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カナダ北極圏バフィン島・サムフォードフィヨルド
Kimoto Satoshi Alpine Climbing School
ウォーカー・シタデル南東壁登攀(2003年)
Walker Citadel at Baffin Island in Canada
高度差1230m、 5.10+、 A2
"VERTICAL ASCENT"
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できれば新ルートを登りたい――。それがアルパインクライマーの夢ではないだろうか。それがだめならできるだけいいルート、面白そうなルートを登りたい――。僕はいつもそう思っている。そう思う大きな理由は一番目に登るのと二番目に登るのとの情報量の違いにある。この先がどうなっているのかわかっているのとわかっていないのとでは、難しさも、面白さも、恐怖心も、疲労も、大きく異なる。たとえ目印が残っていなくても、そのルートを過去に登っているパーティーが多ければ多いほど安全性も確実性も高いのが普通なのである。つまり情報の多寡が登攀の困難度をも左右するのである。だからこそオンサイトという行為に価値が見出せる。僕はそんなことを考えながら夢を目指して極北の大岩壁に挑戦しようと旅立った。
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ウォーカー・シタデルの登攀は、環境にも、ルートにも、パートナーにも困難を抱え、厳しすぎるのではないかと思うくらい登攀条件が悪くなってしまったが、傾斜といい、大きさといい、挑戦の対象としては申し分なかった。しかし、進行具合とそれぞれの人間の登攀意識の違いを考えると、登り始めるとすぐに新ルートからでは山頂には届きそうにないという感じがした。もともと二つのブランクセクションがあるラインではあったのだが、ピトンを打つクラックラインすらなく、岩が予想より硬すぎ、また脆すぎ下部急傾斜帯を抜けるだけで膨大な時間がかかりそうだったのだ。しかし、決して登れない壁ではないので、僕はユウジと話をしているうちに新ルート開拓を諦め、早めに既成ルートに変更して登り続けることを決断した。情報が多い既成ルートは未踏ルートと違って登りやすい。少なくともそこにはグレードという情報がある。これがあれば今から登るところがどのくらいの難しさかすぐにわかるのだ。既成ルートなら今よりもっと登り易くなるので、再び全員が登攀に参加することも可能である。少なくとも僕は、既成ルートは絶対に登れるだろうと高をくくっていた。しかし、あにはからんやこの思惑もあっさり外れることになった。
始めは4人だった僕のクライミングチームは、登攀隊員が1人欠け、2人欠け、そして最後には誰もいなくなっりたった一人になる……。この雰囲気は、僕が始めて参加した山学同志会一年目の穂高岳屏風岩登攀を目指して出かけた冬山合宿に似ていた。先輩が1人欠け、2人欠け、結局最後には誰一人としていなくなり、新人の僕は屏風岩の登攀を諦めざるをえず、前穂高岳北尾根から前穂高岳の登頂を目指していた新人グループに合流するため、1人で登ったこともない慶応尾根を登り、北尾根隊がベースキャンプを設営していた[峰の頭に向かったのだった。横尾から徳沢に戻り、慶応尾根を登り、[峰の頭を経、その先はたまたまそこにいた先輩と連れ立って2人で頂上に向かったのだが、V、Wのコルに達したところで、前穂高岳登頂を終えたメンバーが下りてくる姿が見えた。そのとき、北尾根の稜線が混雑する前に下山してしまおうと言う先輩の声に、つい今しがた登ってきた尾根をあっさり後戻りしたのだった。大きな夢を抱いて臨んだ山行は、屏風岩の登攀も前穂高岳北尾根の登攀も中途半端な形で終わってしまったのである。
