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ギャンゾンカン南東壁初登攀(2004年)
Kimoto Satoshi Alpine Climbing School
Gyan Zong Kang (6123mGPS) Southeast Face First Ascent 2004
11ピッチ半、5.10d、A1 60mロープ使用
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2004年夏、今からおよそ百年前に、仏教の経典の原典を求めてチベットに潜入した仏教者河口慧海の足跡をたどり、河口慧海がネパールからチベットへと潜入する際にヒマラヤの峠を越えたというが、いったいどの峠を越えたのか、その峠を特定する目的を秘め、西チベットに聳える二つの6000メートル峰、パチュムハムとギャンゾンカンの未踏峰二座の初登頂に挑んだ。
ネパール側から見たギャンゾンカン。岩峰らしきことが見て取れる。このような山に興味を持つには岩登り技術が必要である。岩登りに興味がない者がこのような写真を見ても、何の発想も思い浮かばないかもしれない。そのような人にとって、この写真はただの味気ない山の写真でしかないだろう。だが、幸いに僕は変な人間でこんな写真に多大な興味を抱く。
真ん中がギャンゾン、左がゲンゴ。登山計画はこんな一枚の写真から始まることが多い。
遠くから撮ったこんな写真に触発され、興味を喚起し、この山の素性を明かす地図を探し、地図を手に入れ、山を割り出す。もちろん事前に偵察隊を出す金銭的余裕はないから、どこの谷を遡ればこの山の麓に着くのかわからないような山に興味を持つのは勇気がいる。少しでも近づいて写真を撮り、さらに方角を変えて写真を撮り、少しずつ情報を集め、やがてこの山の登攀計画を立てていく。
実際の登攀ルートなど細部のツメは現場に立って考えるしかない。情報がありふれている山を登りにいくわけではないから、詳細は何一つつかめない。とにかく現場に行ってみないことには決められない。ゼロから登山を始めるのは勇気も根性もいるが、冒険心を満たしてくれる行為である。僕たちが計画した二つの山に登るお金があれば、楽をしてエベレストに登ることができるはずだ。実際のところエベレストを登りに行った方が安上がりだろう。こんな低山よりエベレストの方がはるかに有名だから、どんな山を登りに行ったか話をしても第三者の見る目が違う。しかし、地図と首っ引きで歩くような山登りはそんなところではできない。そこはもはや冒険に値する未知が欠けているのだ――。
写真=大西保こんなことを書くと大そうなことをやっているように思うかもしれないが、発想は普段の山登りのときに感じることと何一つ変わらない。山頂から見える景色の中の一つの山に興味を抱くかどうかだけの話である。誰かが決めた山に行くのではなく、自分が興味を持てるような山を探し出すことができるかどうかというだけの話しなのである。だが、それだからこそ実行に当たっては真の力が求められる。エベレストやアマダブラムのように頂上までシェルパがフィックスロープを張ってくれるわけではない。フィックスロープが欲しければ自分自身で張らなくてはならない。ある意味エベレストやアマダブラムならただ登頂のチャンスを待つだけですむものを、こんな小さな山だろうと、わけの分からない山ではすべて自分たちでチャンスを作らねばならないのだ。それだけにエベレストに登る者よりも確かな技術を身につけていることが求められる。要は自分でルートを見極め、ルートを開拓できる実力がなければこんな山でも挑戦者になることはできないということなのだ。
ギャンゾンカンは僕たちが挑戦する未踏峰二座のうちの岩の方である。チベット側では、この山は、ラサとプラン、さらにその先の聖地カイラスを結ぶ西蔵広路上にあるパヤンという街の付近を流れるヤルツァンポ河岸から見ることができるという。ヤルツァンポはチベット高原を東進し、7782メートルの標高を持つナムチャバルワの麓を大きく迂回しながら南に流れを変え、インド洋に注ぐ大河である。ヤルツァンポは、聖山カイラスから発する四大河川の一つとされているもので、慧海はこれら四大河川の源流をも訪れている。