どんちゃんの旅の終わりの前

活動紹介対話個性質問様子@様子A目的終了完了案内

ここからの 3ページは、
今回、新しく増やしました。(2006年4月)

過去世回帰の旅

今、中国は広東省の広州市に居ます。(2006年4月)

ノートパソコンを日本から持参し、
この地で、HPの更新をしています。(笑)

2006年4月8日、広州市にやって来ました。

どんちゃんと深い縁のある人達と一緒に、
過去世回帰の旅をするためです。

こちらに来てから、このHPを整理しながら、
五年間の 「内と内との対話の旅 」 を思い出しています。

中国まで来て、HPの更新作業をしているのは、
日本に居るときには多忙で出来なかったからです。(笑)

毎日、毎日、我が家と、きりんの家の往復でした。
家に帰る余裕が無いときも時々ありました!(大笑)

きりんの家に来てくれる人が切れることは滅多にありません。
ありがたいこと、大変に嬉しいことなのですが・・・

忙し過ぎて、日本にいるときは、
HPの更新が、ほとんど出来なかったのでした。

しかし、こうして、日本を離れたことで・・・

ようやく、その時間が出来たのです!(笑)

こちらに来てからは、みなさんからの電話はありません。
きりんの家のように、訪ねて来る人も、いませんから・・・

正直なところ・・・

とっても楽です!(笑)

もう、最高の日々ですよ!(笑)

・・・と言いたいのですが・・・

慣れない海外では、この表の世界では、
思うように行かないこと ばかりですから、
そういう点では、ちょっと疲れてはいます。(苦笑)

これから、きりん君、どんちゃん、
それと、縁の深い五人の人達との、
最初で最後の過去世回帰の旅が始まります。

しかし、その準備は、とっても、とっても大変なんです。

表の世界で準備するものは簡単ですから、
それは、大した問題では ありません。

問題なのは・・・

どんちゃんの、心構えなんです。(大笑)

自分の過去の出来事と、それに纏わる(まつわる)想念を、
素直に受け取る準備が、まだ出来ていないのです。(苦笑)

しかし、もう、度胸を据える時が来ました!

もう、こうなったら、これから起こることの真実を、
ただ素直になって、ただ受け入れるしか、
もう、それしかないでしょうね!(笑)

しかし、それが簡単に出来そうもないので・・・

大変なんです。(笑)

しかし、こうして過去世回帰の旅の準備をすることが、
過去の清算であり、未来の発展のためなんですから、
ここは、どうしても、勇気を出すしか、ありませんね!(苦笑)

大昔での過去の清算は、
現在での、今生での過去の清算と、
実は、ほとんど同じだと、背景から伝わって来ています。

・・・どういうことか、と言いますと・・・

表としての記憶がなくても、
大昔の過去で成し得なかったことは、
やはり、今の人生でも、そう簡単には出来ないのです。

このことは、
今生での、我々の現実からでも、そう言えますよね!(笑)

例えば・・・

「あのことは、ああすれば良かった!」

「そのことは、十分に分っていたのに、勇気が無かった!」

「修正しようとするのに、また同じ繰り返しをしてしまった!」

・・・そんなこと ばかりですよね!(笑)

しかし、それは、今生での範囲だけのものでは無いのです。
大昔に出来なかったことは、その後も簡単には出来ません。

すると、いつまでも続く、輪廻転生の過程でも、
それは解決されず、いつまでも未解決の課題として、
また再び、今生に持ち込まれている可能性は、
十分に、あり得ることだと思われます。

そして、そうした繰り返しは、我々の今生の生き方の中に、
未解決の課題として、必ず現れているはずです。

例えば、精神世界で、よく言われていることですが・・・

長い間、幾度もの輪廻での地上生活でも
決着できないで来ている縁のある人達との問題が、
形を変え、立場を変えて、縁のある者同士が清算を試み、
家族や親戚、友人など、または同じ組織の一員として、
幾度も、幾度でも清算が出来るまで輪廻を繰り返す。

