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巻頭エッセイ
Kimoto Satoshi Alpine Climbing School
Explorer Spirit 巻頭エッセイ 2 ベテラン
3月中旬あたりから週末のたびに天気が崩れたせいか、あちこちで遭難事故が立て続けに起こった。春先特有の足の速い低気圧による典型的な気象遭難だが、死亡者は皆登山歴が10年以上の上級者や20年も30年も登山経験があるベテラン登山者だと報じられていた。中にはヨーロッパアルプス登山やヒマラヤ登山の経験もある者さえいたと伝えられているのだ。だが、ベテランと崇められているような人たちがどうしてこんなにいとも簡単に死んでしまうのだろうか。
春先の低気圧は昔から台湾坊主や日本海低気圧などの固有名詞で呼ばれ、三陸沖や北海道沖など日本の東方海上で台風並みに発達するのが特徴で、低気圧の発達に伴って強風が吹き荒れる。登山の上級者やベテランと呼ばれる人ならそんな知識や経験は当たり前のように身につけているものだと思うが、簡単に悪天の餌食になっているところを見ると、登山知識も登山技術も登山経験も欠乏していたのかもしれないと疑問を抱かせる。そこには上級の登山者が押しなべて持つ特有の粘りが見えない。
新聞報道によると、谷川連峰仙ノ倉山の遭難事故の直接の原因は、ザックカバーが飛ばされ、それを直しているうちに2人の登山者が皆とはぐれたことであるが、ザックカバー一つと自分の命とを比べたら、自分の命の方がはるかに高価なことは誰も疑いを抱かないだろう。ザックカバーはいつでも買い替えることができるが、自分の命は決して買い替えることなどできないのだから――。
この遭難事故に関するコメントの中にGPSの積極利用を謳うものがあったが、遭難の直接の原因が道迷いとは違い、風で煽られたザックカバーを2人で直しているうちに取り残されてしまったというものなので、コメントそのものが的外れのようである。たとえGPSがあろうとなかろうと、2人は結果的に置いていかれ、道を失うことになるのである。また、2人がついて来なくなって気付くまでわずか20分ほどだという話であるが、強風が吹き荒れるホワイトアウトの状態の中で、20分も離れてしまえば、取り残された人が隊列に戻れず、はぐれてしまったとしても当然だろう。単純に考えても時速3キロの歩行スピードなら20分の間に1キロもの差がつく。時速2キロで666メートル、時速1キロでも333メートルも離れてしまうのだ。視界が閉ざされたときは50メートル先どころか10メートル先も見えないことがある。それが普通に起こるのが山なのだ。
登山者は、条件が悪くなればなるほど周りのことには目もくれず、自分自身のことしか考えなくなるのが普通である。悪条件の中、20分間後続する者のことに思いが到らず、メンバーが着いてこないことに気がつかずに歩くというのは、ガイドならともかく、ごく普通の登山者ならごく普通に行ってしまうことだろう。ホワイトアウトに強風、それに雪が混じっていれば、視界は閉ざされ、叩きつける雪粒はまるで小さな石つぶてを投げつけているのと同じ状態になり、風上には顔を向けられない。耳元では激しくぶつかる雪つぶてがフードに当たる音がこだまし、それだけで外界の音が遮られてしまうのだ。その状況はまるで何も見えない、何も聞こえないのと同じである。
こんな状況では、もちろん途中でだれかが隊列を離れ、遅れている人がいるということに気づいたときには手遅れである。嵐の中ではどんなに大きな声で叫んでも、声は風にさらわれそう簡単には通らない。強風は口元から発した音をあっという間に風下に吹き流してしまうのだ。そればかりか50メートル先、100メートル先が見えないホワイトアウトの中では視界が奪われ、距離と方角の情報が混乱する。200メートル先、300メートル先という距離はまるで永遠の闇の中にいるに等しい距離である。もしそのような状況下に取り残されたとしたら、最後には風と寒気を和らげるのに必要な雪穴を掘るしかなくなるだろうが、雪穴を掘る道具や技術、体力が有り余っていないとすれば、隊列から離れることそれ自体が死を意味するに等しい状況になってしまうのは容易に想像できる。
