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Explorer Spirit <究極の救出劇 トランゴ・ネイムレス・タワー登攀>
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カラコルムの大岩壁に挑む=Trango Nameless Tower
究極の救出劇
トランゴ・ネイムレス・タワー(6257m)アルパインスタイル初登攀(1990年)
僕には時間がなかった。
それでもあと五日だから一緒に帰ろうよという保科の意見を受け入れ帰国を五日延ばしのだ。
それなのに、
もはや一日も早く帰らねばならない状況だというのに、
それも遠征終了直前になって、
しかもこれで何もかも終わるという段になって遭難事故が起きたのだ。
――どうして帰ろうと思ったときに帰らなかったのだろう。
どうしてあのとき帰るの引き延ばしてしまったのだろう。
どうして帰ると決断したときにさっさと帰ってしまわなかったのだろう……。
帰りを急がねばならないこの大事なときに、
よりにもよって事故だなんて。
こんな山じゃヘリで救出するなんてできるわけはないし、
飛び出す前に注意しろといったのに何で注意しなかったのか……。
いまさら何を言っても手遅れだが、こんなんじゃ帰るに帰れないじゃないか。
なんてこった――。
登攀期間をこれ以上延ばすことができないというのに、
これでは問題を解決するのに、
あるいは状況が落ち着くまでに最低でも二週間はかかってしまうだろう。
後悔は先に立たず――。
このことわざをこんなにも恨めしく思ったことはいまだかつてない。
*
トランゴ・ネイムレス・タワーの初登攀初登頂は、
ムスターグ・タワーを登った帰りにこの山を見て興味を抱いたジョー・ブラウンらが、
1975年に次ぐ1976年の二度目の挑戦で成し遂げた。
僕たちが登ったのはこの山の初登攀初登頂ルートだが、
再登を試みてこのルートに挑んだいくつかのパーティーは、
僕たちがこのルートを再登をするまでことごとく跳ね返されていたのである。
このルートには、Y級あるいはそれ以上のピッチが合計20以上あり、巧みな技術を要するルートだとただちに認識された。
ルートの再登は14年後で、日本のクライマー、保科雅則と木本哲よる申し分のないアルパインスタイル(4日間のシングル・プッシュ)だった。
これは、仲間の南裏健康が東壁の新ルートを単独登攀し、山頂からパラグライダーで飛び降りたものの、
山頂の下80メートルの断崖にひっかかってしまったのを救助に行ったときのことである――。
(『ヒマラヤ アルパイン・スタイル』 アンディ・ファンショウ/スティーブン・ヴェナブルズ著 手塚勲/池田常道訳 山と渓谷社 1996年刊より)
抱えている登攀条件は経験豊富なアルパインクライマーにとっても厳しいものだろう。
だが、そんな条件の中でもクライミングの楽しみを探る。
そうでもしなければやっていられない――。
実際、そんなふうにしか思えない割の合わない登攀である。
追い詰められた状況の中で展開する登攀は危険極まりない。
その状況を作り出したのはもちろん助けにいく自分たちではない。
そんなネガティブな気持ちしか生まれない登攀には危険が潜んでいるように思えてならない。
ネガティブな登攀は何とかポジティブな登攀へと切り替える必要がある。
それには、それなりに登攀を楽しむしかない。
こんな状況の中で登攀を楽しむ策を探る――。
そんな気持ちを抱くこと自体が変な人間なのかもしれない。
しかし、三人が生きて還るにはそうするしかない。
その一方で、すべての面で余裕を持って登っていたのも事実である。
トランゴ・ネイムレス・タワー南西壁の登攀は、
たとえ初めて 登る登攀ルートであったとしても、
グレート・トランゴ・タワー東壁の登攀に比べれば登攀距離ははるかに短いし、
エンジェルフォールの登攀ほどルーズな岩壁が出てくるわけではないだろう。
マッキンリー南壁の登攀に比べれば気温ははるかに高い。
何もかもが僕の経験の範囲内の出来事だと言ってしまえばその通りなのである。
そんな気持ちがなければ、
こんな劣悪な条件下で1200mも標高差がある岩壁を、
シングルプッシュのアルパインスタイルで登ることなんてできなかったろう。
三人がこの山で生抜いたのにはもちろんさまざまな理由がある。
どんな理由があるにせよ生きて還ることはとても大切なことだ。
登攀で、ことにビッグ・ウォール・クライミングにおいて救出劇を演じるのは、
皆が思っているほど簡単なことではない。
第一にクライミングそのものがもはや単純ではない。
一方に死ぬしかない人間がいて、もう一方には死ぬかもしれない人間がいるのだ。
僕たちのように一つの登攀を終え、疲弊している人間ではなく、
そこに着いたばかりのパワフルな人間だったとしてもこの登攀が難しいことは、
何度か挑戦を受けているにもかかわらず、未だに初登攀者しか登っていな登攀ルートだということを見ても明らかだろう。
しかも気に含まれる酸素量は平地の半分以下しかない超高所なのである。
そんな場所での救出劇は、もちろん新聞や雑誌の記事が伝えるほど単純なものではありえない。
座っているだけで遭難者が助かるものなら、救助する側の僕たちだって岩場の下で座って事の成り行きを黙って見守っていたいものだ――。
おそらくこの事態に直面すれば誰もがそう思うことだろう。
それが人間の本音というものではないのだろうか。
山では想像以上に死が身近にあるのだ。
あなたが今持ち合わせている登攀技術で、
こんなシチュエーションのもとで岩を登りに行くことを余儀なくされる場面に遭遇したらどんな決断をするでしょうか。
こんな状況に陥った登山としてはミニヤコンカ(『ミニヤコンカ 奇跡の生還』松田宏也著 山と渓谷社刊)の例がある。
こちらは生存しているかどうかわからない状況にもかかわらず、
一週間あまりでBC撤収を決めたのだった。
片やわれわれの登山は生存が分かっていても簡単にそこに達することができない。
そもそも余裕で岩壁を登ることができなければ遭難者を助けることなどできはしない。
この遭難は、雪山での遭難よりもっと絶望的なシチュエーションかもしれない。
この山行は僕の心に今もなお大きく、しかも暗い思い出とともにのしかかってくる。
光と影――。
登攀にも人生にもずっとそういうものがついて回る。
アルパインクライマーにとってはクライミングそのものが人生だから、まあいろんなことがある。
こんな状況の真っ只中に立たされた人間はもはや諦めるしかないのだろうが、
それにしても皆生きててよかったよな。
岩と雪に紹介されたこの救出劇はトランゴのエピックというきれいな言葉で伝えられたが、登攀は凄絶だ。
命って何?
第三者の暢気さに、そんな問題を真剣に考えさせられた。
自己紹介(木本哲登山および登攀歴)……山学同志会在籍一年目に培った技術を基礎として実行した初登攀〜第3登を中心にまとめた
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※このページには、これまでに僕が行ってきた岩登りを中心とした海外登山、いわゆるビッグ・ウォール・クライミングを集めて掲載しました。
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