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冒険の重み

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エベレスト登頂は登るつもりがなかったものの頂上に登ってしまっただけに何人かの人生を変えることになった。まあそれはそれでいたしかたないことだが、このエベレスト登山が終わったのちも今なお山を登り続けているからこそそう言うことができるのだ。

この登山は皆とは離れ、頂上まではたった一人で登っただけに楽しい一人旅という部分もあったが、全体的には人間のいやな部分を見ることになる旅であった。そんな登山は登頂後の下山時に自分以外の命の代償に超高所でビバークをすることになり、結果両足指に凍傷を負い、帰国後入院生活を送ることになった。二ヶ月あまりの保存治療の末、壊死した患部を確定させ、正月明け早々に患部を切断する手術を受けた。術後、指先の切断によって足裏が曲がったまま固定されるのを避けるため、左足より少し深く切ることになった右足にはギブスがはめられた。ギブスがとれ、社会生活を送るための院内リハビリが始まったのは二月のことである。

約一ヶ月のリハビリ期間を経て退院の日を迎えたが、退院許可が出たとはいえ、僕の歩行能力は人の流れについていけるほど回復していたわけではなかった。たとえどんなに一生懸命歩いたとしても、自然な人の流れの中に入っていけば、まるで水の流れを妨げる川中の大きな岩のような存在にすぎなかったのである。ところが、どっしりした岩とは違って、後ろから歩いて来る人に追い越しざまにぶつかられると、すぐさまよろけて転んでしまうほどやわな存在であった。どうやら僕が人の流れに乗って歩いていけるようになるまで回復するには相当時間がかかりそうな気配だと認識しないわけにはいかなかったのだ。

そんな状況だから家に戻ってトレーニングを始めようと思っても外出する気持ちは萎え、再起はまるで茨の道を歩むようなものだぞと思わせるには十分であった。しかし、受け入れがたいことも含め、現状のすべてを素直に受け入れないことには何も始まらない。目にする風景が、地球を見渡せるかのようなエベレスト山頂の風景から一転して無機質なコンクリートの窓枠の先に見える四角く切り取られた風景に変わっただけに、再び青空の下で自分の意思で自由に体を動かせることが無性に恋しくもあり、また嬉しいことでもあったのだ。だが、寒気は指を切り落としたばかりの足には厳しいものであった。しかし、もう一度山に登りたいという気持ちは強く、少しずつ山登りに耐えられる力をつけていこうと決めた。今ここで焦って何かをしたところでたいした効果が生まれるわけではない。それは誰が見ても一目瞭然だっただろう。

リハビリを始めて一ヶ月が過ぎてもなお足そのものは自分の思い通りには動かせなかったので、再び山登りをすることはつかみどころのない夢を追い求めるようなものだった。指を切ったことより、自然な人の流れに乗れないこと、人の流れについていくことさえできないというその現実がとてもショックだったが、これから先どうなるのだろうと考えると、ショックは幾重にも膨らんだ。

病院のリハビリは日常生活に差し障りのない歩行技術や体力を身につけるためのものだが、普通の生活に必要な体力はもちろん、確実な歩行を司る技術すらまだ身についていないというのが現状であった。登山をするにはもちろんそれ以上の力が要る。実際に社会に出、普通の生活のリズムを肌で感じてみると、改めて足の指先を失うことの重大さが身にしみてくる。そんな失意に満ちた日々の中で、自分にあったトレーニング方法をあれこれ考えながら一日も早く体力が回復するよう努力を重ねていたのだった。

僕はある程度体力がついてくると、自転車に乗って郊外を走り回ることを思いついた。足先の切断面に大きな力が加わると飛び上がるほど痛いのだが、自転車なら膝や足腰だけではなく、つま先の切断面にも大きな負担をかけることなく体全体の機能回復が図れるのではないだろうかと考えたからである。

足先はできるだけ長く残そうという趣旨で手術をしているだけにどうしても切断面が弱く、先端に力がかかると苦痛に顔が歪む。あまりに痛すぎて自らの足で走ることなど到底できない話だが、自転車に乗って走れば、心地よい風が頬を打つ。風を切って走るということはこんなに気持ちいいものなのか――。自転車に乗っていると否が応でもそう感じる。病に陥ると、普通に過ごせること、それ自体がどんなにすばらしいものか、一も二もなく認識させられるが、歩けなければ家に閉じこもりがちになる。そんな自分自身をどうやって外に連れ出すか考えるのは、体だけではなく、心の回復を考える上でも重要なことだった。