ウォーカー・シタデルの既成ルートの登攀が失敗した理由はいろいろあげることができるだろうが、一言で言えば登攀意欲の欠如だろう。予想外の寒気、脆い岩、山頂付近から落ちてくる落石の脅威――。僕から見れば、これらすべては想定を大きく外れるものではなく、このような岩壁に挑戦すればごく普通に経験することである。しかし、他のメンバーにとってはすべてがこれまでの経験を越えていたのだろう。経験不足や登攀意欲の不足から生じる恐怖心や敗退圧力は、登攀意欲でしか跳ね返すことができない。残念ながら今回の登攀では登ろうという強い意思を持って挑んだ人間は1人しかいなかったということかもしれない。これは大きな誤算だが、絶対に登れるという言葉に半信半疑ながらついてきた者もいた。出発直前の事故で体に不具合があるが、4分の1は登るつもりだと公言した彼と僕の2人だけが最期まで頑張ったのが何とも言えない皮肉な結果となった。壁が自分の想像以上に大きい上、気象条件が悪く、厳しい環境に適応できなかったことが大きいのだろうが、登攀意欲はこれらとはまた別のものである。
最後まで登り続けたパートナーの「2人でも十分登れる壁だったね」という声は、登攀終了間際の感想である。もし最初からそういう認識に立って挑んでいたとしたら、たとえ2人だけになっていたとしても十分余裕を持って登ることができただろう。あと1日だけ時間が許せば、確実に登れていただろうと思われるだけに、もう少し早くそういう認識に至っていたらと思う。そう思うと残念でならないが、彼にそこまで要求するのは始めから無理なことだった。半信半疑ながらも最後までついて来たからこそ、ともに最後まで闘ったからこそ、そういう感想が生まれてくるのだから――。直前に肩の脱臼という最悪の事態に直面したことを考えると、完登が読めるところまで頂上に肉薄できたという事実を持って自分自身を納得させるしかないのだろう。
結局、頂上にはどう頑張っても届かないと確信した段階で、登攀続行を諦めることにした。頂上まであと2ピッチ残そうが、4ピッチ残そうが、10ピッチ残そうが、この壁が登れないという事実に対してはそう大差はないからだ。NHKサイドはできるだけ頂上に肉薄して欲しいと思っていたようだし、実際そういうふうに言っていたが、僕は撮影に専念する道を選んだ。三段ハングの先はしばらく容易なピッチが続いていたので、それを見るとやはり未練は残る。あとたった1日という時間があれば、登攀ルートの完登を目指して突っ込むことができるのだから……。
現地の自然条件は思いのほか厳しく、登攀は日が陰ったとたんに氷点下に近い真冬の気温と冷たい極北の風に晒されつつ素手で登る様相になる。たとえホールドが大きくしっかりしたものであったとしても、すぐに指先の感覚がなくなってしまい、岩をつかんでいるのかいないのかわからない。一方、日が当たらないクラックの内部は、冷蔵庫の中に手を差し入れたような寒気に満ち、ジャミングをして肩に下げたギアラックからプロテクションをセットするギアを選んでいる間にも体重を支える側の手がどんどん冷えていく。このような悪条件下での登攀が初めての者にとっては、登攀条件は確かに厳しいものに違いない。しかし、このフィヨルドに数ある岩壁の中でも比較的登りやすいと思える岩壁を選んで挑んだだけに、あとわずかというところで登攀を諦めなければならなかったのは返す返すも残念だ。ここは白夜の地だから、いざとなれば24時間でも48時間でもぶっとしで登ろうと思えばいつでもできる場所である。だが実際のところ、体を壊している彼にそこまで無理をさせるわけにはいかなかった。そうするにはあまりにも体調が万全ではなかったのである。もし彼の体調が万全ならもちろん迷わずそうしていただろう。僕自身も、この壁なら2人でも十分登ることができた、と考えているからである。
ホッキョクウサギ(ナショナルっ時尾グラフィックのサイトから)
白一色の雪原の中にたたずんでいるホッキョクウサギを見つけ出し、狩をする。