もし、もう一方の、本隊のメンバーではぐれた2人を探しに行くことに決めたとしても、2人を探しに行く者が皆とはぐれる可能性は捨てきれない。こんな状況下では、遠くまで探しに行くこと自体が無理な相談である。グループが留まった地点から周辺100メートル以上離れて2人を探すのは難しいだろう。
このようなだだっ広い場所は、天気がいいときに行動するのなら確かに安全で、まず問題は起きない場所である。だが、いったん天気が崩れ、ホワイトアウトになったとしたら、一転して的確な情報がつかみにくい場所になり、パーティーを構成する一人ひとりがばらばらに行動することなど考えられない場所となる。したがって、隊列から離れた誰かを探しに行くことそれ自体も無理な話となってしまうような場所なのである。それがベテランの常識というものである。
彼らにも認識があったように、平標山から仙ノ倉山に到る稜線は非常にだだっ広く、たとえ転んでも落ちるような稜線ではないだけに、全員がロープで繋がっていさえすれば、死亡事故は防げただろう。もしこれがガイド中の遭難事故なら取り返しのつかない単純ミスの事故である。登山グループのリーダーと目されるガイドの責任を問われたとしても不思議ではないだろう。
一方、飛び石連休中の八ヶ岳では、阿弥陀岳南稜から阿弥陀岳を越ええてきたパーティーの3人が、阿弥陀岳と中岳のコル(鞍部)でビバークし、3人の方全員が亡くなるという痛ましい遭難事故が起きた。あと30分も下れば行者小屋につくという場所での遭難事故である。その場所でビバークするという道を選択した考え方そのものが僕にとっては理解しにくい遭難事故である。たとえコルまで来てメンバーの1人が凍傷で歩けなくなったとしても、テントかツエルトにその人を乗せて中岳沢沿いの急斜面を引きずり下ろすことは容易にできただろうと思われるのだ。少しでも下れば風はだいぶ和らぐ。もし、ビバーク地付近に穴を掘れるほど元気な者がいたのなら、行者小屋に駆け降りれば、そこにいる登山者に助けを求めることもできただろうにとも思われる。
3月下旬の飛び石連休中に起こった谷川連峰と八ヶ岳の遭難死亡事故を振り返るとき、上級者やベテラン登山者といういう言葉が新聞に踊り、テレビやラジオの報道で繰り返されたことに思いが至る。こうした言葉は、登山者の行為に正当性を持たせるのにとても便利な言葉である。しかし、この言葉の奥には登山者の側の甘えも潜んでいるように思われてならない。10年、20年の上級者やベテラン登山者だから遭難事故は起こさないというのは、実際ありえないことである。もちろん10年、20年のベテラン登山者が引き起こした遭難事故だからしょうがないという考え方もありえない。体力が落ち始める中高年といわれる人ならばもっと真剣に自分の命について考えてみるべきだろう。死なずにすむような状況下でかけがえのない命を落とすのは本当にもったいないことである。上級者やベテランという言葉は、その道の酸いも甘いも知っている人に対して使う言葉ではないのだろうか。もしそう思うのなら、上級者やベテランらしい味のある判断をしてほしいものだと思う。
ベテラン=その専門での経験を積み、技術・判断力の特別すぐれた人。(三省堂発行新明解国語辞典第五版から)
参考資料 読売新聞、産経新聞、共同通信、毎日新聞、時事通信、ほか
3月から4月にかけ、唐松岳、白馬岳、安達太良山、八ヶ岳、仙ノ倉岳、一ノ倉岳、男体山などで生死はともあれ悪天による遭難事故が起きている。11人が亡くなった。
※巻頭エッセイは月一回の発行を目標にしています。
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