れてしまっていたので片道飛行になることは、わかっていました。それでも友永は別の機に移ることを断り、たとえ戻って来られなくても、自分の飛行機で攻撃を指揮すると言ったんです。日本人らしいいさぎよさですね。どうなろうとも、自分の務めを果たしてくる、というわけです。」

友永は、ヨークタウンに向かって行った。

アンドリュー・ランバート教授「このときにはもう、ヨークタウンの修復は終わっていました。飛行甲板では発艦準備も進んで、煙も出ておらず、被弾したようには見えません。」

そのため、友永は、ヨークタウンを別の空母だと思い込み、突入する。そこへ、どこからともなく敵の戦闘機が現れた。ジョン・サッチのワイルドキャットだった。サッチは、友永機を機銃攻撃する。だが、友永は火を噴く機体を何とか制御し、魚雷を発射。そして、ヨークタウンの数メートル手前で墜落した。魚雷は――命中しなかった。

それでも別の2発が左舷に命中し、ヨークタウンは動けなくなった。日本軍は、これで2隻の空母を沈めたと信じていた。残る敵艦は1つ。これで勝負は五分五分になった――。

アンドリュー・ランバート教授「日本軍の息が上がりました。完敗を覚悟したのに、五分に持ち込んだと思ったんですからね。」

だが実際は、瀕死の船に、貴重な魚雷を撃ち込んだだけだった。南雲は、高い代償を払うことになる。

フレッチャーの最後のカード

1942年6月4日の午後。フレッチャー少将は空母ヨークタウンから退避を迫られた。

オブライエン博士「当時の日本海軍の提督たちは、メロドラマ的な感慨から、船と運命を共にしようとしました。退避する場合も、部下に懇願されて仕方なくです。ところがフレッチャーは船を見まわし、操作不能と知って下りる。精神論など持ち出さず、そのことをあとで悔やんだりもしません。ヨークタウンではもはや戦えないから去ったんです。」

だが、ヨークタウンには最後のカードが残っていた。フレッチャーは船を去る前、残存空母を探しに偵察機を出したのだ。3時間海上を偵察した偵察隊は、燃料が切れてきたので戻ることにした。そのとき見つけたのが、飛龍である。アメリカ軍は、魚雷を発射した。日本軍はまたしても隙を突かれる。12時間に及ぶ絶え間ない戦いを終えたパイロットたちは、食事中であった。

アンドリュー・ランバート教授「急降下爆撃機が頭上をかすめ、爆弾を投下したんです。」

飛龍は攻撃をかわそうとしたが、無駄だった。4発の爆弾が命中し、南雲の最後の空母も大破した。

アンドリュー・ランバート教授「日本軍は完敗でした。ミッドウェー島のすぐ沖で、4つの火柱が上がり、大破炎上する船から、もうもうと立ち上る黒煙が、遠くからでもはっきり見えました。日本は6隻の空母のうち、4隻を失いました。でも、パイロットはそれほど失ってはいません。この海戦で死んだのは、パイロットや飛行甲板要員ではなく、狭い格納庫で飛行機の準備をしていた、整備班のクルーたちでした。爆弾が、格納庫に当たって死んだんです。」

南雲の部下は、4,800人が死亡。貴重な艦載機、275機を失った。

アンドリュー・ランバート教授「南雲は驚天動地の心境だったでしょう。真珠湾の英雄が、すべて消えてしまった。南雲は、天皇の船を失ってしまったんです。」

日本は一つの戦いに負けただけではなかった。太平洋の覇権を失ったばかりか、アメリカの戦時体制を加速させてしまったのだ。

アンドリュー・ランバート教授「アメリカ軍はどんどん空母を建造し、どんどん飛行機を造り、どんどんパイロットを飛ばしました。さすがの日本も太刀打ちできません。日本の技術も、アメリカの工業力と経済力の大きさには、かないませんでした。」

アメリカ軍はミッドウェーで307人を失ったが、彼らの犠牲は無駄ではなかった。

オブライエン博士「ミッドウェー海戦で勝利したことで、アメリカは少なくとも1年は早く日本に到達したといえます。そして、そのことによって、両国の何百万、何千万という命を救ったんです。」

フレッチャー少将は、新たに別の部隊の指揮を執り、日本と戦い続けた。南雲中将はミッドウェーでの敗戦から数か月後に任を解かれ、ついにアメリカに降伏せざるを得なくなったとき、自決した。<終>

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