どこに行ってもその地の人の目のよさには驚く。こんなのをよく見つけ出せるものだな、と。登攀の条件が厳しい上に、岩壁の高度差が大きいので、最初から登攀にはさまざまなドラマが生まれることが予想できたが、出発が近づくにつれ変化していく様は想像にたがわず、現実の登攀はその予想通りの結末になっていった。やはり1000メートルを越える壁は誰にとっても登り応えがあるものなのである。それでもこの岩壁の初登攀を目指したアメリカ隊の生と死の間をさまようようなドラマに比べれば、僕たちのドラマなどたいしたことはない。ヨーロッパではアルパインガイドとアルパインクライマーの差はそれほど大きくはないと感じたし、アラスカでもそう思ったのだが、日本ではかなり大きな開きがあることを痛感した。いずれにしてもアルパインガイドよりアルパインクライマーの方がはるかに大きな力、経験を基盤とする総合力を必要とすることは明らかであった。アメリカ隊のメンバーの一人がG4を登っていることからもそれは容易に推測できる。厳しい環境での登山や登攀をどれだけ経験したか、知っているか、想像できるかがアルパインクライミング成功の重要な鍵を握っていることは間違いない。そういう意味ではあまりに経験がなさ過ぎると同時に、未知への好奇心や登攀意欲の欠如が甚だしかったたのだ。
この壁を初登攀したアメリカ隊は、登攀には65メートルの長さのクライミングロープを使っているので、国内のクライミングとは違い、1ピッチそのものの登攀距離が長い。もしこの辺りの壁を目指そうとする人がいたら、ロープの長さには注意が必要だ。国内で通常使う50メートルの長さではまったく話にならない。1ピッチが60メートル、70メートルという登攀距離になるとさすがにリードしていても長く感じる。この壁は標高差約1230m、アメリカ隊のルートのグレードは5.10+、A2。全26ピッチの登攀である。でも、とてもA2には思えないところもあった。撮影隊が同行しているので、登攀や支点をより確実なものとするため、既成ルートに多少手を加えたところもある。
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かなりの距離を残して敗退したが、もし諦めずに最後まで登り続けていたとしたら、頂上まであと2〜4ピッチというところだっただろう。残された日々でどんなに頑張っても2ピッチは残ってしまう。それが登攀を中止した大きな理由である。しかし、この壁にはまた登りに行きたいという気持ちがある。あとわずかで登れなかったという事実が悔しいこともあるが、実はなかなかいいルートだったという思いもあるからである。たとえ登攀には失敗しても、そこから得るものはたくさんあった。次に行くときは、隣にもいいピークがあるのでそこと継続させて登ってみたい。そのピークに登りたいのは単純な理由だが、確かな理由がある。そのときはメンバーをフリーに強いしゃきしゃきのアルパインクライマーにしよう。今回の登攀では、自分は映像取材に専念し、あくまで裏方に徹するつもりでいた。それなのに、自分が表に出るようでは計画に甘さがあったと言われても仕方がない。アルパインガイドの実力は予想以上に低かった。
誰でもエベレストに挑戦し、登頂を目指すことができる。特に商業登山隊による登山が始まって以来、登山隊員はただ固定されたロープに沿って歩くことだけを考えていればよい状況になっている。しかも今はエベレストの頂上まで固定ロープがあるのが普通で、山が持つ難しさそのものがなくなってしまった。しかもその固定ロープは頂上出発直前にシェルパがたった一日、たった一晩で張ってしまうのだ。ウォーカー・シタデルはエベレストの何分の一かの高さに過ぎないが、そんな低俗な山ではない。エベレストのように易しいルートがないし、たとえ固定ロープをたどるだけだとしても、多少岩登りができなければ話にならない。山の標高はわずか1350メートルそこそこでしかないが、ウォーカーシタデルはエベレストよりはるかに高く天空に向かって聳え立つ。大陸氷河が作り出した地形とはいえ、世界は広い。面白きはアルパインクライマーの世界である。
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