ここ、パヤンから眺めるギャンゾンカンは、顕著な岩峰なのでよく目立つが、この岩峰を最初に同定したのは、河口慧海より少しあとにチベットに入り、「地図の空白部」を探検したことで知られるスエーデンの地理学者スヴェン・ヘディンである。この山は、彼が残した「サザーンチベット」というスケッチの中に、この写真と同じ形でその姿を留めている。カイラスへの旅が外国人に開放され、西蔵広路を通る機会を得た訪問者のうち何人かはこの岩峰を見て興味を抱いたようだが、この地域が外国人未開放地区に当たっていたことが原因となり、谷の奥に分け入って、この岩峰の詳しい情報を得ようとする物好きはいなかった。しかし、南面のネパール側からこの山域、この岩峰に迫った者が、不十分ながらも、この岩峰の貴重な写真を撮ってきたのである。その写真をもとに、にわかに岩壁登攀の話が持ち上がった。
西蔵公路上のパヤン付近から見たカンネツェ(右端の円錐ピーク 6097m 既登峰)とギャンゾンカン(左奥の双耳峰の岩峰 6123mGPS 既登峰)。ギャンゾンカンはご覧の通りの双耳峰で、左が主峰のギャンゾン、右が衛星峰のゲンゴ。ゲンゴは未踏峰。6100mほどのピークである。中央の山塊は槍ヶ岳のような小さな尖峰を二つ、三つ持つ5900メートルほどのピークである。6000メートルほどの標高でも、小さな山、なだらかな山は放牧や測量の際に登られているようである。西蔵公路をたどり、カイラスに向かう人間はたいがいこの光景を見ているのだが、岩峰が気にはなっても、登ろうと考えた者はいない。行動を起こしたのは、僕たちが初めてである。
ギャンゾンカンはどうみても周囲360度すべて岩壁で囲まれ、歩いて登ることができる容易なルートはなさそうだった。その山の頂に立とうと思えば、どの面を選んだとしても必ず岩登りをしなければならないように見える。たとえどう頑張ったとしても、山頂に歩いて登ることはできない山なのである。だが、それこそ僕が望む登山である。
南から見たギャンゾンカン。右がギャンゾン峰、左がゲンゴ峰。ここから見るとゲンゴは針鋒に見える。ギャンゾンの登攀ルートは右のスカイラインの向こう側から登り、上部で手前へ出てき、最後は岩壁の中央を登って上部稜線に出る。チベットは天に近いせいか空が青く澄んで、とてもきれいに見える。
わずかな資料を検討し、解析した結果、僕たちは南東壁に登攀ルートを切り開くことにした。その岩壁の高度差は、周囲の山の状況からおそらく800メートルほどだろうと考えていた。しかし、パチュムハム登山開始前に、実際にこの岩峰を偵察した結果は、それよりかなり小さな岩壁に思われた。少々気落ちはしたが、相手に不足はない。実際にこの岩壁を登り始めると、その取付点はかなり上部にあり、残念ながら岩壁は期待を下回り、500メートルほどの高度差しかなかった。かつて行ったエンジェルフォール左壁の登攀やトランゴタワー周辺の1000メートルや2000メートルもの高度差を持つ岩壁群の登攀と比べると、比較的小さな岩壁登攀と言わざるをえないが、岩壁登攀の醍醐味は十分味わうことができた。しかし、いくら6000メートル峰とはいえ、500メートルという岩壁の高度差は、やはり手ごろな登攀距離である、という感は拭えなかった。この高度の酸素濃度は、普段僕たちが暮らしている場所の半分にも満たない。そんな場所で普段と同じ登攀を行わなければならないのだ。体を動かすのに、思い切り酸素を必要とする岩登りが低酸素という状況の中ではどんなに過酷なものになるか容易に想像できるだろう。ところが、高所に順応さえすれば、このクラスの高度差の岩壁なら、何の憂いもなく、心に余裕を持って岩壁と対峙し、ルートを切り拓くことができるのだ。そういう意味では、過酷な条件を備えた高所に限らず、初めて海外の高峰で岩壁登攀をすることを目指すのなら、このクラスの高度差の岩壁がお勧めである。
2003年に放送されたNHKスペシャル「極北の大岩壁」をご覧になった方がいるかもしれないが、そこに映し出されていたように、当然ながら、この岩壁にも非常に脆い部分があり、大きな浮石もあった。もちろん落ちたらロープが切断しそうなほどの恐怖を抱かせるナイフのように鋭い岩角も数多くある。僕自身今回のルート開拓の際には、いつものように、触ったり、足で触れたりしただけで落としそうな浮石は、始めから引っ張りはがして投げ捨てながら登った。登り込まれ、浮石が落ちきって安定した既成ルートを登っているわけではなく、この先何が現れるかわからない未踏の岩壁に新ルートを切り拓いているのだから、浮石の多さはある程度致し方ないことと諦めるほかはない。たとえどんなに脆い部分があろうとも、それに挑戦し、知恵を働かせてそこを突破する気持ちがなければ、どんなにチャンスが目の前にぶら下がっていても新ルートを開拓することなどできやしないのだ。
