スティブンスン記念館 ナパ、モントレー

サンフランシスコから車で日帰り、または一泊旅行で行ける観光地としてナパ・バレーとモントレーがある。
北のナパはカリフォルニア・ワインの産地として有名で、百二十ほどのワイナリーがあり、試飲もでき、軽気球も楽しめるので、人気がある。
一方、南の海岸線に沿ったモントレーは、隣接するカーメルと並んで、風光明媚な場所として名高い。特に十七マイルのドライブ・コースは、紺青の海、砕ける白い波、そして変化に富む岸辺の風景など、実に素晴らしい。 しかし、この二つの場所に、「宝島」や「ジェーキル博士とハイド氏」などの名作で日本でも多くの人々に親しまれているロバート・ルイス・スティブンスンの記念館があることは日本ではほとんど知られていないだろう。
アメリカでなぜスティブンスンなの?と疑問を抱かれるかも知れない。スティブンスンは英国のエディンバラの作家なのだから。実は、かれは、フランスで知り合ったアメリカ生まれの十歳年上の人妻ファニーに激しい恋をした。そして、帰国した彼女の後を追って一八七九年八月末モントレーにやって来て、彼女の離婚手続きが済む十二月まで滞在していたのである。翌年五月にサンフランシスコで結婚した二人は、金もなく、病弱だったため、今度はナパのセントヘレナ山の近くのシルベラード銀山の廃坑にあった三階建ての抗夫用の無人の小屋に住み着き、静養を兼ねて約三ヶ月の新婚生活を送ったのである。
モントレー滞在中に文無しのスティブンスンが宿泊したフレンチ・ホテルは、その後さまざまな人手に渡ったが、一九三七年州に寄贈され、今では州立モントレー歴史公園の一部としてスティブンスン・ハウスという記念館になっている。
 一方、若い時にスティブンスンの『シルバーラードの無断居住者』という作品に感銘を受け、資料収集を始めたノーマン・ストラウスは大手広告会社ウォルター・トンプスンの会長を辞めた後にセントヘレナに移り住み、財団を作って、一九六九年にセント・ヘレナにシルバラード・ミュージアムという記念館をオープンさせたというわけである。
 この二つの記念館は、スティブンスンが使っていた家具などさまざまな記念の品や初版本、原稿、手紙などを沢山所蔵しているが、ハウスの方は建物などが中心で研究者に便利なのは、セントヘレナの記念館だろう。
スティブンスンの初版本や原稿や手紙などの所蔵では世界一といわれるのは、イェール大学のベイネック稀覯本・原稿図書館だといわれるが、セントヘレナの記念館もなかなかのもの。現在の記念館は一九七九年五月に新しくナバの市立図書館の隣りに建てられたもので、以前よりスペースも広くなり、中に入ると、さまざまなスティブンスンの肖像画、彫像や使っていた机、サモアで生活していた時の蔵書、結婚指輪、子供の時に作った箱、初版本、夫人に贈った「子供の詩の国」、有名な「ジェイキル博士とハイド氏」の直筆原稿の一部、手紙などが展示されている。
私は何度も訪れているのだが、所蔵資料は発足時の十倍の八千点以上に増えているそうで、エドモンド・レイノルズ館長は、「よく見ると、新しい展示品があるはずです」とい
って、昨年末「トゥシターラ物語る人 『宝島』の作者R・L・スティブンスン」という優れた長編伝記を発表した、よしだ・みどりさんの「子供の詩の国」のイラスト入りの翻訳本とスティブンスンの「海辺にて」という詩に水彩のイラストを付けた色紙を展示しているのを教えてくれた。熱烈なスティブンスン・ファン、研究者が日本にもいるのである。
カリフォルニアのさまざまな風物は、その後「宝島」などの名作に取り入れられたが、この作家がカリフォルニアに滞在したのは、合わせてわずか一年足らず。その短い間の思い出を大切に、記念館を建て、セントヘレナ山麓には州立の記念公園まで作ったこの州の人に私は心温まるものを感じた。
(文芸評論家、現在カリフォルニア大学バークレー校の客員研究員としてサンフランシスコ近郊に滞在中)

(2000年2月23日 信濃毎日新聞・掲載)


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