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1999年 奥多摩天王岩・始祖鳥 開拓[5.11a]初登攀

ドロボーカササギを登り終えて下降しているき、ふと横を見ると、終了点から張り出している木々がじゃまをしていたが、ドロボーカササギとは別の登り方ができそうに思えた。そこでやってみるとやはりできた。普段なら、掃除をして登ってみて終わりにするか、わざとチョークをべたべたつけておいてそれで終わりにするのだが、もうじき5.11を登り始めて20年を迎えるんだなと思うと、ここにボルトを打ってルートを作っておこうかな、という気持ちになった。奥多摩の主のような名取冬男さんに、ここに下からまっすぐ登れるようにボルトを打とうかと思うんだけどどうだろうと打診をすると、いいというので、木の枝や切り株を整理してボルトを打つことにした。だが……。

2000年 根子岳北面米子不動氷瀑群・アナコンダ[X+]初登
初めて氷瀑を登りに行った米子不動で、ルート図と氷瀑を照らし合わせてみると、ルート図に記載のない氷瀑があった。何かの間違いではないかと思ったが、何度数えてみても間違いはない。ルート図には記載がなくても見た目は登れそうだったので、迷わず登ることに決めた。もちろんそれまでに米子不動での登攀を計画した僕たち二人、つまり保科雅則と攻撃的な思考をする僕との間に一悶着があったけど……。この登攀は、アイススクリューを埋め込むのに、従来のように、アイスアックスに自分の全体重をかけてアイススクリューを両手で埋め込むという方法は採用していない。垂直やオーバーハングした氷壁でこうした登攀ができるのは、実はハンドル付きアイススクリューのおかげである。氷の登攀はその性格上道具に頼る部分が大きい。だから、最新の道具を使うのがベストである。僕は、バナナピックタイプのアイスアックスは1980年から、縦爪タイプのクランポン(=アイゼン、フットファングはトランゴでも使った)は1985年から、ハンドル付きのアイススクリューは1986、7年ごろから使い始めた。垂直やオーバーハングなど、傾斜が強い氷壁では、このタイプのアイスクライミングツールの方が、効きが抜群だった。それでもこのとき使っていたペッツル・シャルレのアクサーというアイスアックスは今のアイスクライミングツールに比べればもう一つ効きが甘いアイスアックスであった。今の人にこれを使って登れと言ったら大変だろう。当時よりさらに進化発展した今のアイスクライミングツールを使って登ればもっと楽に登ることができるはずだ。残念ながら当時はその次のアイスアックスであるシャルレのクォークが出る前だったのである。

 

2000年 根子岳北面米子不動氷瀑群・コブラ[Y]初登攀

上記のアナコンダよりこちらの氷瀑を先に登りたいと思っていたのだが、賛同が得られず、我慢せざるを得なかった。だが、アナコンダを登ったのち、僕たちはすぐにルート図に記載のないもうひとつの氷瀑を登りに行くことにした。この氷瀑登攀のために、15年ほど前から愛用していたロシア製のハンドル付きアイススクリューの数を増やした。垂直部分やオーバーハングした氷壁をフリーで登ろうと思ったら、このアイススクリューを使った方がはるかに楽だからだ。もちろんこちらの氷瀑登攀時も、アイススクリューを埋め込むのにアイスアックスに体重を移して両手で埋め込むような動作はしていない。アナコンダ、コブラの二つとも、当時としてはきわめて斬新な登り方で登ったのである。今なら初登攀した当時よりさらに氷壁登攀用具がよくなっているので、初登攀時よりもう少しやさしく感じることだろう。昔はスクリューをねじ込むときに、リーシュ(=ピッケルバンド)から手を抜いたり、リーシュに手を入れたりするのが大変で、面倒くさかったが、着脱できるリーシュの登場は的を射ていた。フッキングが安全にできるアイスクライミングツールの更なる進化とともに、このスタイルを発展させたリーシュレスクライミングはさらに理に適った方法である。だから、リーシュレスクライミングを受け入れるのは容易だった。

聞くところによると、アナコンダもコブラも数年前から虎視眈々と登る機会を窺っている人がいたらしい。それが証拠にこれらの氷瀑には登る前から名前がついていたという。確かアナコンダは「女神」、コブラは「氷の達人」と聞いたように思う。この氷瀑は僕たちが初登攀したあとすぐに第2登がなされた。第2登をした人は、終了点に足跡や残置スリングがあったために自分たちが初登攀ではなかったことを知ったのだという。登攀記録を発表することに興味を失っていたので、僕はこの登攀記録をどこにも発表しなかったが、どうしたわけか、二つの氷瀑登攀に4人の人間が関わったのに、誰1人として登攀記録を発表しなかった。だが、コブラの登攀はテレビで放送されたので、たいがいの人が知っていた。

初登攀の記事は平凡社の「日本の秘境」にある。

これら氷瀑の第2登を成した人の話から、どうやら僕たちがアナコンダ、コブラの順番で登ったために、これら二つの氷瀑の初登攀をものにしたのだということを知った。運とは恐ろしいものである。米子不動は登攀距離が長いからそれだけで面白い。この山のもう一つの主要な氷瀑エリアである「大谷不動」は「米子不動」の半分の大きさと考えればまず間違いはない。米子不動の登攀のあと保科雅則とともに大谷不動に登りに行ったが、ここと比べるとずいぶん小さかった。

など。このほか国内無雪期の低山藪山から積雪期の登山・登攀まで経験多数

他人から目から見る僕のイメージは、岩屋、つまり登攀のイメージが強いらしい。確かにクライミングが大好きな人間には違いないけれど、自分ではハイキングや沢登りのような山の中をほっつき歩く山行の方が性にあっている。登攀は登りだせばそれだけに集中することができる。低山藪山は四季折々風の音や小鳥の鳴き声、木々や草花とふれあうことができる。どちらもとても好きだ。

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