ニューヨーク

 エド・マクベイン『警官嫌い』 (ハヤカワミステリ文庫、ポケット・ミステリ)

 第一作の「警官嫌い」(一九五六年)以来四十五年間書き続けられて来たエド・マクベインの文字通りの大河警察小説である八七分署シリーズが最新訳の「ラスト・ダンス」(二〇〇〇年)で五十冊になった。
 これを記念して、八七分署シリーズの研究家として最も権威のある直井明さんの手で「エド・マクベイン読本」も刊行された。
 聾唖者の美しい妻を持つ優しいキャレラ、はげ頭のユダヤ人マイヤー・マイヤーをはじめ数多くの個性的な刑事が登場するこのシリーズには、ニューヨークのさまざまな光と影が見事に描き出されている。というのも、八七分署シリーズの舞台である架空の都市アイソラは、作者が生まれ育ったニューヨークをモデルにしているのだから。
 一昔前までニューヨークは犯罪都市として知られ、治安の悪さは有名だった。第四十九作目の「ビッグ・バッド・シティ」の中に「この街は危険な都市だ」という一節がある。この街をよく知り、だれよりも愛している作者自身、犯罪都市であることを認めているわけだし、警察小説の存在理由もあるわけだ。
 八七分署は架空の都市の分署だから、どこにあってもいいのだが、作中では、セントラル・パークに似たグローヴァー・パークという公園に沿ったアベニューの六丁目と七丁目の間にあるとされている。が、映画評論家の水野晴郎さんの「アメリカン・ポリス体験旅行」(八一年)によると、八七分署というのは、ニューヨーク市警(NYPD)の分署には実在しない。ブルックリンには、八〇番台の分署があり、八八分署もあるが、八七は欠番になっているそうだ。セントラル・パークとブルックリンでは全然方向違いだが、ブルックリンには、有名な植物園と博物館があるプロスペクト・パークがある。しかし、実際に現場を歩いた印象からいうと、八七分署が近くにあるクローヴァー・パークはやはりセントラル・パークかなとも思う。
 八七分署シリーズを読んだせいで、現地に住んでいたころは、分署や警官のことが気になった。マンハッタンの分署の実際の建物は日本の警察署と似たり寄ったりの地味なものが多いように思う。が、街には、警官があふれ、派手にNYPDと名前の入ったパトカーが 至る所に停まっている。ブロードウェーなどの盛り場では、通りの角ごとに警察官が立っている。それも太めの婦人警官が多い。直井明さんの「エド・マクベイン読本」の中にある「アイソラ警察機構」によると、アイソラの婦人警官の比率は一四パーセントだそうだが、NYPDの婦人警官の現実の比率は三九パーセントとずっと女性比率が高いのだ。街に警察が多いのは、ジュリアーノ市長がニューヨークの犯罪を封じ込めるため、警察力を強化しているからで、色々批判もあるが、九三年から九七年までに殺人が六〇・二パーセントも減ったというので、警察の評判は決して悪くない。警察博物館ではNYPDのTシャツなどのグッズも売られていて観光客にも人気のようである。
 ただし、早朝と深夜は、いぜん危険が一杯で、私が住んでいたころもセントラル・パークでは、早朝秋田犬を連れて散歩していた若い女性が男に襲われる事件があった。
 八七分署シリーズを読んで、直井さんの読本を片手に安全な昼間のニューヨークを歩くのも楽しいかも知れない。このシリーズは、どれも面白いが、私が好きなのは何といっても、第一作の「警官嫌い」である。
 夏の深夜、八七分署の刑事マイク・リアダンが街路で二発の銃弾を後頭部に撃ち込まれて殺され、その後も仲間が次々と銃弾に倒れて行く。一体犯人は?殺人の動機は?
 刑事たちの個性的な肖像が見事に浮き彫りにされているだけでなく、検視解剖報告書や前科記録カードなどのカットが挿入され、捜査過程が現実感にあふれていて迫力満点だ。
 エド・マクベインは、イタリア系アメリカ人で、一九二六年ニューヨークのイースト・ハーレムに生まれ、ブロンクスで育った。八七分署シリーズをはじめとする多彩な作家的な業績によって、八六年にアメリカ探偵作家クラブから巨匠賞、九八年には英国推理作家協会からカルティエ・ダイヤモンド賞を受賞している。
(文芸評論家)

(信濃毎日新聞・掲載)


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