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Explorer Spirit 木本哲

エンジェルフォール左壁初登攀(1984年)

Angel  Fall  979m/ via Left  Face  First  Ascent  1984
瓢箪から駒――ルート開拓は面白い

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979mも落ちるとさすがに水流は水滴となり、滝の真下にあるはずの滝つぼは見当たらない。しかし、その水滴が引き起こした風圧は滝つぼがあるはずの場所から激しい雨風を伴った暴風雨のような勢いを備えて真横に吹き出してくる。実際、初めて真下に行ったときは水量が多く、滝に近づくにつれ、急に天気が悪くなったかと錯覚したほどである。それが世界一の落差を誇る瀑布エンジェルフォールと初めて対峙したときの偽らざる感想である。

ところが、僕はそのエンジェルフォールが世界のどこにあるのかまったく知らなかったのだ。世界地図を広げて見たところですぐにはわかりそうもないので、助言を受け入れ、世界一の記録を集めたギネスブックを見ることにした。ギネスブックのページをめくるとさすがにすぐに見つかった。説明書きを見ると、エンジェルフォールは南米のべネスエラにあると書いてあった。

左の壁に3週間かけて新ルートを拓いた。水量はスコールの加減でかわる

エンジェルフォールは、南米北東部のギアナ高地と呼ばれる砂岩でできたテーブル台地が数多く散在する地域にあり、エンジェルフォールを擁するテーブル台地はアウヤンテプイと呼ばれる。そのテーブル台地の大きさは、山の手線の内側ほどで、実は、エンジェルフォールの水源は、この台地に降り注ぐスコールなのである。僕はたまたまこの滝を登るクライマーを探しているという話を耳にし、この計画に参加するかどうかは別にして、エンジェルフォールがどんな滝なのか興味を持ち、調べてみることにした。

登攀ルートを探るには一枚でも多い写真があると助かるのだが、エンジェルフォールの登攀ルートを考えるのに適した写真はなかなか手に入れることができなかった。このことが逆にエンジェルフォールにさらなる興味を引き起こさせることになったのだが、ルートを考えるのに適した写真を見つけたときには、すでに僕はこの滝を登ろうという気持ちになっていた。資料が少ないというのがエンジェルフォールに対する興味の源泉となっていたことから考えると、アルパインクライマーという人種は天邪鬼のような心を持った人間なのかもしれない。

登攀の模様を番組に使うという触れ込みだったが、当初は、エンジェルフォールの登攀の映像は番組に使っても15分だ、という話を聞かされていたので、エンジェルフォールを登るつもりなら、うまく立ち回らないと完登の機会を失ってしまうかもしれないと思っていた。しかし、たとえエンジェルフォールが登れなかったとしてもエンジェルフォールを登ったことにして番組を作るという話を聞かされていたので、心から登攀を楽しむわけにはいかないだろうな、という気になっていたのも現実であった。

この滝を作り出している1000メートルもの高度差を持つ岩壁が登れるなどという僕の言葉はまったく信用されていなかったのだが、たとえエンジェルフォールが登れなかったとしても、エンジェルフォールを登ったことにして番組を作るという番組制作会社ディレクターの姿勢には嫌悪を感じざるを得なかった。だが、エンジェルフォールは絶対に登れると踏んでいたし、登る自信もあったので、もちろん完登するのに十分な装備を用意した。しかし、完登するに足る装備を準備させてくれたディレクターには別の意味で深く感謝しなければならない。

ところが、いざ壁に取り付いてこの壁の弱点を探し始めると、それがなかなか見つからなかった。写真から考え得る限りは壁に弱点がないはずはないのだが、簡単に見つけることができないので、隊員はしだいに安易な方向へと傾き、正面の壁に取り付いてポルトを打ちながら登ってお茶をにごそうと言う者まで現れた。もともと15分間の映像があればいいのだから、もちろん無理して登る必要はない。しかし、自分自身までもがそちらに流れてしまいそうになる気持ちを押さえ、そんな隊員を励ましながら、なんとか解決の糸口を見つけ出す努力を重ねた。ついに下部岩壁の突破口を見つけ出したときは、芯から安心もしたし、これで必ず完登できるとも思った。なにしろ登り始めてしまえば、もうこちらのものなのだ。

*

僕たちが滝の左側の壁に切り拓いたルートは、高度差約1000メートル、30ピッチの登攀である。岩が硬いところはしっかりしているので快適な登攀ができるのだが、脆いところはハンマーで衝撃を加えると風化した表面が一気に砂粒と化して崩れ落ちるような岩質である。たとえフレンズやナッツが岩の割れ目にしっかりセットされていても、ロープの流れをよくするためにロープを強く振ってまっすぐにしようとすると、その力で正しくセットされたチョックが次々に外れていく始末であった。こんな状況だからもし墜落によってチョックに大きな衝撃が加わったとしたら、すぐに外れてしまう怖れがあった。

そればかりか岩の表面に張り付いたミズゴケは、ひとたびスコールが降って水分を含むとやたらに元気になり、足を滑らせる働きをする。水分が豊富な崖で育った木は直径が10センチもあるのに体重をかけると瞬く間に折れてしまった。岩も木も信用できたものじゃないというのが本音である。そのうえ壁に生えている草は乾燥に耐えられるように棘を持っているものがあるから堪らない。

唯一信用できるプロテクションはRCCボルトだが、前進用はアゴを取り除いたピンだけで、深さは1〜2センチほどの浅打ちでたいがいチップが見えていた、5〜6メートルおきに取るプロテクションのみアゴ付で、もちろんアゴの深さまでしっかり打ち込むが、時折2、3回叩けば根元まで入ってしまうものもあったが、打ち直すのがめんどくさいのでそのまま使った。当然ながら登攀に慣れてくるとランナウトすることになるので、しっかり打ち込んだプロテクションの間隔は開く。万が一墜落したときは、すべてのピンが抜けてしまう怖れがあるのは言うまでもない。けっこうクラックがあったのでカムやアングルピトンも重宝した。

登攀はエイドクライミングが主体だが、そんな石英質砂岩の壁が要求するクライミングはやたらに難しく、ちょっとしたオーバーハングをスカイフックで越えたりもしている。常に最大限100メートル目いっぱいの墜落を覚悟して登らなければならなかったのはいまだかつてこのときだけしかない。そんな最悪の登攀条件を抱えて登っていたので、未だにこのときの登攀を越えるエイドクライミングには出くわしたことがない。記録発表時は登攀グレードはW+、A2としていたが、実際には5.10a/b、A5+ほどある。グレードを易しく書いてもだれも興味を示さない。やはりもっと厳しく書いておくべきだった。

 *

登攀記録:
山と渓谷、クライミングジャーナル、少年マガジン、フライデー、毎日グラフ、ほか。

写真 エンジェルフォール 
979メートル。世界一の落差を誇る滝である。僕たちは滝身の左側の壁を登った。登攀記録は、僕の好みとしては、一般読者向けに書かれた毎日グラフが一番よかったように思う。登攀終了直後の写真はやはり迫力がある。
今やエンジェルフォールは世界遺産に登録されているので、今後この壁を登攀するのは難しいだろう。この頃はまだ足の指を切断する前で、フリーとアルパイン両方の登攀をやりたいと希望に燃えていたころである。

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