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木本哲のホームページ“Explorer Spirit”へようこそ / Welcome to Kimoto Satoshi's website “Explorer Spirit” 雑記帳
連載1年目内容>連載2年目内容>連載3年目内容>岳人連載全タイトル>タイトル一覧>文章の誤りについて>連載を楽しむために
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Kimoto Satoshi Alpine Climbing School
≪ 著書・著作 15 ≫ 次のページへ『しぶとい山ヤになるために』
<僕の新人時代――アルパインクライマー木本哲の200日 全36回――全タイトル2007>2007年1月号から2009年12月号まで連載予定、ただいま好評連載中! 岳人は毎月15日発売です。
ここでは執筆予定のテーマと岳人に掲載されたタイトルを紹介しています。
岳人掲載後は掲載時のタイトルのみを掲げています。タイトル一覧 山登りを始めたころを振り返って 雑感 四年目以降のテーマ
● 岳人連載「しぶとい山ヤになるために 〜僕の新人時代〜」
著者 木本 哲
(自己紹介 白夜の大岩壁から 国内の登山記録 海外の登山記録 著書・著作 映像・撮影 Satoshi Kimoto's World)はじめに
●出版
もし本にするときは書き直したり書き加えたりしてもいいと言っているので、ちゃんと手を入れよう。時間がなくていい加減に書いたところもなきにしもあらずだから……。もくじ
●山岳雑誌「岳人」に連載を始めることになった
初めての経験、しかも突然の指名でおろおろするが、あれこれ考えている暇はまったくない。とにかく最初の原稿の締め切りがすぐなのだ。いずれにせよこの二週間の間に何を書くか考え、二か月分の原稿を書いて、提出せねばならない。原稿書きが連載だとは思ってもいなかったので軽い気持ちで引き受けってしまったが、詳しい話を聞いてびっくりだ。実はこの原稿書きはとても軽い気持ちで受け入れられるような代物ではなかったのである。はいと安請け合いをしてしまったからには書かないわけにはいかないが、いったいぜんたいどうなることやら……。連載が始まるまえからすでに疲労困憊している感じだ。とりあえずこの二ヶ月はHPにも書いてあった最近の遭難の話題から感じたことから書き起こし、その先は多少時間ができてからゆっくり考えることにする。見切り発車もいいところだが、最終的には全体の文章を統一させるようにしなければならない。果たしてうまくいくのか不安はある。しかし、あれこれ言っても始まらない。今は書くしかない。連載のタイトル自体はこれから考えるのだが、どうなることか。木本さんに書いてもらうならこういう感じの内容がいいという担当編集者の希望は聞いた。おそらくどんな人より変な登山・登攀経験は豊富だからどんな要望にも応えられるだろうというあやふやな自信はある。とはいえ、連載の内容を考える十分な日数がなくて連載を頼むにしろ、始まりがあまりにも理不尽な気がするのだが……。
● 2007年の執筆テーマ&タイトル 山学同志会入会以前の残雪期から冬が訪れる直前の晩秋までの登山や登攀
1月号 (1) 白馬岳の遭難から 危険を見極める目、危急時を生き抜く知恵を
2月号 (2) ベテランを問う その言葉が持つ曖昧さと真の意味
3月号 (3) 死は身近にある…… 遭難と真摯に向き合うきっかけとなった二つの体験
4月号 (4) 『日本百名山』の正しい登り方 山を知り、山を味わう姿勢を深田久弥から学ぶ
5月号 (5) 「雪」というものを知った日 あの日の谷川岳はぼくの小さな学校だった
6月号 (6) 「一ノ倉沢の岩壁」 気にかかっていた言葉に興味と憧れを募らせる
7月号 (7) 沢登り この日本独特の登山から僕が得たもの
8月号 (8) 一ノ倉沢の壁初見参 生きて還ることだけが妙に大きな意味を持つ世界
9月号 (9) 剱岳登攀 未知の岩壁に挑むには総合力がいる
10月号 (10) 沢登り単独遡下降 強い意志に支えられた貴重な経験
