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エベレスト
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目の前に全紙大のエベレストのパネルがある。凍傷で入院しているときにスチールカメラマンの金子哲也さんが持って来てくれたものである。それをそのまま家に持ち帰って飾っているのだが、これを見るたびに南峰から頂上へ向かって歩いてた吉野寛や禿博信の姿が思い浮かぶ。望遠鏡だか何だかで――たぶんカメラにつけた超望遠レンズだったと思う――彼らが動いている姿を見たのはそれが最後だった。そのあとに見たのは変わり果てた姿で、足の指を見て二人の うちのどちらか見極めたのだった。二度と戻ってこないことになるとはその時誰も想像していなかったろう。
南西壁を見上げると、傾斜の強い柱状岩稜に新ルートを創り、救助のためにC4を発し、酸素ボンベを仲間に届け、そのままエベレスト西稜からエベレストに夜間登頂したセルゲイ・ベルショフやミハイル・トルケビッチの姿が思い浮かぶ。救助を兼ねていた彼らの行動はすばらしい。行動ではなかなか敵わないけれど、セルゲイ・ベルショフとの酒飲み勝負は五分五分だったと、 今も僕は信じて疑わない。僕に多大な影響を与えたピーター・ボードマンやジョー・タスカーの姿も思い浮かぶ。彼らが挑み、命を落とした北北東稜の稜線はこの裏手、中国側だからここからは見えない。日本のエベレスト無酸素初登頂を演出したアメリカ隊が登ってきたカンシュンフェースもこの反対側だ。
エベレストに登りたいと言って相談を受けた島田智恵子が登った北陵はかろうじて見える。「昔と違って今なら頂上までフィックスロープを張るからそれほど難しくないから大丈夫だ。行くならチョーオユーに行ってからエベレストに行けばいい」とアドバイスしたが、その行動の素早かったことは感嘆する。マナスルはこう登ったらいいと言ったらその通りに登ってきた。氷壁登攀用のいい道具を持っているのにリーシュをつけて登っていたから外してみなと言ったら、早速外して登っていた。チャレンジ精神というのはそういう小さなところから発するものである。彼女も今はもう次の夢に向かってスタートしている。
エベレストは世界で一番高い山だが、そこに登ることが登山の最終目標なんかではない。そこに山があるから、という時代は当の昔に終わっている。エベレストは最も高い山だが決して最も困難な山ではない。困難な山はほかにいくらでもある。エベレストの呪縛から抜け出れば大きな世界が広がっている。
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