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子猫殺し

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日本経済新聞夕刊の「プロムナード」欄で毎週金曜日に連載されている坂東眞砂子さんの8月18日付の「子猫殺し」というエッセイが話題になって久しい。エッセイ掲載直後から日本経済新聞には600通あまりの電話やメールがあったと確か翌日の新聞だったと思うが、このエッセイが巻き起こした反響を伝えていた。このエッセイの内容自体は田舎育ちの僕らの世代なら大勢の方が経験しているのではないかと思えるものだ。逆に、横のつながりに乏しく、他人のことには干渉しない、そのかわり自分のことにも干渉するな、という性格を持っている自分自身の生の感覚でさえ希薄になりがちな都会の生活では多くの人がこんな経験をしているとは考えられない。

この記事は、ある人気ブログが個人の意見とともに掲載したこともあって一気にネット社会に広がった。ネット社会のニュースの体裁をしたサイトにもそのことが採り上げられていたが、内容は中には理解できるという意見もあるが「子猫殺し」を非とする意見が圧倒的に多いとあった。その記事は、この事柄を正確に伝えるというより、そのプログを宣伝するという姿勢に彩られていたように思え、ネット社会はちょっと異質だなという感じがした。

普段ブログなど見向きもしないが、いったい世の中はどんなふうになっているのだろうという疑問を持ち、また、生と死を扱ったこのエッセイには僕も多少興味を持っていたので、一休みしたあとネット社会をちょっと真面目に覗いてみることにした。

パソコンを再び立ち上げ、検索してみるとすぐに情報発信元の一つとなっていた人気ブログといわれるウェブサイトの記事がでてきた。さすがに人気ブログというだけあってその記事の反響はすさまじいようで、文字数の少ない、短い意見がたくさん並んで載っていた。しかし、どうやらどれもこれもことさら「子猫殺し」というブログが発信した文字だけを採り上げて論じている様子で、実際にエッセイを手にとって読んでみてこう思うという類の意見は見当たらなかった。少なくとも坂東さんはあれこれ考えてこの文章を書いているはずだが、ブログの発信者もブログの読者の返答もエッセイそのものを読んで生と死について深く考えたという内容には乏しいように思えた。反響の大半は人気のあるブログの筆者に迎合したり囃し立てたりしている雰囲気で、すぐにその先を読む気が失せた。そのほかに二、三検索し、坂東さんの掲示板も覗いてみた。実際、どのくらいの反響なのか覗いてみた結果は、坂東眞砂子さんに対する非人間的な扱いの誹謗、中傷、怒号が飛び交って物議を醸していた、という現状であった。

ネット社会というものは案外薄っぺらなものらしい――。そう思いながらももう少しこれに関する記事を検索していくと、これを読んで不快に思ったけれど私はこう思う、という建設的な意見を一つ見つけて何となく安心した。日が経つにつれこのエッセイへの反響はますます大きくなり、週刊誌をも賑わせるほどになったが、やはり坂東眞砂子さんへの誹謗、中傷、怒号の類が多く、批判はするが自分自身の意見を順序だてて説明するというものは少なかった。人がよく見るのは新聞の三面記事的な内容だろうからそういった類のものが多いのはいたしかたないのかもしれない。実はネット社会そのものがそういう三面記事を書いたり見たり、覗き見たりすることで成り立っていると思われるような気さえしていたところだったからなにやら暗い気持ちになった。検索画面に現れたタイトルを読み、内容を想像しながら見渡していると、どうやら坂東眞砂子さんの思惑に反して生命の尊厳について真剣に考える人々は少ないようであった。

だが、月末になると少し雰囲気が違ってきていた。というのは、坂東眞砂子さんのエッセイを最初から読み、もう少し真摯に「子猫殺し」の内容を考えてみようという動きが見られたからである。今まで「子猫殺し」のタイトルとこの記事だけが独り歩きしていたが、ようやくエッセイの全体像を捉えようという姿勢が現れてきたのである。たくさんあるブログ記事のごくわずかしか見ていないが、そんな中で読んでみたいくつかのブログの中から2人の記事をここで紹介しておく。これらはブログという性格上時間の流れがある。それぞれ独立したものとしてではなく、時系列の中で読まれることが望ましい。

 

そこに空き地があるから  坂東真砂子さんのエッセー全文を読もう!  坂東真砂子さんのエッセーの感想 (著者同一)
「子猫殺し」ときっこのブログ

どうやら社会的な責任を全うするためにネコに避妊手術を行うというのが都会で育ったネコの飼い主の普通の考え方のように見える。しかし、本当に社会的な責任を感じて行っていることなのだろうか。もしかしたらただ単に近所の眼、他人の眼を嫌って行っていることではないだろうか。あるいはただ単に自分の都合、人間の都合だけで行っていることではないのだろうか。ネコと人間の生命を同列に扱う姿勢から端を発したブログの記事が投げかけた波紋はネット社会に大きく広がり、中にはもし相手がネコではなく人間だったらという意見も生じたが、現実の人間社会では、生身の人間を相手に、そういう名の下に自分が望みもしない避妊手術が実際に行われてきたという事実がある。人間の生命の尊厳の回復を求めて国を訴え、長期にわたって国と闘ったハンセン病患者は、実際にまるで都会の飼いネコにも等しいような扱いを受けてきたのである。これを機会に生と死についてもう一度じっくり考えてみたらどうであろうか。虫の音が響き始めたこれからの時期は、うだるような暑さも衰えて読書をするにも思索をめぐらすにもいい季節だ。秋の夜長が自分独りの時間を作り出してくれる。

