メアリ・H・クラーク『誰かが見ている』

 アメリカ探偵作家クラブ(MWA)の恒例の四月のエドガー賞夕食会が、今年は五月四日、四十二丁目のグランド・セントラル駅の隣りのグランド・ハイヤット・ホテルに会場を移して開かれ、サスペンス小説の女王といわれるメアリ・ヒギンズ・クラークに巨匠賞が贈られた。
 いつもなら、私の住んでいた西五十一丁目のコンドミニアムとは、目と鼻の先の所にあるシェラトン・ニューヨークなどのホテルで開かれるのだが、開催日がいつもと違って五月になったため変更されたようである。
 が、グランド・セントラルの隣りというのは、ニューヨーク子の彼女が受賞する場所としてはまことにふさわしいと思った。
 ヒギンズがサスペンス小説の優れた書き手として、また、ベストセラー作家としての地位を完全に確立したのが推理小説の長編第二作『誰かが見ている』(一九七七年、新潮文庫)であることはよく知られている。そしてその主要舞台が実はグランド・セントラル駅なのだから。
 夫に先立たれ、五人の子供を抱えながら、ラジオ・ショー番組の制作や脚本の執筆で生計を立てていたクラークは、作家になることを夢見て早朝の二時間を小説執筆に当てた。
 が、一九六九年に発表した処女作のジョージ・ワシントンを取り上げた子供向きの伝記小説が無視されたため、ミステリーに路線を転換することを決意。六年後に発表した『子供たちはどこにいる』(七五年)で華々しく推理文壇にデビューした。この作品は舞台や筋立ては現実の事件とは大幅に違っているが、六五年にニューヨークのクイーンズで起こった幼い子供二人が行方不明になり、死体となって発見されたアリス・クリミンズ事件を思わせる内容で、その濃密なサスペンスが大きな反響を呼んだのである。
 しかし、サスペンス小説の女王という評価を決定的にしたのは、推理長編第二作の『誰かが見ている』(七七年)だった。
 最愛の妻ニーナを殺されたため強硬な死刑支持論者になった雑誌編集長のスティーヴは、死刑反対論者の女流コラムニストのシャロンと愛し合うようになった。が、シャロンとスティーヴの病身の息子ニールが男に誘拐され、二人はニューヨークのグランド・セントラル駅の地下の一室に閉じこめられてしまう。犯人が要求する身代金は八万二千ドル。
しかも地下室には時限爆弾がセットされていた。故意か偶然か、その時刻は、ニーナを殺し死刑になる容疑者の処刑日と一致していた。刻一刻、爆発の日時が迫って来るが……。 一九一三年に建てられたグランド・セントラル駅は、鉄道の駅なのに線路が地下にあり、その建築は何か寺院のような独特の雰囲気がある。それだけに多くの人々に親しまれ、小説や映画の舞台にも使われて来たが、こういう形で駅の地下室を作品に使ったのは恐らくこの作品が初めてだろう。クラークは、生粋のニューヨーク子だが、特にこの駅のことは入念に取材した跡がうかがえる。人質を監禁する地下室は当時は、実在したし、作中に出てくるオイスター・バーは今もある。
 私はマンハッタンに住んでいた時、調べもので同じ四十二丁目にある中央図書館に日参していたことがあり、帰りにこのオイスター・バーに寄り、生カキを食べたものである。
 作中にも出てくるこのレストランでは、一年中生カキが食べられ、メニューには産地別にカキのリストが載っている。このレストランは駅が出来た時から開店したという老舗だが、少し前に改装され随分きれいになった。 この人の作品は幼い子供が事件に巻き込まれるものが多いだけに特に女性に人気があるが、『揺りかごが落ちる』(八〇年)をはじめ、九〇年代にほぼ一年ごとに発表される新作はいずれもベストセラーになっている。
 『誰かが見ている』は、もう二十年以上も前の作品だが、先進国ではアメリカと日本だけしかないという死刑の是非論を取り上げているのは、興味深いし、サスペンス小説としても今でも新鮮だ。グランド・セントラル駅は、二,三年前に遠距離路線をペンシルベニア駅に移すなど、役割が変わって来たが、それでも、個性的な建物はこの作品と並んで、多くの人々を魅了する存在であり続けることだろう。(文芸評論家)

(信濃毎日新聞・掲載)


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