・・・というのが、代表的な例ですね!(笑)

どんちゃんが、今までの過去を振り返りながら、
こうして、HPを整理していることが、
自分の全ての過去の課題の解決のための、
その準備だということに、これを書いていて・・・

ようやく、気がつきました!(大笑)

そして、この作業を通じて、今回の地上だけでなく、
大昔の過去についても同時に清算するための、
その準備と、問題解決のための練習をしていることも、
何となくですが、少しずつ分ってきました。

するべきことが出来なかった理由を、その根底から見つめ、
それを認め、受け入れ、そして、その改善のために・・・

ある程度の・・・
知恵と、勇気と、努力は、どうしても必要なんでしょうね。

これは、どんちゃんが、
みなさんに豪語して来た言葉でも、ありましたね!(大笑)

こうして、HPを整理することで・・・

今生での過去だけでなく、
実は、大昔の過去の整理にもなっているようです。

今、こうして、整理しながら更新作業をしていますと、
これまでの旅での、色々な想いが蘇ってきました。

今までの自分の言動を振り返り、回想することで、
過去の想いと、その想いに伴った自己の行為について、
見直し、反省するのに、とても良い機会となっています。

●過去世での地に向かいます。

4月28日、いよいよ、出発です。
広州市から西方向に進みます。

背景からは、「7人で行く」 と伝えられていました。

そのうち二人は、表の現実では来ません。
でも、魂は、もうやって来ているようです。(笑)

一人は、現実世界での、この旅の段取りをする役目です。

彼は、中国人で日本で働いている人です。
過去の地に向かう友人を助けるために来てくれました。

ありがとう!!!

彼がいないと、我々、外国人には、
電車の切符すら買えないのです。(笑)

その地には、この五人で行きます。

さて、どうなることやら・・・(大苦笑)

●内と内との旅の回想

◆どん。どんちゃんの違い

旅を始めた頃は、背景から伝えられて来る想いを、
「内からの感覚」 と表現し、それを人格化して、
「どん」 と呼んでいました。

そして、それを伝える者も、同じ、「どん」 だったため、
内の、どん。表の、どん、とで混乱させてしまいました。(笑)

また、表で、「どん」 という威厳のあるかのような名前では、
自分には、とても合わないことに気づきます。

それに、みなさんにも、そういう印象を持たれないために、
「どんちゃん」 と改名します。

このあたりのことは、ここにも書いてあります。どんに会うとき

その後、内は、「どん」。表は、「どんちゃん」 としてきましたが、
これも、相手にとっては、分りずらいものでした。(笑)

こちらとしては、明確に、背景の想いを人格化した
「どん」 という存在から伝えられて来る、「内からの感覚」 と、
してはいたのですが、みなさん側では、こういう形も、やはり、
混乱させるものでした。(笑)

このあたりの様子について興味のある方は、ここを どうぞ!

どんちゃんの投稿@ 2002.2.14から
どんちゃんの投稿A 2002.6.10まで

その後は、混乱を避けるため、どん、という表現は、
一切しないことにしました。

そのため、このページでも、そのことで混乱しないように、
そういう部分は、必要なところを除き、修正してあります。

◆3ページ目にある、文化交流祭でのことでした。

二日間の、このイベントの最初の日に、
きりん君と出会ったのでした!

2001年10月11日(木)、新横浜です。
彼は、会場に訪ねて来てくれました。

文化祭が終わり、夕方、
新横浜の駅まで、二人で歩いて行きます。

駅前の珈琲店の前の露店の席で、
きりん君に霊視をするように、うながしました。

彼には、初めてのことでしたから、
「そんなこと出来るはずが無い!」 という様子でしたが、
戸惑いながらも、かなり上手に出来ました。

きりん君が目を閉じます。
そして、どんちゃんが見ている表の世界を、
きりん君が、それを映像として見る練習をします。

どんちゃん見たものは、少し遠くのビルの壁の看板の照明、
テーブルの上の、スプーン、コーヒー豆のデザインなどです。

それが終わって、どんちゃんは・・・

「あなたは、五年たったら、ある特殊な霊能者になる」

・・・と、言ってしまったのでした。

でも、背景から、そう言わされたんです。(苦笑)

