巻頭エッセイ
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Explorer Spirit 巻頭エッセイ 5 巨星=追悼 橋本龍太郎日本山岳ガイド協会会長
橋本龍太郎のお父さんの橋本龍吾さん自身が、山岳ガイド(山案内人)を雇って登山をしていたせいか、山好きの橋本龍太郎自身も、山は危険だから注意しろと親から諭されていたらしい。橋本龍太郎のお父さん龍吾さんが書いたガイド登山時の文章について酒宴の席で尋ねたときそんな話を聞いた。
お父さん同様、橋本龍太郎自身も山登りが好きだったから、山岳ガイドの必要性は誰よりも親から聞かされていたのだろう。また、自分自身も山岳ガイドとともに登山を行うことによって、誰よりも山岳ガイドの必要性を認識していたはずである。だからこそ、山岳ガイドの組織を作ろうという話が持ち上がったとき、この計画に対して前向きに応え、プロの山岳ガイド集団日本アルパインガイド協会設立に深く関わったのである。そして、環境庁管轄の社団法人日本アルパインガイド協会としてプロのガイド組織を発展させる道を模索したのだろう。
社団法人日本アルパインガイド協会の設立からずいぶん時が流れ、国際ガイド連盟に加入するために新たなガイド組織が必要となり、日本山岳ガイド連盟を設立することになったのだが、社団法人日本アルパインガイド協会会長の橋本龍太郎は、この新たなプロガイド組織の会長をも一手に引き受け、プロガイド組織は頭が同じでありながら異なる考え方、異なる方向性を持つ組織に二分されることになった。
これら二つのプロガイド組織の一方は入会条件が厳しく、所属するガイドのガイド技術の高さが売り物となっていた。そしてもう一方は入会条件が緩やかで、所属するプロガイドの人数の多さが売り物となっていた。国際的なプロガイド組織に加入するため、新たに大きなプロガイド組織を急造する必要に迫られていたため、所属するプロガイドのガイド技量には目を瞑る以外に方法がなかったのである。それがプロガイドの質が均一にならなかった原因となり、現在にわたって大きな問題を残している。
これら二つのプロガイド組織は日本山岳ガイド連盟の社団法人化を巡って対立を激しくしたが、橋本龍太郎会長自らが下した判断はプロガイド組織の一本化であった。プロガイド組織の一本化に当たっては、対立するのではなく、旧社団法人日本アルパインガイド協会所属のガイドをうまく配置して、新生社団法人日本山岳ガイド協会所属ガイド全般のガイド技術を高め、プロガイド組織を強力なものに、かつ規模を大きなものにすることを願っていた。
いずれにせよ、紆余曲折しながらも、橋本龍太郎会長の意向に沿うよう二つのプロガイド組織が統合合併し、社団法人日本山岳ガイド協会が設立された。新生プロガイド組織の設立から早くも3年がたち、現在4年目の歳月を刻んでいるところである。とはいえ、前身の社団法人日本アルパインガイド協会設立から社団法人日本山岳ガイド協会へと継続発展してきた流れを考えれば、社団法人日本山岳ガイド協会は実に35年もの歴史を持つ日本唯一のプロガイド組織である。そんなプロガイド組織の誕生から新生まで深く関わり、ガイドの立場を最もよく理解していた橋本龍太郎会長を失ったことはわれわれプロガイドにとってはまさに大きな損失である。国際山岳ガイド連盟の総会が初めて日本で、それも日本で最も有名な山岳観光地上高地を抱える松本市で開催されることが決まった矢先だっただけに、もう少し橋本龍太郎自身が関与したプロガイド組織の成長発展を優しく見つめていてくれていたらと思う。
プロガイド組織の成長段階において、国際山岳ガイド連盟加盟直前に社団法人日本アルパインガイド協会の発展に尽力した長谷川恒男を失い、国際山岳ガイド連盟初の日本総会開催直前に社団法人日本山岳ガイド協会の発展に尽力した橋本龍太郎を年若くして失ったのは痛恨の極みである。しかし、残された者は彼らの遺志を受け継ぎ、まだ成長発展途上にある日本のプロガイドの地位と技術の向上を目指して、一致団結して努力し、いっそう発展させなければならない。
残念なことに、社団法人日本山岳ガイド協会所属のプロガイドがついていながら起こる遭難事故はなかなかゼロにはならない。所属ガイドの資格認定時の検定や資格更新研修会のあり方を考慮しつつ自分自身を含めたガイド全員に再教育を施し、ガイドが引き起こす遭難事故を限りなくゼロに近づけなければならない。それがプロガイドの組織として不特定多数のクライアントから信頼を勝ち取る道であり、プロガイド個人の地位の向上に繋がる道である。組織を強力なものにしようと考えたとき、ただ所属するだけではなく、所属するガイド個人個人がそれぞれ高いプロ意識のもとにガイド技術の研鑽に励み、ガイドとしての技量を高めていく必要があることもまた明らかである。所属するガイドの技量を高めて遭難事故をゼロにすること、それこそが橋本龍太郎が望んでいた道なのである。
橋本龍太郎 2006年7月1日多臓器不全にて死亡。享年68歳。政治家。社団法人日本山岳ガイド協会会長。
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Explorer Spirit 木本哲
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