色濃い天才アラン・ポーの影 ニューヨークのポー特別展を見る

 ニューヨークのマンハッタンの一角のアパートに住んでまだ一ヶ月だが、天才詩人でミステリーの生みの親であるエドガー・アラン・ポーの存在がアメリカでいかに大きいかがよくわかった。
 私の古アパートから歩いて二,三分の所にある有名な書店バーンズ・アンド・ノーブルの本を入れてくれるビニール袋には、ポーの大きな肖像画が描かれている。この本屋は、「世界最大の書店」と名乗ったインターネットで本を販売する電脳書店アマゾンを相手取って自分の所が「世界最大の書店」だと裁判で争った店である。
 三月に国外会員として私の入会を認めてくれたアメリカ探偵作家クラブの会員証にもポーの肖像が入っているといった具合である。
 そのポーの死後百五十年を記念して、ピアポント・モーガン・ライブラリーで、「ポー 燃える想像力」と「刑事、私立探偵、スパイたち」という特別展が開かれているというので、妻をカメラマン代わりに連れて出掛けて見た。
 ライブラリーといっても、ここは銀行家のピアポント・モーガンが収集した膨大なコレクションをその時々に展示している所で、直接本を閲覧できる図書館ではない。しかし、モーツアルト、ベートーベンなど有名な作曲家の直筆の楽譜をはじめ、サンテクジュペリの名作『星の王子さま』の直筆原稿なども所蔵しており、そのコレクションの質の高さと幅の広さにはびっくりさせられる。
 モーガン・ライブラリーはマジスン・アベニューの東三十六丁目、地下鉄の三十三丁目駅から歩いて五,六分の所にある。
 「ポー 燃える想像力」は入って右に曲がった所の大きな部屋、「刑事、私立探偵、スパイたち」は、まっすぐに歩いて右側の小さな部屋で展示会が開かれていた。
 天才ポーは酒に溺れ、貧窮の内に一八四九年に四十歳の若さで世を去ったが、有名な詩『大鴉』を書いた天才詩人であったばかりでなく、編集者、批評家であり、また、ミステリー、SF、ホラーの創始者でもあった。 

モーガン・ライブラリー 入り口の様子

モーガン・ライブラリーのイベントカレンダー  「ポー 燃える想像力」には、世界最初のミステリーといわれる短編「モルグ街の殺人事件」(一八四一年)などを収録した、現在世界に八冊しかないといわれる『エドガー・ポーの幻想ロマン集』(一八四三年)や細い紙をつないで巻物状になっている珍しい直筆原稿、フランスの有名詩人マラルメ、ボードレールなどポーを熱烈に崇拝した人々によるフランス語訳と、マネやマチスによる挿絵のポーの肖像画など、第一級の資料が展示され、ポーの詩人、ミステリー,SF、幻想小説の作家としての側面や、批評家、編集者としての多彩な業績にさまざまな角度から光を当てている。生活が苦しかったポーが名前だけを貸して刊行した教科書など、珍しいものも出品されていて興味深い。
 有名な作家だけにこういう特別展はこのライブラリーで何回も催されているのかと思ったが、広報担当のオドリー・マンリーさんの話だと、個々の資料が展示されたことはあるが、このように網羅的な特別展が開かれたのは初めてとのことだった。
 もう一つの「刑事、私立探偵、スパイ」のほうは、ポーのものより、規模が小さく、しかも多くの作家の作品を取り上げているので、ちょっと物足りない感じもするが、
何度も推敲した跡がうかがえるコリンズの『月長石』の自筆原稿、ドイルのシャーロック・ホームズものの長編『バスカビルの犬』や、ハードボイルド派の始祖ハメットの『マルタの鷹』などコレクターが血眼で探している作品の初版本などがさりげなく並べられている。 スパイ小説の傑作とされるアンブラーの『ディミトリオスの棺』も、『ディミトリオスの仮面』という別の名前の英国版の初版が発行当時そのままの美本で展示されていてびっくりする。
 このライブラリーでは館内の写真撮影が厳しく規制されていて、会場や展示品をカラーでお見せできないのが残念だが、中庭にはコート・カフェというのがあって、飲み物や食事を取ることができる。ギフト・ショップもあり、本の好きな人は訪ねる価値のあるライブラリーだと思うが、私は続けて三回行ったのに日本人には会わなかった。コート・カフェでコーヒーを静かに飲みながら、それにしても、銀行家のコレクションはすごいものだと改めて感心した次第である。

 【ごんだ・まんじ】一九三六年生まれ。文芸評論家、専修大学文学部教授。東京外語大フランス語科卒。著書に「日本探偵作家論」(推理作家協会賞受賞作)、「現代推理小説論」、「新潮日本文学アルバム、松本清張」などがある。現在コロンビア大学客員研究員としてニューヨークに滞在中。

(1999年4月28日 信濃毎日新聞・掲載)


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