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命の大切さ
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いじめを苦にした子どもの自殺が相次いで起きた問題を受けて、首相の諮問機関である政府の教育再生会議は11月8日の会合で子どもの自殺予防に向けたメッセージを早急に出すということを決めたという。命の大切さを強く訴えて悲劇の再発を防ぎたいというのがその狙いらしい。
ところでこのメッセージはいったい誰に対して出すのであろうか。自殺を考えている子どもに対してであろうか、それともいじめを見て見ぬふりをしている 子どもの教育に携わる大人に対してであろうか。新聞記事によると会合では「いじめは暴力、違法行為であるという認識を共有しなくてはならない」、「学校側の問題と、子どもが自殺を安易に考えるようになっている問題を分けて議論する必要がある」などの意見が出たそうだ。だが、首相の諮問機関である教育再生会議がこの程度の認識ではいじめは決してなくなりはしないだろう。
そもそも「いじめは暴力、違法行為であるという認識を共有しなくてはならない」と強く訴えなければならないのは生徒に対してではなく、担任や校長あるいは教育委員会に対してだろう。生徒はそんなことは百も承知している。百も承知してはいるが自分を優位に立たせたい、立ちたいという思惑から相手をからかったり冷たくあしらったりする。たとえそういう動きがあったとしても担任やクラブの顧問が注意を怠り、それに対して何も言わなければいじめを止めることはないだろう。それにいじめられている生徒を変に庇うと自分が仲間外れにされたり、いじめられたりする恐れがあるという事情も存在する。彼らはたとえ自分自身ではいじめは悪いことだから止めなくてはならない、止めたいと思ってはいても簡単にいじめを止めることができない心理状態に陥っているのだ。いじめている自分がいじめられる立場になる――。よくあることだが、子どもたちはそれにも恐怖を感じている。
もう一つの意見である「学校側の問題と、子どもが自殺を安易に考えるようになっている問題を分けて議論する必要がある」という文言の中の「子どもが自殺を安易に考えるようになっている」というのはおかしな考え方ではないだろうか。第一安易に自殺を考える子が遺書など残すだろうか。遺書は自分の窮状を皆に知ってもらいたいという自己主張の発現であり、自分のような惨めな人間を増やさないで欲しいという切なる願いから出たものだろう。そこまで子どもを追い詰めているのはその子にいちばん近い、すぐそばにいる大人たちにほかならない。
親は学校を、担任を頼みの綱とするが、学校の担任も校長もクラブの顧問も教育委員会も皆親方日の丸的なサラリーマンに過ぎない。彼らには昇進が大切であり、何事もなく無事に日々を過ごして定年を迎えることがいちばんの目的と化しているように見える。できればいじめなどの問題には関わりたくはないのである。実際、このような問題に関われば自分自身の昇進に大きく左右する問題となりかねないのだ。そういった気持ちが上部への通達を遅らせたり、通知しなかったり、もみ消したりという行動となって現れる。最も身近にいる最高責任者である校長はまた教師を育てるという立場をとりながら、子どもより教師に肩入れをする。
その一方、彼らは親に対して私を信頼して任せてください、あるいは子どもたちの自主性に任せもう少し待ちましょうなどと言っていじめている子どもたちやいじめられている子どもには直接関わりを持たずに問題を長引かせてしまう。だが、いじめは表出した段階ですぐに適切な手を打たない限り、しだいに露骨で陰湿なものになっていく。いじめられている側の人間は、一般的な教師が考えているように、彼らに言い返す強い心を持つべきなのだろうが、今は言いたいことを言うことができない小心者なのである。しかし、いじめられている側の子どもがどんな性格の子であろうと、問題を長引かせているその間にいじめられている生徒の苦しみは飛躍的に増大していく。そしてそれこそ一日千秋の思いでいじめを受けなくなる日がくることを待つようになる。そんな思いに支配されれば子どもでなくても誰だってじきに心が破綻してしまうだろう。
子どものいじめはかなり陰湿なものでももとは些細なことから発展してきたものが多い。だから解決に導くならその気になれば早い。親はいじめに気がついたら子どもをいじめている人間の名前を柔らかく聞き出して整理し、いじめがどの時点から起きたのか、どんなことが原因となって起きているのか探り、それを二通の文書にしたためて担任と校長にじかに渡して対処を求めるのがいい。もちろん解決に導くための手順を文書で回答してもらうことが大切だ。この間にもいじめは続くので、いじめの内容や状況によっては警察署や裁判所へ話を持ち込むことも考えておいた方がいいだろう。いじめられている子の親はそれほど強い意識を持って事に当たらねばわが子を守ることはできない。自分の子どもを守るのに何もかもすべて学校側に任せっきりにすることはない。子どもの命を守ってやれるのは、実際そこまで子どものことを親身に考えられるのは親しかいない。子どもの命を失ったあとそのことに気がついても手遅れだ。それにいじめている子をこのまま放置しておくのもかわいそうな話である。いじめる子をそのまま放置することはいじめることが正しいことだと言っているに等しい。
