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趣味でもあり、今や仕事でもある僕の山登りが、頂上に立ちたいという意識より山麓を徘徊したいという思いによって成り立っているのは自分自身少し変に思う。しかし、それが事実である。低山藪山を一人で駆け回って育ったせいか、山に登るにしても頂上そのものより頂上に至るアプローチの方により深い興味を感じる。それに僕にとっての頂上はいつも通過点の一つに過ぎなかった。藪山の頂上というのはそういうものだ。だからかもしれないが、頂上に立つことよりそこに至る間に繰り広げられる自然現象や人間ドラマの方により大きな魅力を感じてしまうのだ。だからこそ、たとえ同じ山でも季節を変えて何度でも訪ねてみようという気持ちが起きるのかもしれない。
このアプローチへの興味は、技術の習得とともにバリエーションルートへの興味となり、国内のさまざまな山へ、さまざまなルートへと向かわせる原動力となった。そして、それが世界のさまざまな山へ、さまざまなルートへと向かわせる興味を育んだ。僕が裏山で行ってきた山遊びと、国内で行ってきた登山との間には大きな差はない。そして、国内で行ってきた登山と海外で行ってきた登山との間にも大差はない。こういうといつも怪訝な顔をされることが多いが、そこにあるのは標高(標高差)の違いだけである。遊びの対象となっていた小さな山(崖)が国内の少し大きな山(岩壁)になり、海外の巨大な山(大岩壁)に変化しただけのことで、山への思いも、ルートへの興味も、それに挑戦するスタイルも昔から何ら変わりはない。短時間で登ってみたり、一回の山行で何本ものルートを登ってみようというスタイルは、山登りを始めた当初からやっていたことで、昔から何一つ変わらない僕の登山スタイルなのである。そして知らないところへ行ってみたいという冒険心も昔から何一つ変わってはいない のだ。
山は山。低山藪山も、高山雪山も、そう大差はない。それにふさわしい知識と技術と体力とを身につけ、それらに経験を加えて得た知恵を働かすことができれば、それぞれの山登りはそう難しいものではなくなる。僕にとっては、自然の動きより人間の心の動きの方がはるかに捉えにくい対象である。しかし、自然と人間、この二つの不確定要素の交わりの中にこそ山登りの楽しさがあり、難しさがある。ソロで行う登山は自然と自分との関係だけを考えて登ればいいが、パーティーで行う登山は自然と自分と他人との関係を考えながら登らねばならない。登頂をめぐってややこしい問題が起きるといやになってしまうが、登っていて楽しいのはパーティーで行う登山である。
対象となる山をどう登るかという観点から考えると、山の登り方は登山と登攀に分かれる。登山は傾斜が緩いところを歩くことが中心になるが、登攀は傾斜がきついところを攀じ登ることが基本となる。登攀は歩くことに加え、攀じ登るという特殊な技術を備えていることが必要になる。登攀は手足を置く場所の大きさや傾斜などさまざまな条件によってグレードがつけられている。グレードが高くなればこの世のものとも思えない動きが必要になる。
登山にせよ登攀にせよ山の登り方は山とどう対峙するか、どうすれば登れるか、という観点からさまざまな行動計画が立てられる。行動の方法は大きく分けるとじっくり登る極地法とさっと登ってしまうアルパインスタイルということになる。
極地法は極点を目指す際に生まれた考え方で、まずは一つのキャンプを作り、そこに荷物を集結して次のキャンプを作る足がかりとするやりかただ。これは山では一人の成功者を得るためにそれこそピラミッドのような裾野を持つ人間を必要とする。逆に言えばそれだけの人間の下働きがあって初めて一人の登頂者を出す形式で登山が行われてきたのである。それは同時に固定ロープを張り巡らすという形で行われた。極地法登山の発達は登山隊の成功のみを優先させるヒマラヤ初登頂時の産物だが、登山者本人に応分の力がなくても登頂できる可能性を育んだ。今の商業登山があるのもこの方法を採用しているからである。その弊害として、極地法はほかの人間を蹴落としてでも自分だけは登ろうと考える人間や自分の仲間だけを優先的に登らせようとする人間を生んだ。そういう登り方を見ていると空しさを感じこそすれ、登山自体に面白さは少しも感じられない。だから、そんな考えを抱いている人間とこの先一緒に山を登りたいとは思わなくなってくる。しかし、本当に登りたいと思って努力し、困難に挑戦する姿勢を見せる人間とはそんな形で登ってもいいと思う。そのような人のために極地法を選択するのは決していやなことではない。むしろ楽しいことである。
もう一つのアルパインスタイルは面倒な固定キャンプなど作らない代わりに、最小の荷物でビバークを重ねて登っていこうというものだ。これは危険をともなうから登山者や登攀者本人に相当の技術と体力が必要になる。とはいえ、もっとも面白い山の登り方はアルパインスタイルをおいてほかにはない。第一に登山装備・食料の収集、輸送など登山にまつわる煩わしさが相当に軽減される。第二に一人ひとりに相応の実力が身についていることが前提となるアルパインスタイル登山では、極地法に見られる上下の関係も不要になる。アルパインスタイル登山はお互い対等の立場で登ることができる実力の世界の登山方法なのである。極地法に見られる人間関係の煩わしさや甘さは最初からありようがないのが普通だ。そのうえ、どんな山でも日本で行う山登りと同じように、小さな荷物で、ちょっと山登りに行ってくるという感じで気軽に登りに行くことができる。装備や登攀技術が格段に進歩した今は、以前よりいっそうアルパインスタイルという先鋭的な登山方法を採用しやすくなっている。困難な壁を少人数のパーティーで、しかもアルパインスタイルで登り、ノーマルルートかそれに準じたルートを探して下山する――これが僕の最も好きな山の登り方である。
自己紹介(木本哲登山および登攀歴)……山学同志会在籍一年目に培った技術を基礎として実行した初登攀〜第3登を中心にまとめた
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