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シカと食害
Kimoto Satoshi Alpine Climbing School
動物というのは皆目がくりくりして愛らしい。そんな動物の中でもバンビでおなじみのシカは僕たちには最も身近な野生動物の一つかもしれない。しかし、実際に野生の姿を見る機会は少ない。僕たちがシカと聞いてすぐ思い浮かべるのは修学旅行で訪れる可能性が高い奈良公園のシカかも知れない。ここのシカは春日大社の神鹿として保護されてい、人になついているのでここに行った人はたいがいシカを目にしているだろう。この奈良公園には1200頭余りのシカがいるらしいが、ここにはシカとシカの踏みつけに耐えて育つシバの草原とシカが発する糞とその糞を利用するルリセンチコガネやダイコクコガネが長年にわたって築いてきた独特の自然があるという。
春日大社周辺ではシカが食べない樹木や草が繁茂する。ナギやアセビ、イズセンリョウ、イワヒメワラビ、ススキなどである。ここではシカが神の使いとして人為的に保護されてきた長い歴史があり、その生息範囲も限られていることからシカによる食害に対する見解は耳にしたことがない。シカの神格化につれ周辺の植物も長い間にシカに適応したものへと置き換わっているだろうと推測されるせいかシカの食害や自然破壊についてあれこれ問題になるどころか、ここではむしろシカの影響やナギ自身が持つ他の植物の成長を阻害する物質によって、また神様の憑代(よりしろ)としてナギを保護したことによってできあがったのではないかと思われるナギの純林が天然記念物になっているほどである。こうした場所ではシカの食害が云々されることはますずないだろうが、僕の地元奥多摩や日光や尾瀬などではその被害は甚大で、昨今大きな問題になっている。
奥多摩ではシカが食べない草としてマルバタケブキが紹介されている。山中にあるこの看板を見て、ここからシカの食害を読み取るのはむずかしい。シカが食べないマルバタケブキが登山道脇の草地のあちこちに増えたところでそこにどんな問題があるのかはっきり見えてこないからである。同じ看板を掲げるならシカが嫌いな野草が増えることではなくシカの食害がどんな影響をもたらすのかを紹介して欲しい気がする。
それではシカの食害がもたらす環境破壊とはいったいどんなものなのだろうか。そんな思いからシカの食害についてちょっと調べてみたが、どうやらその本質は山野の裸地化にあるようである。だが、森林が豊かな地で裸地化と言ってもぴんとこない。シカの行動のいったい何が山野の裸地化をもたらすのだろうか。
調べてみると、野生のシカ類と自然植生に関する研究は多く、それによればシカは生息密度によって植物種の消失や疎林化など、もともとあった自然を退行させるさまざまな影響をもたらすことが伝えられていた。体重が100キロ前後でエゾシカと同じ大きさの北欧のダマジカや北米のオジロジカは生息密度が平方キロ当たり10頭を越えるあたりから森林が退行したり、特定の種が消滅したりすることが知られている。それより小型のシカについても例外ではなく、生息密度が10頭ほどになると植生に退行が見られ、密度が高くなるにつれしだいに疎林化や特定種の消滅や増加が顕著になるという。
生息密度が高くなり平方キロ当たり50頭を越えると急速に森林が消滅し、シカが嫌う植物やシカの採食に強い植物が生えてくる。先のシバは成長点が根本にあるため、いくら食べられても成長することが可能な植物であり、マルバタケブキはシカが忌み嫌う植物である。冬季は積雪のため餌が少なくなるが、この時期シカは立ち木の樹皮を剥がして食べる。結果的にはそれが樹木の枯死を招き、草原化が進むことになる。大木がなくなりそこに日が差し込みかつての大木の若木が成長したとしてもそれはシカの餌となるばかりで樹木がまともに育つことはない。それが巡り巡って草原化、裸地化へと繋がっていくのである。
その裸地化の影響を受けて荒れているのが昨今の奥多摩水根沢谷である。沢登りで有名なこの沢は、沢筋上流部の樹木伐採によっていったん草原化した植林地がシカの食害によって裸地化し、一雨降るごとに濁流を生み、沢筋のきれいな谷を砕石が埋め尽くしていいるのである。一方の尾瀬では、高層湿原の池塘の水がシカ道の出現によって排出され、池塘の乾燥化が進み、湿地性の植物に替わって乾地性の植物や樹木が侵入してきているのである。もちろんニッコウキスゲは日光同様食害に晒され、さらに尾瀬の貴重な植物群も湿原の乾燥化や食害によって絶滅の危機に晒されているのである。
シカの食害はシカを捕食する動物の欠如、すなわち人為的なオオカミの排除の結果や人間による狩猟圧の減少によって徐々にもたらされてきたものである。生態系の頂点として君臨するオオカミがいない現状では狩猟によってシカの頭数を調整するしかないのだろうが、つい先年までメスジカの狩猟が禁じられていたことを考えると、どんなにオスジカを捕ったところでシカに対する狩猟圧の影響はたいしたものではなかったろう。ことシカの生殖に関して言えば、オスジカを減らしたところでオスジカがわずか一頭いれば何頭ものメスジカが妊娠するのであるからメスジカを減らさないことにはシカの数は減っていかないだろう。もともとシカの生殖行動がそういう形態なのだからどんなにオスを減らしたところで生息密度の調整には不向きな方法なのである。
確か昨年からようやく雌雄の別なく狩猟できるようになったはずだから、今後は少しずつシカの生息数の減少が期待できるかもしれない。だが人間が自然の中でシカの頭数を適正に保つ行動には自ずと限界があり、本来は自然の成り行きに任せるべきものである。そうするにはもちろん捕食者の復活、すなわちオオカミの導入は避けて通ることができない問題となるのは明らかである。シカの食害はシカの生息数の問題だけではなくすでに環境破壊の段階にまで進みつつある深刻な問題である。
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