11月号 (11) エイドクライミング 疑問の答えを探し出す姿勢が技術や判断力を向上させる
12月号 (12) 夏の歓喜、冬の憂鬱 冬山への得体の知れない恐怖
●このころ
岩登りはやってみたいと思ったけど、山に登ろうという意欲は明らかに欠けていた。このころはまだ登山を山遊びの延長としか捉えていなかったのだ。実際、山に興味をもったのはそこに昔見た自然が豊富にあったからにすぎない。それにハイキングクラスの山行では体力が余って山の厳しさそのものを感じていなかったのだろう。でも雪が残っているところは違った。僕にとって雪は手に負えない存在だった。南国育ちと雪国育ちでは雪の扱いや恐怖心がまったく異なるのに驚いた。山登りは体力だけではなく精神も微妙に影響してくる。それが余裕を生み出すのに大きな力を持ってくるのだ。山は奥が深い。山で簡単に死んでしまうのは、単に山をしらないからにすぎない。そんなふうに思う。山で生き抜くには経験がとても大切だ。その経験はうわべだけの経験ではない。単に年数を重ねたベテランでは話しにならない。どんな状況下でも冷静に判断できるしっかりした経験が必要だ。●冬山経験
この間の登山経験は三年あまりで、そのうち冬山経験は3日しかない。それも一日目にスキー場脇で泊まって、二日目はスキー場脇を出て一、二時間の行動で参加メンバーの一人の体調不良により引き返すことになり、スキー場脇でもう一泊して家に帰ったというものである。僕にとっては幸か不幸かわからないけど、安堵した気持ちに包まれたのは事実だ。実際にスキー場の脇から抜け出ることができなかった登山経験なので冬山経験はまったくないと言った方が正しいだろう。だから、この期間の文章に早春から秋口までの間に経験した残雪をたどる登山の記事はあっても冬季登山や冬季登攀の記事はない。別に記録を出し渋っているわけではなく、経験がないものは書けないのだ。単純にそういうことなのである。冬山に行くのは怖くてずっと避けていたのだから……。だって、そんな危険がたくさんある怖いところに行く必要なんかまったくないじゃない。僕なんか雪のない山に登れればそれで十分だと思っていたのだけど、皆は違うの? 夏山の頂上に立つだけでは不服なの? 満足できないの? ずっとそんな気持ちに支配されていたのである。何も好きでもない冬山を登る必要はないし、危険を犯してまで冬山に登るべき理由も登りたいと思うこと自体も実はまったくなかったのだ。●出会い
僕はずっとそんなふうに思っていたのである。今でもそう思っているところがある。だから冬山に行きたくないという人を無理に冬山には誘わない。もちろん山学同志会に入るときも冬山のことはまったく頭になかったのである。それなのに、他の人は自分が認めている真実を無視して、そんなことは絶対にないはずだ、と思っているようである。それだけ山学同志会には山をやっている人を引き付ける魅力があったということなのだろうが、僕が引き付けられたのはそんなことではなくて、単に山学同志会が下町に本拠を置く山岳会で、入会案内書のあて先が僕がかつて住んでいた場所にすごく近かったというそれだけの理由なのである。下町に住んだことがあって下町の人間が好きだったというただそれだけの理由なのである。それも古い山岳雑誌で調べた結果だったから誤解していたところもあるのだけど、出会いというのはそんなものかもしれない。でも、他の山岳会の集会に行くたびに最初に山学同志会の集会に行くつもりだったという素直な気持ちを話したら山岳会の態度が変わっていたから、やがて山学同志会っていったいどんな山岳会なんだろうと疑問と興味を持ち始めたのは事実だ。ずいぶん遅れて入会案内書が送られてきたのだけど、どの山岳会より先に集会に行ってみようと思っていた山岳会だし、山岳会の集会に行ってみて、さらにその山岳会の山行に参加してみてから山岳会に入会するかどうか決めるつもりだったのだけど、山学同志会に入会しないと山行に連れて行ってもらえなかったからとりあえず入会して様子を見ることにしてみたのだ。だから、入会案内書がこなかったらもちろん山学同志会に入ることはなかっただろう。逆に入会案内書が早く来ていたらその翌年には正会員になれただろうから次の年にはヒマラヤに出かけていたかもしれない。どうなるかなんて誰にも分かりはしないだろうが、僕の場合ここに大きな出会いがあったということだ。●原稿書きに四苦八苦しながらも一年が過ぎた
