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リハビリからトレーニングへ
白夜の大岩壁に挑む クライマー&クリエイター木本哲――非公開グリーンランド東海岸ミルネ島の未踏の地の未踏の峰で行う岩壁登攀とその模様を撮影する番組制作に出発する直前に負ったけがは案外重いものだった。実際、何だか痛みが引かないなと思って、けがをした翌々日にかかりつけの病院に行ったとき、胸と尾てい骨と膝の三箇所のけがのうち、胸に関してはすでに肋骨を折っているのが明らかだったので最初からレントゲンは撮らなくていいですと医師に胸のレントゲン撮影を断った。レントゲンによって医学的に肋骨が骨折していることが証明され確定したとしても骨をつなぐのに特別な治療を施すわけではないからレントゲンは撮っても撮らなくても同じことである。もちろんそれが肺に突き刺さるような心配があるひどい骨折なら話は別である。残り二箇所の尾てい骨と膝はかなり痛く、さすがにこれら二箇所の患部にも骨折の疑いが浮上していたのでこれらはレントゲンを撮って骨折をしていないかどうか確かめる必要があった。もちろん膝が骨折している場合は無条件にグリーンランド行きは中止である。
結果はとりあえず膝は骨折してはいなかった。しかし、尾てい骨の方は骨折が疑わしかった。尾てい骨はレントゲンを見ながら骨折しているかどうか判断を仰いでいたところ、レントゲンには骨折のはっきりした兆候はないと言われたのである。だが、尾てい骨が骨折しているかどうかはレントゲンだけでは判断できない、わからないのだとも言われた。もし尾てい骨が骨折しているかどうかはっきりさせたければMRIを撮るしか方法はない。だが、たとえ尾てい骨を骨折していたとしても骨折を治すのに特別な治療法があるわけではなく、よほどひどい場合以外は尾てい骨も肋骨と同じで放っておくしかないのだという。
MRIを撮って尾てい骨の骨折の有無をはっきりさせるかどうか迷ったが、骨折がはっきりしたらグリーンランドに出かけないというわけではなく、尾てい骨が骨折していたとしても特別な治療を施すわけではないのだから、もはやこの程度のけがならグリーンランドに出かけたとしても未踏の岩が登れないことはないだろうと思っていた。そう判断できるほどグリーンランドミルネ島の未踏峰の想定ルートには困難さを感じていなかったので、グリーンランドに出かけることそのものはすぐに決心し、MRIを撮るのはやめることにし、出発直前まで患部の様子を見ることにする。万が一それまでに患部に抜き差しならない異状が起こった場合に備えてMRIを受けることも視野に入れ、出発直前に診察予約を入れておく。そうすることでその日に病院に行けば順番を待つことなく優先的に診てもらうことができるからであるが、体がそのままの痛みに耐えられそうなら出発直前に登攀が延びたとしても大丈夫なくらいの鎮痛剤を処方してもらい、それを持って出かけることにする。最長何日分薬が出せるのか確認したところどう考えても十分すぎるほど薬をもらえることがわかったので僕は安心して病院を出た。
二箇所の骨折の不安を抱えたままグリーンランドの未踏峰の登攀にでかけることはちょっと無謀かもしれないが、この岩壁を登るために初めてパーティーを組んで登るパートナーが想定した登攀ルートはすでに聞いていたので、この登攀ルートならこの程度のけがで登れないことはまずないだろうという確信があった。尾てい骨をけがしたのは初めてだが、実は肋骨を折ったのは何もこのときが初めてではないのだ。そのときと比べれば今回の方が傷が浅い。それに現実にはすでに骨折し負傷しながらも瑞牆山で5.10dのクラックをリードして登っているのでグリーンランドの登攀自体は何とかなるだろうという思いがある。だが、想定した登攀ルートではどう見てもいい撮影はできないので登攀ルートをちょっと変えなければならないなと思っていた。しかし、登攀ルートを多少変更したとしてもリードして登ることは可能だろうとも思っていた。
