ベイエリアの女流作家

 サンフランシスコ湾やサン・パブロ湾を取り囲むカリフォルニア州北部の地域を俗にベイエリアという。昨年末にこのベイエリアに住む女流推理作家と読者の会が開かれるというので、出掛けてみた。会場は、私の住んでいる所から、高速に乗って車で四十五分で行ける閑静な住宅地にあるノバトの図書館。
 参加したのは、料理ミステリーのアンジー・アマルフィ・シリーズを書いているジョアンヌ・ペンス、ケート・オースティン・シリーズの作者ジョニー・ジャコブズ、私立探偵ジェイク・サムソンとロージー・ビンセントのシリーズのシェリー・シンガー、英国ウエールズを舞台にしたエバン・エバンズ巡査シリーズで知られるリズ・ボウエン、それにパリを舞台にコンピューターを駆使して活躍する女流ハードボイルド探偵エーメ・ルデュックを初登場させたカーラ・ブラックの五人。いずれも実力のある女流作家だが、日本にはまだ、残念ながら紹介されていない。
 会場には、コーヒー、紅茶などの飲み物やケーキなどが置かれ、読者のさまざまな質問に作家が答えるという気楽な会合だ。 
 話題も「コンピューターをどんなふうに利用しているか」、

ベイエリアに住む女流推理作家5人(正面)と語る会に出席した参加者。読者の質問に作家らが答える形式で、和やかなムードだった。


カーラ・ブラックさんが昨年出した処女長編作品「マレー街の殺人事件」の表紙 「家事や育児と創作活動」、「だれに原稿を見てもらうのがいいか」、「ミステリーを書くのに参考になる本」、「出版エージェントをどうやって探したか」というような身近なものばかり。いずれも子持ちの女流作家だけに、「執筆中に子供がママといって甘えて来るのには参る」とか「原稿を読んで意見を聴くのは、夫が一番いい」などざっくばらんな答えが聴衆の笑いを呼んだ。 驚いたのは、日本に縁のある作家が居たことだ。ジョアンヌ・ペンスさんは一時横浜に住んだことがあるといっていたが、何とカーラ・ブラックさんは、日本に留学して、そこで知り合った石室順さんと結婚している。 このカーラさんの処女長編『マレー街の殺人事件』(一九九九年)は、昔ユダヤ人が多く住んでいたパリのマレー街を舞台にした作品で、探偵役は、エーメ・ルデュックという三十四歳の女流探偵。企業のコンピューター情報の保全などが専門の、まさに時代の最先端を行く探偵で、この作品ではコンピューターを縦横に駆使して一九九三年に起こったユダヤ人の年老いた女性が殺された事件の謎を解いて行く。
 この作品の魅力は、女流探偵の設定の現代的な点と、ユダヤ人大量虐殺という歴史的な悲劇を、ネオ・ナチの秘密組織台頭の動きと巧みに重ね合わせながら、殺人事件の謎を組み立てている点にある。友人のユダヤ人の母親がドイツ占領下のパリで遭遇した事件からこの作品の着想を得たという。

十六年前、この友人にパリのマレー街にあるユダヤ人居住地区を案内されてから、その街並みの魅力に心を奪われ、以来度々パリを訪れ、さらに執筆に当たっては現地のプロの探偵に話を聞くなど取材を重ねてこの作品が出来上がったわけである。
英国の女流本格推理作家P・D・ジェームズが好きで影響も受けたというカーラさんだけに、構成がしっかりしているし、また、人物描写に文学的な厚みがあるのが強みだ。
シカゴ生まれで四十代のカーラさんは、現在夫と十歳の息子シューちゃん(秋成)とともにサンフランシスコに住んでいるが、しばらくスイスのバーゼルで暮らしたことがある。その後、東京に留学、上智大学で一年半ほど中国史などを学んだ。この時に夫の順さんと出会ったという。その後、二人はアメリカに移り、カーラさんはサンフランシスコ州立大学で教育学、順さんはサンフランシスコ・アート・インスティチュートで陶芸を専攻、それぞれ、修士課程を修了。順さんは現在アンセル・アダムズ・ミュジアムの「写真の友」の編集長兼同ブックストアのマネージャーを務めている。
 なお、今年十月にはカーラさんの第二作『ベルビル街の殺人事件』が同じニューヨークのソホー・プレスから出版される予定という。

日本に留学したこともある作家カーラ・ブラックさん(右)と話す筆者


(文芸評論家、現在カリフォルニア大学バークレー校の客員研究員としてサンフランシスコ郊外に滞在中)

(2000年1月26日 信濃毎日新聞・掲載)


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