この連載は、僕が山を登り始めてから埼玉谷峰山岳会という社会人山岳会に入り、そして自分の進んでいる方向に疑問を抱き、山学同志会という社会人山岳会に入ってもう一度始めから登山をやり直すことにした、その山学同志会での一年目の山行を終えるあたりまでの登山や登攀と、それらから僕が得たものについて書いていくことにする。表題の『しぶとい山ヤになるために』僕がどんな具合に山行をこなしてきたのか――。それがわかるような連載になればいいと思う。連載二年目は、山学同志会という山岳会に入ることになった経緯から描き始めることにする。このポイントは、一度失敗しているにもかかわらず、そっち方面に引っ越す予定だからと選んだ埼玉谷峰山岳会同様、東京の下町、江東区に長く住んでいたことがあるという単純な地元意識をもとに今度山岳会に入るなら下町の山岳会に入ろうと決め、僕の行動範囲であった亀戸で集会をやっている山学同志会を真っ先に訪ねてみようと心に決めたことだろう。挙句の果ては、どんな山岳会か知ろうと出席してみた集会で、山学同志会に入会しなければ山学同志会の山行には連れて行けないと言われ、山学同志会の山行に一回でただけで山岳会をやめることになるかもしれないなと考えながらも、とりあえず山学同志会に入会して山岳会の様子を見てみることに決め、手探りで山学同志会の性格を見極めるところから新たな登山の第一歩が始まったのである。
実は、山学同志会がどんな山岳会か知っていたら、山学同志会には決して入会しなかったのではないだろうかと思うことがある。実際、僕がやりたかったのは無雪期の岩登りであり、雪山に行くことなどまったく考えていなかったのである。もちろん海外登山など頭にあるわけはない。だいたい最初から歩く山には興味がなかったのである。しかし、山学同志会という山岳会の性格をまったく知らなかったからこそ僕の登山は山学同志会の性格を知ることを目的に山登りを始め、素直に驚き、喜び、一から登山を学び直すことができたのだと思う。どうやら得ることができるものは何でも貪欲に吸収しようとしていた当時の僕の考え方に山学同志会の新人養成システムや山行のシステムがぴったり合っていたようなのである。
多くの人は僕が山学同志会という山岳会のことを知っていて山学同志会という山岳会に入ったと思っているようだが、実はそうではないというところが最大のミソだろう。おかげでさまざまな登山や登攀の経験を素直な気持ちで積むことになり、山行のたびに登山や登攀というものを考えることになったのである。そのときの登山や登攀から受けた衝撃と印象は今でも鮮明に残っており、この文章を構成する基となっていることは言うまでもない。登山など知らない僕がどんな具合に成長していったのかは、これらの文章を読めばきっと分かるだろうが、山はなかなか一筋縄ではいかないから、各人各様の登山を通して山そのものやそれに付随するものについて一つ一つ学んでいく必要があるのだろう。でも一つだけ忘れてはならないのは、山はどこでも死にうる場所であるということである。それは昔も今もまったく変わっていない。
木本哲プロフィール(「白夜の大岩壁・オルカ初登頂」のページから)……公開を取りやめています
僕のビッグ・ウォール・クライミング小史……公開を取りやめています。「目次」を参照してください
しぶとい山ヤになるために=山岳雑誌「岳人」に好評連載中……登山開始から山学同志会在籍一年目までの山行で学んだこと感じたこと
自己紹介(木本哲登山および登攀歴)……山学同志会在籍一年目に培った技術を基礎として実行した初登攀〜第3登を中心にまとめた
Satoshi Kimoto's World(木本哲の登攀と登山の世界)……山学同志会在籍二年目から海外のさまざまな山や岩壁を登りに出かけた※ 批評や批判は大歓迎――違った見方・考え方などがあればいつでも メール をお送りください。
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