登攀を行えば患部に余計な力が加わり非常に痛い。だから鎮痛剤は万が一のことを考えて錠剤と座薬をもらうことにする。患部がとてつもなく傷む場合は錠剤を飲むより座薬を使用した方が早く効くのだ。座薬は溶けやすい欠点があるが、グリーンランドの岩は氷河に接しているので薬の管理も大丈夫だろう。何でこんなことまでしてグリーンランドくんだりまで出かけて行って岩登りをしなくちゃならないんだという気持ちもないわけではないが、乗りかかった船だし、瑞牆山の登攀時に冗談めかしく「ちょっとけがをしてるからグリーンランドに行くのをやめようかなと」言ったら、カメラマンが「木本さんが来ないと困りますよ」と言うものだからまあいいかと思い、とりあえずグリーンランドには出かける方向で考えることに決めていたのだった。でも、もしそんな答えが返ってこなかったら行かなかっただろうな。
結果的にはグリーンランドの未踏峰の登攀には出かけなければよかったというのが正直な感想である。というのは、骨折はともかくも、ただの打撲だと思っていた膝のけがが荷上げや荷下げや固定ロープの撤収などのおかげでかなりひどい状態になってしまったからである。最後に重い荷物を背負って岩から離れる際に柔らかい雪に足をとられ、踏ん張ってこらえたときに傷めている膝に大きな負荷がかかったのも痛かった。このおかげで膝をさらに傷めたことは間違いない。しかし、このことそのものはすでに膝を痛めていたからこそ起きたものだろう。一方、骨折かどうか疑わしかった尾てい骨の痛みは、結局グリーンランド登攀最終日も消えることはなく、それどことかむしろひどく痛み、行動直前に薬を飲まなければならなかったほどで、骨折はまず間違いなかったと考えられるからでもある。結局のところ、この登攀では最初から最後まで鎮痛剤を手離すことができなかったが、この無理が膝を悪化させ、回復するのに二年以上の月日をかけざるをえなくしたのである。今となってはしようがないことだが、この際気合を入れて回復のためのリハビリとトレーニングを施さなければならないことは確かだ。
もちろん膝を回復させるための努力を二年の間怠っていたわけではない。そんな膝の状態を憂いながら、昨年も春先に回復のためのトレーニングを開始したのだ。だが、膝の状態が思わしくなく、回復するどころか膝の痛みが増すような状況だったので直ちに回復トレーニングを中止し、膝の回復トレーニングの計画はあっという間に潰れたのだった。それからさらに不安な一年を過ごして再び今年の春先からトレーニングのもっと手前の段階、すなわちリハビリの段階から膝の回復トレーニングを始めることに決めたのだ。暖かくなると同時に日々リハビリ&トレーニングに精を出し始めたのだが、どうやら膝は神経を切っていたらしく、膝の回復はこの3月あたりからようやく進み始めたのである。そこで4月から本格的にリハビリ&トレーニングを始めることにしたのだが、そんなリハビリ&トレーニングはまずは温浴とアイソメトリックで膝周りの筋肉を太くすることから始めたのだった。
2009/4/1からは山歩きのリハビリも始めた。初日は一時間ほどの山歩きを行った。こんなんで治るのかと思うような軽いトレーニングから始めることにしたのだが、はてさてどうなることやら。トレーニングをし始めるとけっこうまじめにやってしまうのでいい加減に適当なところで手を打ちながらやらなければならない。ここで再度膝を傷めることにでもなったら最悪だ。
裏山にトレーニングコースを自ら開拓整備して始めた山歩きは一定の効果を得たが、どうやらもっと基本的なところから始めた方がよさそうである。そう感じた僕はそこでまずは温浴療法中心のを施し、膝関節の拘縮をほぐしながら、膝周りに筋肉をつける最も基本的なリハビリから始めることにする。もちろんそれと同時にストレッチも行う。それは本当に地道なリハビリ&トレーニングの開始であった。だが、日ごと内容が進歩し始め、やがて体型も変わり始めた。リハビリは焦ってやったところですぐに効果が上がるものではない。しかし、不断の努力が必要である。不断の努力によって少しずつ体型に変化を与え続けていればそのうち変化のスピードが速まっていく。そうなるまでは実に地道な努力を必要とするのである。
ところが、そういった地道なトレーニングは山登りと相通じるところがあるので案外得意な部分である。リハビリを始めてもはや三ヶ月が過ぎたが、実際のところ体型は急激に変わってき始めた。実際、落石による打撲によって神経を切ったらしい膝周りの筋挫傷は、左足を自分が見てもみすぼらしいと思えるまでに萎縮させたが、リバビリの遂行によって左足はだんだん見られる形になってきたのだ。この際だから体の悪いところは徹底的に治してやろうということで問題がある左半身のリハビリ&トレーニングに力を入れ始めたのだった。