学校はいじめられている子やいじめている子どもたちに個別に話を聞くと共にその子たちの親とも連絡をとって問題の解決を図るべきだろう。いじめている方ももともとそれほど悪意を持っていじめを始めたわけではない。ただその子が反発しないでじっと耐えているからいじめが続き、加速していくだけだ。だからこそ早めにしかも直接対応することが大切なのである。僕から見ればいじめられている子もいじめている子も何だかかわいそうに見える。ある意味彼らは叱ることを知らない大人たちの犠牲者として目に映るからである。いじめの問題の中には教師が生徒をいじめていた事例も見られるが、これは言語道断だろう。教師としてあるまじき行為であり、こうした教師には厳罰が求められる。子どもは未来の日本を背負って立つ命である。その命を育む側の教師が命をないがしろにしていたのでは話にならない。
かつていじめが原因で登校拒否が続いていた子を交えて子どもたちと一緒に岩登りに出かけたことがあるが、彼らは皆いじめを受けるような子ではなかった。眼を輝かせて幾度となく困難に挑戦する子どもにはいじめのかげりは見えず、生きている喜びさえ感じとることができた。幸いなことに身の回りに自ら命を絶った生徒はいないが、山登りを通して子どもたちを見ていると、学ぶこと、挑戦することに目を輝かせている姿が浮かび上がってくる。よくよく考えてみると、いじめが原因で登校拒否をするというのは、逆に考えれば、いじめている子がいじめられている子の教育を受ける権利や機会を奪っているということである。法律はそんなことを認めているのだろうか。たとえ法律がそれを認めようと認めまいと、いじめに対する対応を考えるとそうすることをよしとしているのがいじめている子の親や教師や校長や教育委員会の態度ということになる。おかしなこと である。
たとえどんな人であっても人間はたった一度しか死ぬことができない。これはすべての人に平等に与えられた人間としての権利である。そのたった一度しか経験できない死を年端も行かない子どもが考え、決断し、自ら命を絶つということは並大抵の覚悟ではできないだろう。僕は命の大切さを考えなければいけないのはやはり大人の方ではないのだろうかという気がしてしまう。
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政府の教育再生会議(野依良治座長)は29日午前、安倍晋三首相も出席し、首相官邸で全体会合を開いた。小中学生によるいじめを苦にした自殺が相次いだことを受け、「いじめを放置、助長するなどした教員に懲戒処分を適用する」ことなどを明記した8項目の緊急提言をまとめた。(11/29)
いじめた側の児童・生徒を出席停止とする規定の積極活用、いじめに加担した教師への懲戒処分の必要などを盛り込む方向。いじめた側の出席停止は、市町村の教育委員会が他の児童らの教育に妨げがあると見なした場合、出席停止を命じることができるという学校教育法の規定を活用したもの。会議事務局担当室長の義家弘介氏は記者団に「本来、学校に行かないようにすべきはいじめた側だ。出席停止にして、いじめた子を教育する」と述べた。教育制度改革の本格的な論議に先立ち、緊急課題であるいじめ問題への対応策を打ち出す。(11/29)
焦点になっていた、いじめをした児童・生徒への対応措置について「指導、懲戒の基準を明確にし、毅然とした対応をとる」と明記。具体例として「社会奉仕」や「別教室での教育」などを挙げた。また〔1〕教育委員会は、いじめを放置、助長した教員に懲戒処分を適用する〔2〕学校はいじめがあった場合、隠すことなく保護者らに報告し、家庭や地域と一体で解決に取り組む〔3〕学校はいじめを見て見ぬふりをする者も加害者であることを徹底して指導する―なども打ち出した。同時に政府に対し、いじめ問題について「一丸となって取り組む」ことを強く求めた。安倍首相は「即実行できるものはすぐ実行していく。政府として真剣に受け止め、具体化に向け努力する」と強調した。
池田守男座長代理は記者会見で、いじめをした児童・生徒に対する出席停止措置の活用について委員間で賛否両論があったことを紹介した上で、「一つの選択肢として将来的にあってもいい。ただ、あまりに際だった形で白黒つけるのは教育という観点からどうか」と指摘し、提言への明記を避けたことを明らかにした。伊吹文明文部科学相は総会後、記者団に「いじめは非常に多様だ。いじめ即、出席停止という受け止め方をされ、現場で運用されることに慎重でありたい。出席停止を否定しているわけではないが、ケース・バイ・ケースだ」と述べた。(11/29)
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もともと悪意のない子の行為を助長させているのは周りにいる叱ることをしない親を含めた大人である。まずはいじめた子も、いじめられた子も、どちらも救われるような対応を考えるべきだろう。子どもが成長する芽を摘 んだり曲がったりする対応を考えるのではなく、芽をまっすぐに伸ばす対応が必要である。それが将来の日本を背負って立つ小さな命を育む大人の責任というものではないのだろうか。
教育再生会議の対応は学校が採る対応とあまり変わりはない。犯人探しをしていいじめっ子をいじめるのかな?
Explorer Spirit 木本哲
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