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著書・著作 Books & Writing
エンジェルフォール初登攀(毎日グラフ)
始めて原稿料というものをいただいた文章だが、文章よりここに掲載されている写真がインパクトがある。この写真を使って番組を作っていたら何がしかの賞をもらっていたのではないかと思う。テレビで放映された登頂の映像は後で撮ったものだからいまいち迫力に欠けるが、この写真には迫力がある。苦労と喜びが体の中から溢れ出ている写真だと思う。けっこういい番組だったから事実を淡々と追っていけば迫力ある番組になっていた気がする。登攀って面白い。当時、倉岡が5.11を登るクライマーだと知っていたから絶対に登れると思っていた。最後は食料が尽きたのだけど、残り二ピッチを十四時間かけて登りきった。倉岡の登攀が終わったのが午後五時だったから、僕はすぐに登り始めたけど、大地に抜けたのはそれから五時間半後のこと、真っ暗闇の中でのことだった。
再起の山(私家版)
1988年12月、これまでにさまざまな雑誌に書いていた原稿をまとめ、さらにダウラギリT峰東壁を目指して行動した書き下ろしの原稿を加え、一冊の本を作りました。考えてみればこれ以外にも原稿があったのでそれまでに書いたすべての原稿をまとめたというわけではなかったのですが、こうして一つにまとめ、過去の記録を振り返ってみると、誰も手を出さないようなずいぶん難しい登攀ルートに好き好んで繰り返し出かけていたのだなと実感します。
これらのルートは装備が変わり、登り方が変わり、登攀そのものがやさしくなりつつある今でもなお難しいルートの一つです。その証拠にこれらのルートは無雪期は数多くのクライマーを迎えるようになっているにもかかわらず、積雪期は相変わらず、指折り数えられるほどの挑戦者しかいません。成功者となると折る指がないほどで、まだまだ未踏の領域です。
これらのルートは確かに難しいのですが、これらの登攀が危険だと思ったことはありません。登攀を成功に導くためにそれなりの準備をし、経験を積み重ねていたからです。難しいルートを登れば登るほど一ランク下のグレードのルートは初見でも登れるようになるものです。アルパインクライミングで経験するこの変化は、フリークライミングにおいて味わうグレード感覚の変化と何ら変わりません。こういった形の困難への挑戦は、海外の大きな岩壁登攀に役立ったのは言うまでもありません。
この本はいろんな方の協力を得て作ることができました。本には名前を入れるのを忘れてしいましたが、表紙装丁は居酒屋シリーズの本を書いているデザイナーの大田和彦さんです。今や居酒屋評論家かと見まがうほどですが、実は有名なデザイナーです。印刷は岩崎印刷。原稿の打ち込みは、えーと、フルネームがわからないからあとで調べなきゃならない。確か渡辺玲子さん。編集や原稿のチェックは神長幹雄、紀村朋子、山本美穂子さんら山と渓谷編集部の方々にお世話になりました。
皆さんありがとうございました。この本を作ったのは年末で、本来なら年賀はがきの印刷で忙しい時期で、とてもこんな短期間にできあがるものではなかったはずですが、昭和天皇の様態の悪化を受けて年始の挨拶を控える人たちが多かったのであっという間に出来上がった次第です。いろんな人たちの協力を得てできあがった本ですが、それだけに思い出深く、本自体もけっこう気に入っています。幸いなことに古本屋ではまだみたことがありません。流通している部数が少ないから当然でしょうが、予期していなかった人から持っていると聞かされて驚いたこともあります。けっこうみんな大切に扱ってくれているらしいのでうれしく思います。
「再起の山(1988年刊) 」目次
第一部 凍てつく壁へ
谷川岳一ノ倉沢烏帽子沢奥壁・ディレッティシマ
谷川岳一ノ倉沢烏帽子沢奥壁・南稜フランケダイレクト
不遇の戸隠連峰・西岳P3尾根
谷川岳一ノ倉沢コップ状岩壁・左カンテ
第二部 憧憬の大地へ
「エンジェルフォール」完登
ベネズエラ・エンジェルの滝登攀記
アラスカ三山速攻
感慨なき登頂・マッキンリーからエベレストへ
再起の山・ケニヤ山ダイヤモンドクーロワール
赤道に氷を求めて ケニヤとキリマンジャロの登攀
プッシュ・マイセルフ アメリカの野外学校
新たなる旅立ち・ダウラギリT峰東壁今読み返してみるとあの時はこんなことを考えて山を登っていたんだなということがわかり、けっこう面白い。記録というのはやはり残しておくべきものなのだろうと実感する。パキスタンのスキルブルムのセラック崩壊による爆風で亡くなった広島三郎さんが登山記録をちゃんとまとめて残しておいた方がいいよと僕に言った言葉の重みがよく理解できる。
木本哲プロフィール(「白夜の大岩壁・オルカ初登頂」のページから)……公開を取りやめています
僕のビッグ・ウォール・クライミング小史……公開を取りやめています。「目次」を参照してください
しぶとい山ヤになるために=山岳雑誌「岳人」に好評連載中……登山開始から山学同志会在籍一年目までの山行で学んだこと感じたこと
自己紹介(木本哲登山および登攀歴)……山学同志会在籍一年目に培った技術を基礎として実行した初登攀〜第3登を中心にまとめた
Satoshi Kimoto's World(木本哲の登攀と登山の世界)……山学同志会在籍二年目から海外のさまざまな山や岩壁を登りに出かけた
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