サンフランシスコ

 デヴィッド・ハント『魔術師の物語』

 ハメットの『マルタの鷹』が古き良き時代のサンフランシスコを描いた作品であるとすれば、デヴィッド・ハントの『魔術師の物語』 (一九九七年)は、この魅力的な都市の暗く、不気味な影の部分を浮き彫りにした作品といえるだろう。
この作者の名前を知らない方も、ウィリアム・ベイヤーという名前を聞いたらあるいはご存じかも知れない。
 ベイヤーは、ニューヨークに突然姿を現した巨大なはやぶさが街を恐怖に陥れるという『キラー・バード、急襲』(八一年)でアメリカ探偵作家クラブ最優秀長編賞を受賞したベテラン作家。続く猟奇的な『すげ替えられた首』(八四年)はベストセラーになった。
 ハントは、実はこのベイヤーのペンネームである。一九三九年オハイオ州クリーブランドに生まれ、ハーバード大学を卒業後、アメリカ広報局でドキュメンタリー映画を制作、その後、専業の作家兼映画製作者になった。
 一時モロッコのタンジールで暮らしたことがあるが、帰国後はニューヨークに住み、一連の作品はいずれもニューヨークを舞台にしていた。サンフランシスコに移り住んだのは、九四年から。
 『魔術師の物語』でこの都市を舞台にした新しい個性的な女流写真家ケイ・ファロウが活躍するシリーズを書くために新しいペンネームを使ったという。

「魔術師の物語」表紙


「魔術師の物語」に登場するカストロ・ストリート  ケイは、色の識別がまったくできない全色盲の写真家で、世界には色彩が欠け、独特の灰色の階調で見えるため、普通の写真家にない写真が撮れる。それだけでなく、猫のように暗闇の中で、ものを見る能力を持っている。 『魔術師の物語』は、このケイが、被写体としていつも会い、仲良くしていた二十歳の美貌の男娼ティム・ラブゼイが首を切り離されて惨殺された事件の真相を追及して行く内に未解決の連続殺人事件の意外な真相に迫って行くという話である。
 ケイの異常な視覚から、作品のいたる所で描かれるサンフランシスコの風物が一種幻想的なモノクロの世界になり、しかも同性愛者の売春という倒錯した夜の世界を扱っているだけに、この都市の暗い、影の部分が一層くっきりと浮き上がって来る。
 私はこの十月にニューヨークのコロンビア大学からカリフォルニア大学バークレー校に移ったので、サンフランシスコには週末になるとよく出掛けて行く。
 夜霧の漂う街角、アップダウンの激しい坂道、素晴らしいフィッシャーマンズ・ワーフやブリッジの眺め、観光客があふれるダウンタウンと人っ子一人通らない寂しい道。アメリカの都市にはよくあることだが、通りを一本過ぎると突如として身の危険を感じるような場所に一瞬にして変貌してしまう意外性。

 サンフランシスコは、不思議な美しさとスリルに満ちた都市だ。
『魔術師の物語』は、そういうサンフランシスコの夜や影の部分の魅力を実に見事に描き出している。
ケイは、「わたしはカストロ・ストリートが好きだった」と作中で述べているがバートのシビック・センター駅からミュニ・メトロという地下鉄で三つ目のカストロ・ストリートは同性愛者の街として有名だ。駅の出口から出ると街路の所々に赤、オレンジ、黄色、緑、青、紫など鮮やかな色彩で構成される旗が掲げられている。レインボー・フラッグというようだ。この街では男同士が肩を組んだり、手を繋いだりして歩いている姿が目に付く。
男娼が立ついかがわしいポーク街の
 ガルチ吹きだまり(カルナ)から、明るい同性愛者の街カストロ街、ホームレスがトイレを借りに来るモダンなサンフランシスコ中央図書館、そして高級住宅街のパシフィック・ハイツやロシアン・ヒル……。

サンフランシスコ中央図書館

 『魔術師の物語』は、ケイの目を通して現代のサンフランシスコの光と影を見事に映し出して見せてくれる。著者はそういういくつもの顔を持つサンフランシスコをこよなく愛しているようである。

(1999年11月23日 信濃毎日新聞・掲載)


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