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1979年 鹿沼初級岩登り講習会。谷川岳一ノ倉沢衝立岩中央稜冬季登攀。
目前に迫った山行、鹿沼の岩山で開催される初級岩登り講習会に参加してみるという目的のためだけに、否応なく新たな社会人山岳会に入会した。結果的にはその山岳会の登攀量に満足し、三週間後、改めて入会することを心に決めた。だが、もしその講習会に参加していなかったらとした今の自分はなかったろう。否応なく入ったその山岳会の名は「山学同志会」という。もし始めから山学同志会の活動内容を知っていたら迷わずに入っていただろうといいたいところだが、冬山に行くつもりは毛頭なかったから、本当に知っていたら入っていたかどうかあやしい。山岳会に対する知識が乏しく、山学同志会がどんな山岳会が知らなかったからこそ入ったのかもしれない。何しろこの頃は無雪期の岩登りがやりたいと思っていたが、実のところ海外登山も含めて積雪期の登山にはまったく興味がなかったのである。ほかの山岳会でも海外登山のことを聞かれたが、冬山でさえ満足にこなした経験がないのに海外登山のことなど考えられるはずがなかったし、興味さえなかった。ただただ無雪期の岩登りがやりたかったのだ。それでも国内の登攀内容に満足した僕は、入会後は山学同志会を基盤にして自分が最もやりたかった岩登りを本格的に開始した。東京都山岳連盟岩登り競技会第4位。日本山岳協会岩登り競技会は、試登は競技ルートをフリーで登ったのだが、本戦はA0をよしとするやり方を採用して登ったら、あまりに簡単すぎて気持ちが空回りし、足を滑らせて失格した。
新たに入った山岳会の流れに逆らうことなく、何にでも首を突っ込み、無雪期の登攀だけでなく、結局は考えてもいなかった冬季登攀も開始することになった。もともと無雪期の岩登りしかやるつもりはなく、冬山にはまったく興味がなかったのだが、谷川岳一ノ倉沢中央稜の冬季登攀を境に、冬山にも積極的に出かけ始めた。谷川岳で行った初の冬季登攀に、夏とは比べ物にならない難しさを感じ、興味を引かれてしまったのだ。
期待していた初めての冬山合宿の穂高岳屏風岩登攀は、たらいまわしにあった末に横尾で放り出されたような結果になり、三日目の朝たった1人で前穂高岳北尾根パーティがいるはずの前穂北尾根[峰のキャンプ地を目指す。キャンプ地に着いたとき、仲間はすでに前穂高岳の頂上に向かって出かけたあとだったが、そこでいつも一緒に登っていた先輩に出会い、ともに連れ立って北尾根を登る。V・Wのコルに着き、順番待ちをしていると、上から仲間が下りてくるのが見えた。そのとき先輩が発した「木本、稜線が混まないうちに帰るぞ」という声とともに僕の初めての冬山合宿は終わった。結局、僕は屏風岩も北尾根も登ることができなかったばかりか、穂高では一度もロープを使うことなく冬山合宿が終わったのだった。この一件以来、冬壁は自分で登らなきゃだめだと思い知らされ、これに発奮して自らの力で冬壁を登り始めた。
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