その後、どんちゃんは、彼のことを、
「悩める霊能者」 と呼んでいました。(笑)

その後のメール交換で、どんちゃんが、
悩める、という文字の印象が良くないと言い出し、
名前を変えることを提案し、解(かい) と変わります。

これは、人生の問題の解明、解決の意味です。

そして、彼が、どんちゃんの村に中古の家を買って、
こちらに引っ越して来てからは、きりん、となり、
その家は、きりんの家となったのでした。

参考までに、その家の売主は、以前、町中で、
スナックをやっていて、その店の名前が、きりんでした。
その当時の看板が家の裏のほうに残っていて・・・

「ああ、これで、いいんだよ!」 と、どんちゃんが言って、
それで、きりん、になったんです。(笑)

また、その看板には、「ちょっと一杯、きりん」 と
なっていましたが、その、「ちょっと一杯」 を切り落とし、
きりん、だけを残したものを、そのまま看板として
玄関に掲げたのでした。(笑)

今年の10月には、あれから五年後の、その日が来ます。

その計画の準備も、今回の行動に含まれているんですね。

特殊な霊能者、とは???

どういうことなのか、全然、わかりません!(笑)

ただ、ほんの少しだけですが、
きりん君の特殊な個性が現れて来てはいます。
でも、それは、まだまだ、ほんの一部のようです。

●原点に戻ろう!

ここを読む前に、
まだ、このページを読んでいない方は、
まず、ここに行って頂けますか?

質問(内との対話についての質問)

このページの一番始めにある項目の・・・

内との対話は、一種の催眠術ではないですか?
それは 、不自然な行為、と感じます。


・・・この中の
説明開始から読んでください。

以下は、そこからの続きです。

不自然であっても、健康である体、つまり、
自然な体に、人の手で復活させようとしています。

森林再生のための植林が、人間の欲望に沿った、
材木資源としての、木の畑となっている場合が、
実は、ほとんどなのです。(大笑)

でも、仕方ありません。
我々が木を、そういう形で求めているという、
その欲望の姿は、何も変わっては、いませんからね!(苦笑)

このことを、心と体の復活のことに対応させれば・・・

体を治す目的が、金銭欲、物欲のためであって、
自然な人間として生きるためではない。

・・・という、ことですね。(笑)

心(意思、意識)が、自然を壊し。
心(意思、意識)が、体を壊して来たのですから・・・

その心を改善、つまり自然に戻さなければ、
人の手で、自然の方向に戻す意味は浅いものになります。

内と内との対話は、心の改善こそが目的であって、
内から大きく離れてしまった表の欲望に応えるものでは、
ありません。

つまり・・・

心を改善する方向に動いている人に対して・・・

「心の改善をすることこそが、
こんなにも体を改善することに なるんですよ!!!」

・・・ということを伝えたかったのでした。

また、それを、みなさんにも
実感として感じて欲しかったのです。

つまり、どんちゃんにとって、内との対話は、
壊れた体を治すためのものでは無いのです。(苦笑)

しかし、体が壊れた人が、
心を病んでいることは確かなことです。

そりゃ、そうですよね!