三ヶ月のリハビリト&レーニングのおかげかだいぶ体型が変わってきた。これからはしだいに負荷をかけていくつもりだが、負荷をかけ始めてわずか一週間でもだいぶ体型が変わってきた気がする。もはや焦るつもりは毛頭ないが、体調や体力を確実に好転させるよう気をつけながらリハビリ&トレーニングに精をだしているところだ。さすがに一年半あまり難度の高いフリークライミングから遠ざかっていたから久しぶりに天王岩でフリークライミングを行ったところ5.11bクラスのルートを登るのに苦労した。しかし、僕のフリークライミングには30年の歴史がある。実際、5.11というグレードを初めて登ってからもう30年にもなるのだ。だから5.11程度ならどのくらい力がつけばオンサイトでリードすることができるのかすぐにわかる。
そんなわけで一月前始祖鳥くらいなら登れるだろうと思って登ってみたらさすがにマスタースタイルで登れた。次に挑んだビルバーナもマスタースタイルで登れた。ところが5.11三本目の八月革命をマスタースタイルで登ろうとしたところボルト三本目手前で行き詰った。体をひねるべきところで体がひねれないのだ。もちろんそこで難渋したくらいだから最後のクリップにも難渋した。結局は指先が持たず、四本目のボルトにヌンチャクをクリップすることができず、八月革命から敗退することを決めたのである。そのときは膝を傷めて以来久しぶりの5.11だったのでさすがに正対気味にしか登ることができず、余計な力を使いすぎて力尽きて打ち負かされてしまったのだが、多少トレーニングを積んだ今はそこを簡単にクリアできそうな気がしている。天気がよくなったらまたチャレンジしてみようと思うが、たぶん登れるだろう。フリークライミングは難しくなれば膝に過大な力がかかるので気をつけなければならないが、フリークライミングの力自体はそのくらいまで回復していることは間違いない。攀じ登る力はどうにでもなるとしても問題は歩く力である。梅雨の間に一、二度ロングコースを踏破して膝の様子を見ておかねばと思うが、ちょっとめんどくさい。
それにしてもリハビリ&トレーニングは面白い。ここ最近こんなにまじめにリハビリをしたことなどなかったし、トレーニングをしたこともなかったからである。リハビリ&トレーニングはリハビリだけの段階を終わり、リハビリとともにトレーニングをする段階に入った。手加減しつつもこの際だから治すべきところは治し、鍛えるべきところは鍛えておこうという考え方のせいで毎日全身が疲労していて困憊気味だ。おかげでストレッチにも熱が入る。最近疲労困憊したことなどなかったからとても新鮮だ。体も喜んでいる。疲労困憊しつつも疲労困憊のレベルを少しずつ上げて、技術的体力的な余裕を徐々に拡大していこうと思う。しかし、リハビリというのはとてもいい発想だ。トレーニング自体もこの発想がなければ故障しやすいだろう。筋肉が太くなっても体重は下がる。どれだけ贅肉がついていたんだってことだが、贅肉はまだまだたくさんついている。昔の体型を取り戻せば岩はすごく登れるようになるのだがなあ。
Explorer Spirit リハビリの基礎知識 関節の動き 歩くという動作 攀じ登るという動作 筋トレ ストレッチ
変形性膝関節症 ヘルニア 腰椎すべり症・分離症 脱臼と亜脱臼
膝周りを鍛える 肩周りを鍛える 腰周りを鍛える 肘周りを鍛える 手首を鍛える 指先を鍛える 握力をつける
股関節を鍛える 岩を上手に攀じ登るということ
木本哲プロフィール(「白夜の大岩壁・オルカ初登頂」のページから)……公開を取りやめています
僕のビッグ・ウォール・クライミング小史……公開を取りやめています。「目次」を参照してください
しぶとい山ヤになるために=山岳雑誌「岳人」に好評連載中……登山開始から山学同志会在籍一年目までの山行で学んだこと感じたこと
自己紹介(木本哲登山および登攀歴)……山学同志会在籍一年目に培った技術を基礎として実行した初登攀〜第3登を中心にまとめた
Satoshi Kimoto's World(木本哲の登攀と登山の世界)……海外の山もさまざまなところへ登りに出かけました
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