文化人の呉一騏論 2. of 呉一騏現代水墨画芸術


THE SUIBOKU MONOCHROME ART EXHIBITION BY IKKI GO

「山水の気脈に存在する光を水墨で」
月刊水墨画誌 2014/5月号
「水墨の最前線」評論文より

評論文=泉屋博古館分館長 野地耕一郎

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呉一騏・現代水墨画作品集美術年鑑社 出版)
「無限の可能性・若い才能の開花」作品集の前文より

東京都庭園美術館名誉館長  鈴木 進

@3.JPG空間と光への鋭敏な感覚
過日、呉 一騏さんの数十点に及ぶ作品を拝見した際にも美術界の国際化と東洋的感性の限り無い可能性を考えさせられたものである。
呉 一騏さんは、八七年に来日し日本の美術をはじめ芸術全般を研鑚しつつ独自の創造的な水墨画の世界を開拓している。その作品を一見して、空間と光の表現はこの画家の鋭敏な感覚が並々ならぬものであることがわかる。中国的風景にしろ、具象的な表現より象徴性の高い画面に好感を覚えた。例えば、「靄光峯立」。中国で研鑚を重ねてきたであろう水墨の『線』を惜しげもなく放弃して、墨の濃淡と滲潤による見事な暈しによって画家の心象の風景を抽象に近いほど極限的に抽出している。心象風景を極限まで抽出した分、余白には画家の精神性が凝縮されていた。

この画家のもうひとつの特質は光に対する鋭い感覚である。これはこの画家のいずれの作品にも感じられるもので、さらに精進を重ねることによって精神的な光の表現が『慈光』と呼ばれる画境に到達しえよう。自然観の深まりは画家のもつ哲学の反映であり、人生体験の拡がりは人格を大きくする。それが作品を深め、高めることはいうまでもない。 なお水墨画の現代化には日本においても、明治以後多くの大家たちが取り組んできた。横山大観、川合玉堂、村上華岳など、それぞれの画家がそれぞれの解答を作品として残している。現代においても何人かの画家が取り組んでいるが、呉 一騏さんも水墨の現代化を担う旗手の一人といえよう。(拔粹)

東京日中友好美術館・個展
「呉一騏の水墨藝術展」の感想文より

金沢美術工芸大学教授  遠藤 光一


この度は、呉一騏のずばらしい作品を拝見でき、ありがとうございました。王維の「画中に詩あり・詩中に画あり」の境地がよく表現され、また、客観性を尊重しつつ、81.jpg主観的要素が明暗の処理皴法、点法が巧みに用いられていて、洗心の思いがあります、そして、静寂の画面の気韻生動はあります、将来へ期待を持ってます、頑張って下さい。


※荊浩の「筆あって墨なし・墨あって筆なし」の面が強い、墨色の陰陽、濃淡、柳揚、虚実は成功している。面的な表現は、それの各作品の画面に濃い黒色の矩形や正方形は表現上にあなたの心象表現だと思う。成功しているものである。




水墨作家展2011(国立新美術館にて)

美術史家  島尾 新 (学習大学院教授)

2010水墨作家展(評論文部分摘)

……呉一騏さん独特の様式化された山の姿、そして余白を輝くような大気へと変える技は極まってきている。

2011水墨作家展(評論文部分摘)

……北宋山水画の光と影を、新たな姿で生き返らせた呉一騏さんのスタイルは、もう完壁である。あの紙の白を光に変える表現は、大げさでなく水墨山水史に記されるべきもの。

月刊「水墨画」誌2014/4月号「墨が動かす」 

……墨の動かし方から見ると、呉一騏さんは対照的といえるのでしょうか。小さな円弧を重ねて山を描いています。
島尾 画面全体を見ても、ともかく微妙な墨の動かし方。すーっと滲ませるのでもなく、朦朧体のように手で暈かすのでもありません。そのグラデーションが絶妙ですよね。
どうやっているのでしょう。
島尾 やり方は企業秘密だそうですが、とても細かく製御しています。「ここまで動け」と、墨と紙に言うことを聞かせることができるのです。
それによって、ふわーっと画面が光ります。
島尾 この柔らかさと、微妙な濃淡の表情も、墨の動かし方から出てくるわけですね。
馬驍さんが溌墨山水なら、呉一騏さんは北宋の山水画。
島尾 どちらも源泉とは別物ですね。北宋の山水画はイリュージョニズムーー実際の風景を見ているような幻想を作り出そうとするものでした。
呉一騏さんの光るところは霞。
島尾 でももう霞というよりは、光と大気とか光そのものと言った方がいいよね。
抽象化されているということですね。
島尾 抽象化かつ象徴化といえばいいでしょうか。山も空間の奥行きもそうだよね。
しずかに深まってゆく、とても奥深い空間ですが、リアルというのとは違います。
島尾 全体を見直すと、この明と暗とが、まさしく墨の動いた結果だという感じがしてこない?
騙されているよな気もしますが、微妙に墨が動いた感じが見えますね。
島尾 馬驍さんの絵もそうでしょう?見えるのは雲霞だったり山だったりするけれど、やっぱり動いた墨の跡。それと紙とが織りなす模様が美しいのです。 

美術評論家 高山 淳

……呉一騏「天光演繹系列」作品は北宋系の水墨を思わせような厳しい作風である。
屹立する山のデフォルメされたかたちが強く、また神韻縹渺としてシュールな味わいさえ釀し出す

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