心と体は同一ですから、当然の結果ですね!(笑)

そういう人の、心の改善に協力し、心の改善と共に、
体も同時に改善していくことを知らせなければ・・・

どんちゃんの内との対話は、
きっと、認められなかったでしょうね!(大笑)

体が苦しんでいるとき、
それが心の問題であることを証明するために、
心が抱える問題を、内との対話によって、
本人が自ら解決する方向に少しでも進めば、
すぐに体は楽になれます。

これは、どんちゃんの旅、オフ会、集い。
それに、きりんの家などで、みなさんには、
既に、数千回も証明して来ています。(笑)

それに加えて、体の復活のための、ヒーリングや整体、
マッサージなどを加えれば、もっと、もっと楽になります。

このことも同様、数千回は証明しましたよ!(大笑)

ただし、みなさん一人一人としては、
その証明は、出会った回数、電話、メールの回数だけ。
ということには、なりますね!(大笑)

みなさんの心の改善こそが、
どんちゃんの目的であって、
体の改善は、どんちゃんに とっては、
単なる副産物に過ぎないのです。(苦笑)

しかし、地上に肉体を持っている我々が、
どんな理由があったにしても、体が苦しんでいるとき、
その体を治したいと思うことも、これは自然なことですね。

また、その状態を見た人が、
改善に協力してあげたい。と思うことも、また自然です。

そういう意味では、その方向から見れば・・・

心が楽になり、体も改善に向かっていることも自覚でき、
それで、どんちゃんの、内との対話が受け入れられ、
それをキッカケにして、更に楽になるのなら・・・

それは、それで、いいわけです。

つまり、それは・・・

どんちゃんの目的からは、少しも外れてはいません。

みなさんの役には立ったわけですから、
そのことには問題は無いはずでした。

ところが・・・

体を治そうという想いが最優先となって、
心の改善が疎かになる例が増えて来てしまいました!(笑)

どんちゃんは、治療家では、ありません!

どんちゃんは、便利な道具では、ありませんよ!(笑)

また、都合よく出張してくれる、
治療が得意な、無料の坊さんでもありません!(笑)

みなさんからの電話では、内との対話によって、
すぐに楽になり、みなさんには喜ばれてきました。

メールでの、内との対話でも、
みなさんから、お礼のメールを沢山、頂いています。

でも、やはり、ここでも・・・

「とっても便利な人」

・・・ということに、なってしまっているのが現実です。(笑)

また、そういう現実を憂いて(愁いて)いてくれている、
数人の方からの親切な助言も、幾度も幾度もありました。

そのため、ここ、七ヶ月くらいの間、こういう現実を、
どんちゃんも、あらためて認め、それに猛反省もして、
みなさんには、少しずつ自力で進めるように、
その方法を伝えて来ました。(2006年4月・記)

そして、今、こうして、みなさんの手の届かない所に
居ることで、それが促進されるものと思っています。

来月、5月に日本に戻り、最後の集いが始まります。

そのときには・・・

どんちゃんは、なるべく手を出さないように、
なるべく、みなさんの自力での姿を、
ただ眺めるだけに、したいと思っています。

どんちゃんは、基本に戻りたいのです。

あくまでも趣味でやっていました。
もちろん、確かに、そうでした。

ところが、旅を始めて、三年くらい経ったら、
我が家の家計に影響が出始めて、
どんちゃんが使える資金が枯渇状態になりました!(笑)

そのため、みなさんに、旅費だけを頂くことになりました。

このとき、実は、とっても悩んだのです。(苦笑)

みなさんからも、活動経費は取るべき、という声も
一杯ありましたが、どこまでも意地を張るかのように、
それを拒否し続けてきました。

これは、単なる意地だけではなく・・・

どんちゃんは、「お金に物凄く弱い!!」

・・・という現実が、あったからなんです。(大笑)

ですから、経済的困窮(大袈裟!笑)が無ければ、
「無償、無料」 ということを、ぜひ続けたかったのでした。

しかし、地上に生きる人間が、
現実の社会に沿うのが自然であって、
こうした不自然で低段階の我々の世界ではあっても、

その中でこそ、
そういう未熟な世界だからこそ、
我々は修行できるのですから・・・

このことは、やはり、そうするべきものだ。

・・・という結論に、しました。(苦笑)

また、みなさんからも・・・

「何の報酬も御礼も無いことのほうが異常であり、
私達は、お金に変えた気持ちを渡したいのだ!」

・・・という声も、沢山の方から聞きました。

どんちゃんにも、みなさんにも・・・

無理があったのですね。(苦笑と反省)

