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「丹沢の鍋割山荘の草野さんから紹介を受けたんですけど――」という怪しい電話が家にかかって来たのは、生まれて間もなかった子どもがすでに高校に通っているくらいだからもう15、6年も前のことになる。

電話の内容は凍傷で足の指を失くした人の歩き方を撮影したい、というものだった。その目的で草野さんに白羽の矢が立ったらしいが、彼の足の指の欠損はわずかなので、彼からもっと適任な人間を紹介されたというわけである。確かに切り落とした足の指の数を比べれば、全両足指すべてを失っている僕以上の適任者はなかなかいないだろう。

しかも、僕は足の指を切断したあとも、切断する前と同じように、かなり上手と言われる人でさえ攀じ登るのが難しい登攀ルートに挑み、成功を勝ち得ていたのである。映画『植村直己物語』撮影時の凍傷受傷と切断後すぐにアフリカの氷壁を登って再起を果たし、その後も登攀を諦めずに何やらがんばっているらしいという話題性を考えると、草野さんと深いつながりがあるわけではないが、彼の頭に真っ先に僕のことが思いついたとしても不思議ではない。

しかし、がんばっているとはいえ、足指を失って失望を隠しきれない障害者の歩く姿をビデオに撮りたいだなんて、いったいどんなつもりなんだろう――。そんな思いがしたが、自分の小さくなった足が誰かの役に立つならそれもいいかと思い、とりあえず会ってみることにした。どこで会いましょうかと尋ねると、先方がこちらへ出かけてくるというので、JR青梅線の青梅駅改札前で待ち合わせをすることにした。

青梅駅にやってきたのは二人の男性であった。近くの喫茶店で挨拶を交わしたときに相手からいただいた名刺には『株式会社本田技術研究所 和光研究センター チーフエンジニア』という肩書きが刷られていた。障害者用の車でも作るのに足の指を失くした人の映像が必要なのかしらとも思ったが、その程度の目的には人が歩く姿などまったく必要はないだろう。バイクや車のメーカーと凍傷ですべての指を失った足――。どこをどうやって結びつければ指のない足の映像の必要性が出てくるのだろうか。しばし考えてみたがまったく見当もつかない。映像の使用目的が何なのかはっきりしないが、上場企業だから変なものに使うわけはないだろう。

彼らは待ち合わせ時間より少し早くやってきて、青梅駅周辺をロケハン、つまり撮影に適した場所を事前調査したらしく、撮影場所は多摩川沿いにある「釜の淵公園」にしたいと言ってきた。そこが適切な場所だという理由は、アスファルトの舗装道路、砂地、砂利地、砂礫地、山道など整地から不整地までさまざまな路面がそろっているからであった。

僕は、彼らの注文に合わせ、彼らが希望するとおりの場所と歩行スピードでさまざまな歩き方をして見せた。そのつど彼らは、彼らの注文に合わせて歩く僕の姿をビデオカメラに淡々と収めた。さまざまな動きをしたあと、最後に結婚行進曲のスピードに合わせて歩いてくださいという注文を出してきた。この結婚行進曲に合わせた歩き方は、さまざまな歩き方の中でも最もペースが遅い歩き方なのだという。確かにこの歩き方は一歩を踏み出す時間が長く、片方の足を前に出すためにもう片方の足で長時間体のバランスを保っていなければならない。歩くスピードが遅い分だけ重心の移動が難しくなり、全体的に体のバランスがとりにくくなる歩き方なのである。もっとも自分の結婚式は和式だったからこんな歩き方はしなかったが、羽織袴をまとい、雪駄で歩く必要があった。これはこれで足の指がないので雪駄を履いて歩くのに脱げやしないかと気を使い、けっこう苦労はしたのだが――。

実際、結婚行進曲に合わせた歩行は、確かに歩行のスピードが遅い分だけバランスが取りにくい。しかし、歩くこと自体は何も問題はない。左右の足の長さに差があるのでどんなに丁寧に歩いても多少上半身のふらつきが伴うのだが、まっすぐ進むこと自体は容易にできる。人間の体はもともとそんなやわなつくりではないのである。どんなにバランスが悪かろうと、頭は瞬時にそれを捉え、考え、適切なバランスを維持しようと、あちこちの筋肉に命令を出し、力を入れたり、あるいは緩めたりするのである。

すべての撮影が終わったとき、彼らはまだ何か撮りたそうな顔をしてこちらを見ていた。何だか言いにくそうだったが、彼は意を決して僕に向かって切り出した。「足を撮ってもいいですか?」と。僕は「ええ、いいですよ」と答え、靴を脱ぎ、靴下を脱いで、彼らの目の前に僕の小さな足をさらけだした。顕わになったわずか20センチ足らずの、先端がすっぱり切り落とされ、足の裏から見るとまるで四角く見えるだろうこの足を見て、彼らは口をそろえてこう言った。
 

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木本哲プロフィール(「白夜の大岩壁・オルカ初登頂」のページから)
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しぶとい山ヤになるために=山岳雑誌「岳人」に好評連載中

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