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巻頭エッセイ後日談5
Kimoto Satoshi Alpine Climbing School
No.5 巨星
昨秋の全国代表者会議のときは政務から開放され、さっぱりした感じがし、第二次RCCのメンバーとの交流もあって笑顔が絶えなかった。普通に山の話をしていても興味を持って持論を展開し、とても楽しそうに見えたものである。ところが、春の総会時は打って変わって何だかずいぶん年をとった感じがしたものである。今思い返すと、やはりそのころから健康が優れなかったのだろう。中国との国交正常化で大役を果たした人だから、当時世界で最も標高の高い未踏峰だったナムチャバルワの登山許可が日本山岳会に下りたのも橋本龍太郎の政治力が大きかったのだろう。おそらく登山許可の取得にはずいぶんお力添えをいただいたのだと思われる。
1991年の第一次ナムチャバルワ登山隊の成果は実際もう一息だったし、次回は絶対登れると確信していたが、翌年の第二次ナムチャバルワ登山隊に参加するのはやめた。登山の本質とは違った場所でどろどろしていた感じがいやでいやでたまらなかったからだが、もっとすっきりした形で登ることができる山だったこと思うと残念だった。
暮れに行われる日本山岳会の晩餐会に皇太子が参加されるときは、橋本龍太郎がいつもそばにいた。おそらく身近ないい相談相手を失った皇太子にとっても橋本龍太郎の死は痛手だろう。皇太子や橋本龍太郎、山田二郎といった方々と同じテーブルについて言葉を交わしたのもずいぶん昔のことだが、そんなことも思い出される。昔ならいざ知らず、今の68歳は若い。天寿だからしょうがないと言われればそうなのかもしれない。でもやはり惜しい。
Explorer Spirit 木本哲
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