しかし、それだけでは済みませんでした。

どんちゃんの旅の回数が増え、
きりんの家を空ける日数も、ぐっと増えてくると、
どんちゃんの居ないときは、きりんの家の経営が
成り立たなくなって来てしまいました。(笑)

そのため、今度は、その分を確保しなくては ならなくなり、
どんちゃんが留守の間の、きりんの家の運営費として、
再び、金銭負担を、お願いすることになりました。

このときも、悩みましたね!(苦笑)

みなさんは、それを十分に承知の上で、
集いに参加してくれている とはいえ、
やはり、こちらとしては心苦しいものでした。

しかし、それに慣れてくると、
それも当たり前のことと、なってしまいます。

慣れる、ということは、怖いですよね!(笑)

また、どんちゃん側での、こういう現実を、
十分に理解してくれている、みなさんの側では・・・

お金が動く以上は、それを渡す以上は、
その対価としての行為を受ける権利がある。

・・・という想いを強く抱く人も現れ始めます。

当然、こちらとしても・・・

そうであっても、それには応えたいのです。

お互いに、無理もないことでした。

我々は、そういう感覚を、
今まで、シッカリと植え付けられて来ましたからね!(笑)

でも、元々、我々の進歩の段階が、その程度だった。
ということの方が、はるかに大きいはずです。(大笑)

みなさんと、立場を入れ替えれば、
どんちゃんだって、同じ気持ちになりますよ!(大笑)

みなさんは、お金を払う。
どんちゃんは、その、お金を受け取る。

このことは、社会一般では極普通のことです。

そのために、そういう普通のことだからこそ、
お金を出す側からは、要求が出るわけです。(笑)

それが、どんちゃんにとって、何の収入になっていなくても、
持ち出し状態の赤字であっても、あくまでも、お金の動きは、
一般的なものですから、そうなって、しまうんです。(苦笑)

そして、どんちゃんとしても、
みなさんの、そういう気持ちを感じていますから、
みなさんの要望にも無理しても応えようとしてしまいます。

そして、そうしてきました。(苦笑)

ここでも、どんちゃんは・・・

基本に戻る必要性を強く感じることになります。

どんちゃんは、あくまでも、内を映す鏡です。

これは、もう、百万遍も口にして来ました。(笑)

内との対話の、その人の、その時の、その状態について、
ただ感じるままに、内の想いを伝えるだけで、
それだけで良かったんです。

ところが・・・

回を重ねるに連れ、同じ人と幾度も出会うに連れ、
肝心の内の真の想いより、表の問題の解決が優先する
方向に変わってしまう例も増えて来てしまいました。(笑)

そういう方向に対応することは、
それは、別な精神世界関係の人達の役目であって・・・

それは、どんちゃんの役割では、ありません!!(苦笑)

それにまた・・・

内との対話の相手の人が、
こちらで感じたことを受け取れないまま、
または、受け取ろうとしないままで・・・

「まだ心は落ち着かない、まだ落ち着かない!!!」

・・・そう訴える人も増えて来てしまいました。(苦笑)

しかし、そういう人でも、初めて会ったときに比べれば、
色々な問題はあっても、少しずつは解決されて来ています。

ご本人も、それは十分に自覚しています。

そうであるからこそ、つまり・・・

内との対話での効果を、よく認めているからこそ、
どんちゃんを頼って、幾度も、内との対話を求めて、
どんちゃんに会いに来て、くれるんですよね!(笑)

しかし、人間の欲望には、キリがありません!(笑)

心が、まだ楽にならないことを、
まるで、どんちゃんの、せいにするかのような、
そういう、表の想いで接して来る人もいます。(大笑)

そのとき、こちらでは・・・

筋違いの攻撃を受けているような気分になります。
こちらに、あたかも責任があるかのようです。(笑)
そう感じてしまいます。(大苦笑)

ここでも、どんちゃんは、
やはり、基本に戻る必要を強く感じてしまうのでした。

そして、真の人助けの意味を、
あらためて感じることにもなりました。

これを例えますと・・・

まだ、この世に慣れない幼児が、
自分が何もかも上手に出来ないことを訴え、
そして泣き叫ぶのと似ています。

その段階では、彼らは身近な大人に助けを求めます。

この地上の先輩で、慣れている大人の力を借りることは、
極普通のことですね。

それに、大人側としても、彼らを助けたいのです。
それもまた、極自然なことで、極、当たり前のことですね!

