サンフランシスコ
『マルタの鷹』文学散歩

 東海岸のニューヨークの話題がしばらく続いたので七月の初めに西海岸のサンフランシスコに飛んだ。ケネディ空港から約六時間の空の旅。時差も三時間ある。アメリカは実に大きな国なのだ。
 霧の街サンフランシスコを舞台にしたハード・ボイルド・ミステリーの名作といえば、だれでもダシール・ハメットの『マルタの鷹』(一九三〇年)を思い浮かべるに違いない。ジョン・ヒューストン監督の手で映画化されて人気を呼んだので、古い世代の方は、映画でご存じの方も多いかも知れない。
 『マルタの鷹』で印象的なのは私立探偵のサム・スペイドが真夜中に電話でたたき起こされる場面である。電話はパートナーのマイルズ・アーチャーの死を告げる警察からのものだった。
 そして次の情景はサム・スペイドが夜霧の漂う街路を横切ってパートナーの死体が横たわる現場に向かう姿である。

「ジョンズ・グリル」2階に飾ってある映画「マルタの鷹」のスチール写真

「マルタの鷹」作者ハメットが好きだったレストラン「ジョンズ・グリル」  実はハメットは有名なアメリカのピンカートン探偵社の私立探偵として一時サンフランシスコに住んでいた。それだけに、『マルタの鷹』で描かれているサンフランシスコの街並みは実に現実感豊かである。そして七〇年近くも経ったのに、ほとんど変わっていない所もある。
 ホテルの多い盛り場のユニオン・スクエアから歩いて数分のエリス・ストリート沿いの創業一九〇八年のジョンズ・グリルという古びたレストランもその一つ。作者のハメットのごひいきの店で、『マルタの鷹』では、探偵のサム・スペイドが食事をした店として知られている。小鷹信光さんの『ハードボイルドの雑学』にも紹介され、知る人ぞ知るレストランだが、私は十数年ぶりの再訪である。
 金曜日の夜七時半ころに夕食を食べに行ったのだが、お客が段々増え、私のいた一階は満員になり、新しい客はハメットの作品の映画のスティールが壁に飾られた二階に上がって行く。二階では、ジャズの演奏もある。
食事は美味しかったが、カリフォルニア歴史協会が命名したという作中に登場する悪女の名前を付けた「ブラディ・ブリジッド」というカクテルは、残念ながら注文するのを忘れてしまった。
 実はこのレストランは、一九七七年十月二十一日に創設されたサンフランシスコ・ダシール・ハメット協会の本部になっている。
昔はジョンズ・グリルのネオンの下にハメットが立っている姿の載った色刷りのメニューだったが、今のはモノクロで、マルタの鷹像がイラストに使われている。
 スペイドのパートナーが殺されたとされる バーリット小路という場所は、ストリートとストリートがぶつかった、陸橋の脇ある袋小路で、細かい街路図には出ているがちょっとわかりにくい。この近くの建物にハメット・ファンの手で、十数年前に「マイルズ・アーチャーが殺された場所はほぼこの位置である」という銅版の標識が付けられたが、これは前と同じようにちゃんと残されていた。
翌日、ミュニ・メトロに乗ってカストロ街で降り、24番のミュニ・バスに乗り継いで、住宅街の中にあるミステリー専門書店サンフランシスコ・ミステリー・ブックストアを訪ねた。なかなか品揃えのいい店で、研究評論書なども結構そろっている。お店にハメットの肖像画が飾ってあるのはいかにもサンフランシスコらしい。みんなハメットを誇りにしているようだ。

 独立記念日でほとんどの店が休みなのに、開店していたのは助かったが、来店客も結構多く、女性客の一人にシアトルにもいい専門書店があるから行ってごらんなさいと教えてもらった。店員のギャリー・マクドナルドさんに「日本人は私が初めてか」と聞くと、「めったに来ないが、前に若い人が来た」といっていた。この人もミステリー通らしくお客の質問にてきぱき答えている。好きな作家はマイクル・コナリーだそうである。(文芸評論家、コロンビア大学客員研究員としてニューヨークに滞在)

(1999年7月28日 信濃毎日新聞・掲載)


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