幸いに僕の思惑は当たり、自転車をこぐ距離が延びていくと同時に、足腰は順調に強くなっていった。もちろん心の回復も早い。自転車に乗って走っていると、春のやわらかい日差しも、菜の花や名もない野の花も、春を告げる野鳥の声も、見るもの感じるものすべてが生き生きとしているように見え、心の底から生きる力がみなぎってくる。ところが、家に帰りつき、ひとたび自転車から降りると、そんな感覚はたちまち消え去り、現実はあまりの痛さに一歩も歩くことができなくなっている自分自身と向き合わねばならない。外にいると楽しいからか、自転車をこぐのはいくらでもできるのだが、一こぎごとにペダルを押し付けるつま先の切断面に大きな力がかかるため、家に帰り着いたときには足先が腫れあがり、うずくように痛む。その痛みに耐えかね、玄関に着くと同時に歩くことを放棄してしまう。実際のところはちゃんと歩きたいのだが、痛すぎて歩けないのであうる。そこで僕は玄関から炬燵までのわずかな距離をよつんばいになって進む。

一息ついて足先を見ると靴下には血がにじんでいる。毎日がこんな調子だから家に帰るととたんに気持ちが暗くなる。
「これは治すんじゃない。悪いところをただ切り取るだけだ――」
そう言った主治医の金田正樹の言葉が心に重くのしかかる。だがそんな僕を時間が徐々に癒してくれた。自転車で走る距離は日ごとに延びていき、平坦地なら1日100キロもの距離を走ることも珍しくなくなってきた。もともとやりだしたら止まらない性格だから、面白さが乗じるとついやりすぎてしまう。自転車をこぐ足先に力を入れ、軽快に走っている間はこの世の春を謳歌しているように生き生きとしているが、家に帰り着くと同時に這いつくばって進んでは落ち込むという繰り返しの毎日だった。だが、それでも前途にはしだいにほのかな明かりが見えてきた。

キロマンジャロ西面ブリーチウォール 5895m

体力の回復とともに僕は新たな挑戦を考え始めた。その挑戦の場所はアフリカである。アフリカにはケニア山とキリマンジャロとルウェンゾリという登ってみたい山があり、そこには何と氷河や氷壁があるのだ。僕はアフリカ大陸に聳えるこれらの山のうち、赤道直下にあるケニア山とキリマンジャロには魅惑的な氷壁があることを知っていたので、赤道直下で氷壁を登るということに興味を抱いき始めていたのである。もちろん闇雲にその山の代表的な登攀ルートを目指しているわけではない。実は氷壁の登攀は岩壁の登攀に比べればはるかに易しいのだ。僕には昔から氷壁に対してはそういう思いがある。その上足にかかる負担も岩登りに比べれば氷登りの方がずっと小さくて済む。

僕にはこの氷壁を登り切る十分な勝算があったが、もちろん氷壁なら、いざとなれば一人で登ることもできる。こんな体になったことを考えるとパートナーのことをあまり真剣に考えなくてもすむ氷壁登攀は自分にとっても気分的に楽な登山なのである。それにたとえ氷壁が登れなかったとしても、アフリカならサファリを楽しむことができる。夢を持つこと――。たとえ到達することが困難な夢であったとしても、夢を持てば人はそれだけで、目標を立てやすくなるし、目標に向かって努力することもできる。目標に向かって努力するれば身も心も明るくなる。僕はアフリカ行きを思い立つとさっそくそこでどういう登山をすべきか考え始めた。

そんな状況の中で、ふと、自転車でキリマンジャロに登ってみるのはどうだろうか、という考えが思い浮かんだ。キリマンジャロならほとんど雪がないし、アプローチも比較的なだらかで、5895mという標高も手ごろである。8000mまでは確実に無酸素で行動できる僕にとっては何一つ心配の種のない標高なのである。ただ一つ問題があるとすれば、果たしてこの足で頂上に立って、そこからもう一度登山口まで歩き通すことができるのかどうかという障害による体への負担がどのくらいのものになるのか分からないということだけだが、もちろんもはや麓から頂上まで自転車とともに登る自信も体力も精神力も十分にある。そうこう考えていると、ケニアからタンザニアまで自転車で移動するのもいい、などと夢は勝手に膨らんでくる。何より自分自身を厳しく鍛えてくれている自転車に感謝することができるのがいいという思いが、この発想をいっそう楽しいものにさせた。