しかし、大人が、いつも彼らを助け続けていったら、
彼らは、まるで力の無い、社会性の薄い、無責任な、
情け無い大人に、きっと、なってしまいますよね!(大笑)

やはり、助け過ぎては、いけません!

「過ぎたるは、及ばざるがごとし!」

どんちゃんも、この基本に戻ります。

よく言われることですが・・・

幼児期からのトラウマの解消には時間がかかります。

このことについて、どんちゃんの想いは・・・

全ての人が幼児です。

全ての人に、幼児の部分があります。

しかし、全ての人達が、幼児として生きる権利があります。

そして、その未熟な幼児の部分を解消するだけの力が、
社会には、ちゃんと用意されています。
世の人々には、それを受け止める準備も出来ています。

お互いに、お互いの幼児を素直に出し合うことで、
お互いに、お互いの幼児を育てあっているわけです。

どんちゃん自身も、
幼児として生きることを誇りとしています。

我々は皆が、幼児でいいのです。

しかし、そこには、ちょっとした工夫が必要です。

それは・・・

素直になって、ただ素直になって対応し合うことです。

そこに見栄があっては、いけませんね!

素直に受け取りさえすれば、
幼児は一気に大人に近づくことが出来ます。

幼児が語る、大人の世界の話は、
とっても滑稽(こっけい) ですね!(笑)

でも、それを聞いた上でないと、
その話の問題点は指摘できません。
つまり、より善き方向に向かうキッカケは提供できません。

また、指摘した側の幼児が、今度は立場が変わって、
別な大人の幼児を相手に、大人を演じることも、
きっと、あるでしょう。

このように、同じことが、お互いに繰り返されて行きます。

そうやって、我々は、進歩しているんです。

親が、子供に対して、偉そうに語り聞かせている姿は・・・

とっても滑稽ですよね!!!(大笑)

親は、大人でなくても、いいんですよ!!(大笑)

大人は、幼児でいいんです。

人は、大人を目指す必要なんか、何も無いんです!

大人を目指す人ほど、勘違いを重ねる幼児であることに・・・

みんさん、そろそろ、気がつきましょうね!(笑)

どんちゃんも、永遠の幼児を、目指すことなく目指します。

そして・・・

永遠に、決して目指すことの無い大人を・・・

目指すことに、なるでしょう。

それが、どんちゃんの言う・・・

生きて・活かして・逝くことなんです。

「幼児たるもの、そなたは幸いである
天国も未来も、あなたのものだからである」(笑)

●逝くことに、ついてです。

これは、これまで、あまり触れては来ませんでした。

単純に、いつもの日常が平安であれば、
それが原因となった、その繰り返しの結果は、
当然、平安、平穏であるはずです。

今は、とりあえず、一般的な意味で、
これについては、そういうことに、しておきますね。

●旅の終わりの前

旧MLの、1297に、こんなことが書いてありました。

−−−−−−−−

「内と内との対話」 という 「行事」 には、必ず終わりが来ます。

しかし、内との対話という形から 「世の中に役に立ちたい」
という人には、共に勉強しながら同じ道を歩む者として、
その関係は続くことには なるとは思います。

−−−−−−−−

これは、内との対話の、その相手側からのことで、
どんちゃん側のことではありません。

でも、こちらから旅に出て行っての、内との対話は終わります。

このページは、まだ未完成です。

始めに戻る