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Explorer Spirit   巻頭エッセイ 3   雪庇


「雪庇」という言葉が指し示す雪塊の範囲はいったいどこまでなのか――。その言葉が表す定義に定まった解釈がなく、人によっていろんな解釈がなされているらしい。

僕たち登山者が一般的にこの言葉を使う場合は、雪が空間に張り出した形状を指していう。それで特別問題が起きることはない。そして一般的な登山知識として、雪庇の崩壊については、雪庇の真下の風下側斜面の延長線上より雪庇側が、崩壊が起こりうる最も危険な地帯と説明する。そして、そこから反対側、風上側の斜面に向かってグレーゾーンが続き、安全地帯は雪の稜線ができる基になっている無雪期の稜線の風上側斜面と考える。

もともと雪庇は風によって運ばれた雪が稜線を越え、風の運搬力より重力の影響力の方が勝った地点に吹き溜まりを作っていく現象である。稜線を越えた風下側に吹き溜まりを作り、それが徐々に積み重なって厚みを増し、しだいに雪が作る稜線そのものを風下側に移動させながら厚く大きな雪の塊として育ち、ついには先端が庇状に大きく張り出していくものである。このような雪庇の成因から考えると、基の稜線の風下側にできる吹き溜まりすべてが雪庇と言えばそう言えなくもないだろう。発生初期の小さな雪庇を見るとむしろそう定義した方が明快だろう。

空間に張り出した雪庇は、当然ながら雪庇の自重と雪庇を形成する雪の強度との関係から、重みに耐えかねると内側に巻き込み始め、ついには破断して切れ落ちる。それが雪庇のどこから切れ落ちるかは、日々を重ねて徐々に厚みを増していく雪庇の成因にもよる。当然ながら日数を重ねて少しずつ大きくなったものは氷化を伴い、雪の庇そのものにもかなり強度がある。その反対に数日あるいは数週間で大きく育ったものは強度が乏しい。したがって、雪が降り始める季節の初めからこつこつ育っていったものはたいがい強度が大きいという傾向がある。こんなふうに言えるのは、もちろん雪庇そのものが登攀の対象になるからである。

風が複雑に舞う地形に存在する稜線で発達することが多い、いわゆるきのこ雪は、早い話が雪庇である。それを支える稜線がもともと幅の狭いものだから、雪庇が空間に大きく張り出すことはめったにない。きのこ雪の場合、稜線の片側だけに発達することもあれば、稜線の左右両側に発達することもある。はたまた、段差がある尾根の突端では周囲300度ぐらいの勢いで、まさにきのこのように発達することもある。きのこ雪の場合は、空間に大きく張り出しても、たいがい2メートル内外のものが多い。

無雪期には想像もできない藪尾根に発達したきのこ雪を登っていると、柔らかいところと硬いところが層になっていることがわかる。雪が降るときの気温や風の状況と雪の降り積もり方、雪の自重、日照や気温の変化、湿った雪や乾いた雪などが複雑に絡み合って幾重もの雪の層ができるのだ。きのこ雪の成長は雪庇と同じく、風や気温、自重、日差しの影響などを強く受けるため、当然ながらきのこの傘に比べ、柄に当たる部分の方がやわらかい。吹き溜まりに当たる柄の部分は、雪が吹きつけて厚みを増すだけで、どちらかといえば軽くふんわりと積もる。そのうえ、日差しの影響はおおむね半日ですむ。しかし、傘の部分は自重ばかりか、吹きさらしのうえ、気温や日差しの影響を一日中強く受けることになる。こんな生育状況を考えると、柄の部分と傘の部分とで雪の強度が異なるのは容易に想像できるだろう。だから、きのこ雪でも、あまりに張り出しが大きなものは崩壊の危険も考えて行動しなければならない。

きのこ雪を越えて稜線に這い上がると、その稜線は意外にだだっ広い。それだからといってだだっ広い雪稜のどこでも歩くことができるわけではない。このだだっ広い雪稜は、積雪の真下にあるその基となる稜線が支えているのだ。きのこ雪の多くは、稜線が走っているところ以外は空間に大きく張り出しているわけだから、下から登るときに見ていた張り出し具合をイメージして、自分の体重を支えてくれそうな基の稜線が通っている真上を歩くことになる。海外のもっと複雑に風が舞う地形では、雪稜の途中に大きく張り出したきのこ雪ができる。本当にマッシュルームと呼ぶにふさわしい形に生長したきのこ雪は、きのこ雪の真上を歩くか、左右どちらかから回り込むかを考えなければならない。どちらを選ぶにしてもきのこ雪の通過は神経を使う。きのこ雪は特殊な雪庇だが、雪庇の中では最も取り扱いが難しい。

もし、雪庇の安全地帯のみを歩けということになったら、今まで登っていたこのような風と降雪が作り出す微妙な稜線は一切歩くことができない危険行為とみなされることになるだろう。なんてったってきのこ雪ができるような稜線の場合は歩行に適した安全地帯というものがない。だが、これはもちろんきのこ雪だけの話ではない。先の尖った狭い主稜線などでも普通に起こりうる話である。幅が狭い稜線では、小ピークと小ピークの間にできる雪庇をうまく利用しないことには稜線の通過そのものが困難に見舞われる。もちろん穂高などの岩稜地帯に見られるそんな幅の狭い稜線の登降を目指す登山者は、おそらくこれまでと同じように、これから先も以前と何ら変わることなく、このような雪庇が発達する稜線に挑戦することだろうし、アルパインクライマーは両雪庇のきのこ雪が成長する雪が織り成す困難な稜線に挑戦することだろう。

雪山登山では雪庇を利用して登る部分が少なからずある。雪庇をうまく利用して進む方が、危険地帯の通過が容易になり、相対的に安全性が増すからだ。南米パタゴニアのセロ・トーレの氷帽などは成因が多少異なるかもしれないが、まさにきのこ雪そのものである。ヒマラヤなどの氷河が発達する高所の登山や登攀では、雪庇はもちろん、傾いたセラックをも越える場面に遭遇することがある。自然が醸し出すそういった障害をどう克服していくかは登山者の腕の見せ所である。登山における冒険は、自然の妙と人間の知恵が作り出す。そして、その冒険はどんなところにも可能性を見出す気持ちがなければとてもつとまるものではない。山登りと違って大金を必要とする宇宙開発などにも同じことが言えるだろう。危険ばかりを唱えていては一歩を踏み出すことができない。一歩を踏み出すことができなければ、障害を克服する知恵など生じるわけがなく、進歩も望めない。危険をどう捉え、どう回避するかは個人の知識と経験と知恵と判断力がものをいう。

えてしてこんな稜線の最後には、主稜線に張り出した大きな雪庇が待ち構えていることも多い。5メートル、10メートル張り出した雪庇もざらにある。この雪庇をどう越えるかについては二つの方法がある。一つは雪庇の下を右か左に回りこんで、張り出しの最も小さなところから乗り越えることである。もう一つは雪庇のど真ん中にトンネルを掘って、人間が通ることができる穴を開けることである。戸隠のPT尾根では雪庇を越えるのにトンネルを掘ったことがあるし、登攀の高度差が二千数百メートルもあるマッキンリー(6194m)南壁アメリカンダイレクトを登って最後に雪庇に出くわしたときは、上部の雪庇の張り出し具合を見、雪庇のはるか下から雪壁を左に回り込むように登っていき、最も張り出しの少ないところから乗り越えた。

※巻頭エッセイは月一回の発行を目標にしています。

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