馬に乗ってチベット側の谷を遡り、ギャンゾンカンのABCへと向かう。谷の入り口にはモレーンがあり、それを越えると広大なU字谷が現れる。かつて氷河があったと思われる谷は、今や広大な草原となり、放牧地と化している。尾根の上にわずかにギャンゾンカンと思しき岩峰が覗くが、岩壁の高さがどれほどなのかが気にかかる。はやる心を抑えつつ、景色を堪能しながら一歩一歩進む。 写真 橋尾歌子
この写真を撮った橋尾さんは、今年(2006年)谷川岳一ノ倉沢第三スラブを冬季登攀したらしい。第三スラブを冬季に女性が登ったという記録はあまり見かけない。話を聞くと、だいぶ無茶なところもあると感じるが、記録というものはけっこう無茶をしないと得られない。登れてうれしかったというのは本音だろう。アルパインクライミングには危険がつきものだが、危険をどう避けていくか考えることがいちばん大切である。一つの経験をこれからの登山に活かせるかどうか、この一点にこの登攀の価値がかかっている。
当然ながら山登りの楽しさは岩登りだけではない。道々の景色に触れたり、信頼できる新たな仲間の発見、獲得もその一つである。幸いにまた一人、高所での岩壁登攀に興味を抱く人間を見つけることができた。今回、僕たちが西チベットの岩峰に開拓したこの登攀ルートのグレードは5.10d、A1である。エイドクライミングはワンポイントで、ここをリードした当の本人が、僕たちが頂上に向かって登攀している間にフリー化すると言っていたくらいであるから、もちろんフリー化することが可能である。しかし、結局彼はフリー化には出かけず、A1はそのまま残っている。初登攀という結果に満足したのかもしれないが、初登攀者のルートファインディングが確かなものなら、いつの日か、誰かがフリーで登るのは確実である。
開拓した新ルートは、11ピッチ半の登攀で、メンバーを二つに分け、交替でルートを拓いたが、主に頑張ったのは一次隊のリーダーである。登頂は一次隊と二次隊とに分かれて行い、一次隊が初登頂したが、この程度の登攀距離なら全員で一気に登っても初登頂をなしえたことだろう。今回のこの南東壁の登攀には60メートルの長さのクライミングロープを使用しているので、このルートを登りに行こうと思われる方はくれぐれもロープの長さに注意を払わねばならない。50メートルでは終了点にたどり着かないピッチが出てしまう。日本からこの山を登りに出かけていく人がいるかどうかはわからない。しかし、外国人の中にはそういう人間が現れるかもしれない。車を降りてからベースキャンプまでのアプローチはことのほか至近なので、今後登攀ルートが増えることも考えられる。
衛星画像 http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&q=&ie=UTF8&t=h&om=1&z=16&ll=29.610812,83.224826&spn=0.016846,0.026479
一次隊をリードした千田くんは、今年(2006年)再びローツェ南壁の冬季登攀に挑戦するらしい。大西隊長は、昨年はネパール東部国境を調査し、今年は再び慧海に燃えている。初めて会ったとき、まるで「諸星あたる」じゃないか、と思わせた青井くんは、地元の会社に就職して頑張っているはずだ。青井貴俊のホームページにチベットの登山報告が載っていたが、パチュムハムの途中までだった。青井、報告はパチュムハムC1で停滞のままやで。頂上はどこや?続きはどこや? 大阪くんは、今年また大学に入り、こんどは医学の道を目指し始めた。僻地医療が目標らしい。嶋田くんは? どこかに就職したかもしれん。パチュムハム初登頂、ギャンゾンカン初登攀初登頂の記録を胸に、皆それぞれの道で頑張っている。