アフリカ行についていろいろ調べているうちに、僕はキリマンジャロに自転車で登った記録が載っている本を図書館で探し当てた。この本は自転車登山の現実がどんなものか容易に想像させてくれたが、それと同時に失望ももたらした。それというのも、たとえ僕が両方のすべての足の指を失っていたとしても、僕はこの本の著者よりずっと楽にキリマンジャロに登ることができるだろうということが、この本を読んでいてすぐにわかったからである。この本の著者にはキリマンジャロ自転車登山が冒険として十分に成り立っているのだが、8000メートルを越える高所登山の経験がある僕にはとても冒険として成り立ちそうにないことが読み取れてしまうのである。

そもそもキリマンジャロに登るには僕はあまりにも高所のことを知りすぎていた。キリマンジャロの頂上どころか8000メートルラインの、普段僕たちが生活を営んでいる場所の三分の一の酸素量しかない高さまで無酸素で15キロを背負って歩くことができる人間なのである。少なくとも足の指を切る直前まではそうやって山に登っていた人間なのである。高所順応自体に何も問題がないうえ、荷物が持てるとなると何をかいわんやだろう。自転車一台の重量など高が知れている。僕はどう考えても、僕は僕が、著者がこの本に書いているような状態にはなりそうもない、とわかる。著者のようになることそれ自体が想像できないことなのである。6000メートル弱のキリマンジャロといえども、おそらく僕にとっては彼が富士山に登る程度の衝撃しかないだろう。たとえ僕に全両足指がないとしてもである。そう思うと僕が自転車でキリマンジャロを登ることの意義そのものが薄らいでくるのだった。

僕は、冒険と呼べる行為が、人によって、またこれまでに積み重ねた経験によって、受け取り方がこうも違うものなのかと思わずにはいられなかった。もし、僕が、彼がキリマンジャロで体験したことと同じ状況を味わうためには、おそらく7000メートル弱の南米最高峰アコンカグアに登ったぐらいではとても無理だろう、と思う。高所順応と荷物を背負って登ること、それ自体が問題にならないのだからこれはもうどうしようもないことなのである。そのような挑戦は僕にとっていったいどのくらい意義深いものなのだろうか――。そんなふうに考え始めると、この冒険にかける僕の夢は急速にしおれてきた。

そこで僕は自転車でキリマンジャロに挑むことをきっぱりと諦めることにした。たとえ全両足指を失ってしまったとはいえ、再びアルパインクライマーとして立ち上がろうとしているのだから、やはり山そのものが持つ難しさに挑戦すべきだろう。僕は当初の発案どおりケニア山のバティアンとネリオンという二つのピークの間に切れ込むダイヤモンドクーロワールという氷壁ルートの登攀を第一目標とし、それがうまくいけば次にキリマンジャロのブリーチウォールの頂上直下にかかるにかかる80メートルあまりの垂直の氷柱を登攀することを目標に定め、ことのついでに氷河があるもう一つの山ルウェンゾリを目指すことにし、アフリカ三山の登頂計画を立てることにしたのだった。

木本哲プロフィール(「白夜の大岩壁・オルカ初登頂」のページから)……公開を取りやめています
僕のビッグ・ウォール・クライミング小史……公開を取りやめています
「目次」を参照してください
しぶとい山ヤになるために=山岳雑誌「岳人」に好評連載中……登山開始から山学同志会在籍一年目までの山行で学んだこと感じたこと
自己紹介(木本哲登山および登攀歴)……山学同志会在籍一年目に培った技術を基礎として実行した初登攀〜第3登を中心にまとめた
Satoshi Kimoto's World(木本哲の登攀と登山の世界)……海外の山もさまざまなところへ登りに出かけました

どなたかこの「奇妙なエビ」の名前をご存知時ですか?

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