*

ネット社会で凄まじい話題となったエッセイは日本経済新聞夕刊「プロムナード」欄で毎週金曜日に掲載されている作家坂東眞砂子さんが担当した一節である。このエッセイ欄は年間を通じてあるが、坂東眞砂子さん担当のエッセイは7月から 9月まで3ヵ月間連載される予定のものである(4ヶ月のサイクルだったかもしれない)。問題となったエッセイは2006年8月18日付のものだが、エッセイの読者は決してこの記事一つが独立して発表されたものではないことに注意しなければならない。これまでに発表されたエッセイの日付と表題は以下のようになっている。

長く続いているなあ。けっこう人気があるのかな?

7月7日  第1回 生と死の実感
7月14日 第2回 肉と獣の距離
7月21日 第3回 付喪神のいる島
7月28日 第4回 天の邪鬼タマ
8月4日  第5回 風の明暗をたどる(山頭火)
8月11日 第6回 魚市場の女呪術師

8月18日 第7回 子猫殺し

8月25日 第8回 名前はまだない
9月1日  第9回 「畏まりました」の背景
9月8日  第10回 でこぼこ
9月15日 第11回 オッカケの青春
9月22日 第12回 失われた「一線」
9月29日 第13回 緑を愉しむ力
10月6日 第14回 鬼は内、福は何処?
10月13日 第15回 元始より女は働いていた
10月20日 第16回 「いいたいこと」はありますか?
10月27日 第17回 充ちる時と待つ時
11月10日 第18回 南の島の竹の子
11月17日 第19回 感情抑制の負の遺産
11月24日 第20回 リアルになるということ
12月1日 第21回 言霊の生きる国
12月8日 第22回 依代としての書物
12月15日 第23回 文字の呪力 ※ネットで彼女を誹謗中傷した人はこの記事を読んでみるといいかも
12月22日 第24回 壊れたら、買い換える?

日本経済新聞9月5日付夕刊文化欄にはこの「子猫殺し」というエッセイに関する特集記事が組まれている。それによると9月4日までに読者応答センターに寄せられたメールと電話はのべ1448件に達したと伝えている。ネット社会にはもちろんそれ以上の膨大な数がある。読者応答センターに対する反応が表の世界の叫びだとすると、ネット社会のそれは裏の世界の叫びといえるかもしれない。しかし、いったいこの差は何を意味しているのだろうか。

関連記事
日本経済新聞
週刊朝日記事    坂東眞砂子    寄稿 「子猫殺し」に抗議殺到の坂東眞砂子が誌上で反論!
週刊文春記事   東野圭吾    特別寄稿  「坂東真砂子『子猫殺し』について」

どんな人がどんな文章を書いたところでネコと向き合うのは飼い主本人なのだから飼い主が自分自身の意見を持たないことにはどうしようもない。一つだけはっきりしているのは、人間を含めた動物にとって、生殖器は、オスはオスらしく、またメスはメスらしくするホルモンを発現している器官であるということだ。そして、飼い主がどんな選択をしようとネコは自分の意見を言うことはできないし、ネコは飼い主の考えに従うしかない弱い立場にいる。たとえ人間がどんな選択をしようと、ネコはつぶらな瞳で飼い主を見つめ、小首を傾げて愛想を振りまいてくれる。

*

3ヵ月一クールだと思っていたエッセイは半年一クールという長期にわたるものだったが、昨年12月22日を持って終了した。この間「子猫殺し」というエッセイに対する反響がどの程度続いたのか僕にはわからないし、取り立てて興味もなかったのだが、その後あまり耳にしなくなったことを思うとどうやら一過性のものだったようだ。ネット社会の言動はどうやらいじめと同じような浅はかなものかもらしい、というのが「子猫殺し」というエッセイの反響から得た僕の印象である。実際ネット社会では自分の名前を表に出さずに記事を書くことができるのでどんな批評でもしやすい。しかし、それは同時に責任感を伴わない薄っぺらなものになりやすい。それをまざまざと見せ付けられたのがこのエッセイだった。幸いなことにこのエッセイのシリーズにはいくつか興味を引くものがあった。生と死というのは深遠な問題だから単純に割り切ることができないことが多いし、身内と外ではずいぶん考え方が異なるものだ。世の中には白黒決着がつかないものもあれば、つけない方がいいものだってある。また、身内より外にいる人間の方がはるかに心を痛めることがあることも事実だ。身内は悲しみを憎しみに替えて外を批判することができるが、現場で事に当たる者はそういったことはできない。悩みは外の方がはるかに大きいこともある。「子猫殺し」という記事に対するネット社会の反響は山の世界でも経験することがある内容だっただけにちょっと考えさせられた。

*

ある記事の中にこういう文章があった。
「キーボードが打ち出す文字は筆触が伝える思考や迷いの回路をたやすく飛び越える。うわさや中傷が行きかうネット社会の言葉は軽く、そして危うい」
僕もまったく同感だ。

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