実のところ、この登山では、短時間のうちにあちこちに新ルートが作れそうな気配だったので、最初から、高所順応がうまくいき、初登攀がうまくできれば、そのあとはアルパインスタイルで何本か新ルートを拓こうと考えていたのだが、やはり大きな組織の登山隊ではなかなか事は思うように運ばないものである。国内の合宿のような感覚で何本も新ルートを拓くには、小規模な登山隊で、気の合った仲間数人と岩登りに出かけるのがよいようだ。登山には成功したものの、そこから生じる挫折感や空虚な感覚は、登攀の最中にもかかわらず、次はもう少し大きな壁をアルパインスタイルで登りたいな、と思わせる力を持っていた。僕の岩壁登攀に対する思いは、なかなかしたたかで、不屈に思える。
手前の鋭鋒がギャンゾン峰、右奥がゲンゴ峰。登攀ルートは左スカイライン手前から登り、中間あたりで稜の向こう側に回り込み、さらに岩壁を登って、頂上に立つ。第2登時は、上部大テラスまでフィックスロープをたどり、残り2ピッチ半をリードして登る。生憎、夜半に降雪に見舞われ、最上部の5.8のワイドクラックには雪がついていた。登攀開始地点に着いたときには雪は解け始めていたが、快適というわけにはいかなかった。だが、頂上に立つにはこれを登るしかないので、しょうがなく雪がついたワイドクラックをリードして登った。頂上稜線は風が強く、雪と氷とエビノシッポがついていた。天気も登攀条件も悪く、その上引き連れている二人が高所登山初心者なので、登攀を中止するかどうか迷ったが、登ることに決め、第2登をもぎ取った。頂上を目前にして敗退するのはやるせないので、本当に登れてよかったと思う。全員登頂ができたらもっとよかったのだが、思わぬ展開で、隊長のみ登頂することができなかった。いつの時にも、登山にはドラマがいっぱいある。何はともあれ、登山が成功裏に終わったのだからよしとしよう。
ここに掲載した写真はすべてギャンゾンカン(6123mGPS測定値)を捉えたものである。この山の登山許可取得時は、はっきりした標高が割り出せなかったので、6080メートル峰ということで申請した。
これらの写真からギャンゾンカンが独立した岩峰であることがわかる。頂上に立つにはどこから迫ろうと岩登りができなければ到達することができない。僕たちが登った南東壁は標高差にして500メートル弱の岩壁だ。およそ東京タワー1個半分の高さである。計画されている新東京タワーより若干小さい。エンジェルフォールやトランゴネームレスタワーはこの倍ほど、グレートトランゴタワーはこの4倍ほどの登攀距離がある。それらの壁と比べるとギャンゾンカンの岩壁ははるかに小さい。それでも車を降りて半日でBCに到達することができるというのは魅力だろう。こんな山登りはアルパインクライマーだけに許された特権だ。
ギャンゾン峰の標高を表す6123メートルという数字はGPS測定高度である。中ネ国境策定付属地図には岩峰を表す記号らしきものの横に126と記入されているので、測量で得た結果は6126メートルと思われる。隣の岩峰はこれよりかなり低そうにも見えたが、実際にはギャンゾンよりわずかに低いだけで、もちろん6000メートル峰である。ギャンゾンカンは夫婦岩といわれている二つの岩峰からなる。どうも発想が日本人的であるが、チベット人もモンゴロイドだから発想が似通っていても不思議ではないのかもしれない。現地に入って撮ったわずか二枚の写真だけでこの岩峰のすべての面を垣間見ることができることを考えると、適切な情報を得ることがいかに大切であるかがわかる。最下段の写真の影の部分に該当する北面の壁は、垂壁から前傾壁の傾斜で天に向かって延びている。
登山隊はギャンゾン峰南東壁初登攀初登頂と第2登に成功した。
参考文献 登山報告書「チャンタンの蒼い空 西チベット学術登山隊2004全記録」(日本山岳会関西支部)、「遥かなる西チベット」(岳人)
JAC News Vol.7(英文内容は岳人原稿を大西保が翻訳したものです)
今回の登山活動をまとめた報告書「チャンタンの蒼い空」は西ネパール・西チベット国境の山々に関する最も優れた貴重な資料だと思う、と同時に河口慧海の行動を解き明かした貴重な資料だと自負するものである。大勢の方に読んでいただきたいが、幸か不幸か登山報告書はほぼ完売した。遠くから見た一枚の写真から想像を掻き立てて、まだ見ぬ山にラインを引くのは楽しい行為である。その行為が成果として具現されるのはもっと楽しいことである。時がそういった時間を思い出に変えるとき、登山中とは一味違った感慨にふけることができる。それは山登りが持つもっとも贅沢な時間の一つだ。
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