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河口慧海研究プロジェクト
Kimoto Satoshi Alpine Climbing School
西ネパールの登山に関わっていると、最終的にはどうしても「河口慧海(1866-1945)」という人物とかかわりを持つことになる。というのは、河口慧海という人間が世界で初めて、この地域、すなわち西ネパールのトルボと西チベットの国境という世界でもとりわけ辺境と呼ばれる地域に関わった最初の人間だからである。実際、西域の探検で有名なスヴェン・ヘディンでさえチャンタンでは河口慧海(1900-1902入蔵)に遅れて入域しているのである。一方、川喜田二郎の「鳥葬の国」という本や映画で紹介された西ネパールのトルボは、未だに辺境の最先端の地位を保ってはいるが、チベットの急激な変化に伴って、かつてほどの辺境の地という感じは薄らいできている。そんな地域に分け入った河口慧海という人物を巡ってチベット学を探究しようという面々が一堂に会した。
河口慧海の日記再発見を受けて発足した河口慧海研究プロジェクトに所属する面々が一堂に会したのはこれが初めてである。どんな人たちがいるのかと思ったら、けっこうまじめだけど、研究熱心で面白い人ばかりであった。文化人類学者、仏教者、社会学者、仏教学者、医者、新聞記者、カメラマン、ディレクター、登山家などさまざまなジャンルの人がいる。元締めの一人で、河口慧海研究プロジェクトの座長を務めている高山龍三先生は50年前に川喜田二郎隊長のもとで西ネパールに入って研究した西ネパールのチベット文化研究第一人者の一人だ。僕たちが行った西チベット学術登山隊2004の登山報告書である「チャンタンの蒼い空 西チベット学術登山隊2004全記録」には講談社学術文庫の「チベット旅行記」校訂にまつわる話「河口慧海の日記 顛末記」を書いていただいている。河口慧海研究プロジェクト設立の話はこの原稿の中に出てくる。
幹事の奥山直司先生は堺生まれの河口慧海という人間を掘り下げ、「評伝 河口慧海」という本を書いている。これは河口慧海が越境をした峠がどこか、またどうやって越えたかという僕の思考をまとめた原稿「河口慧海を考える」を書き終えて、河口慧海のことをもっと知ろうと思って読んだ最初の本である。本当はこの逆で、原稿を書く前に読まなければならなかったのだろうが、僕は河口慧海の著書「チベット旅行記」と自分が行った二度にわたる西ネパール・西チベット学術登山や仲間が行った七年にわたって行った学術登山、それに自分がこれまでに行ってきた過去の登山経験だけから河口慧海の行動を読み解きたいと思っていたので、それ以外の文献には最初から目を瞑ったのである。
高知大学で河口慧海に関する市民講座を推進しているのが蕭紅燕さん、なのかな? 社会学者の彼女はさまざまなことを矢継ぎ早に質問してきたが、楽しい人だった。「チャンタンの蒼い空」はその市民講座のテキストとして使われた。何しろ本が売れなければ登山隊の収益にも影響するから、大量にはける市民講座は格好の販売促進ターゲットなのである。各地で開かれた学術研究&登山報告会の出席人数を見ると、関東より関西の方がやはり絶大な人気があるようだ。
ネパール研究の大御所薬師義美さんやら、あちこちの登山隊に医者としてくっついていった大物住吉仙也先生もいる。住吉先生は、阪神タイガースのスポーツドクターでもあった。西ネパールの地形を調査している最中に、ツルのヒマラヤ越えを何十年かぶりに見て、感激していた。そのとき、「長生きしているといいこともあるもんじゃのう、木本」と言って、狭い谷のはるか上空を飛んでいくツルを眺めていた。ツルは万年。もっともっと長生きしてください。無断越境したチベットの原野を馬に乗って進む住吉先生のあとを徒歩でついていく僕たちの図は、その光景を俯瞰すると、住吉先生がまるで三蔵法師のように思え、なぜかおかしかった。だけど三蔵法師はもっと若いはずだ。
北アメリカ大陸縦断登山を計画した吉永定雄さん。西チベットの山に造詣が深いし、スネルグローブの「チベット巡礼」を翻訳している。しかも山と名のつくものならどんな本でも読んでいる。中には山という名がついているだけで直接山には関わりのないものもあった。山の蔵書の数は計り知れない。自宅は蔵書の山に埋もれている。そのわりにどこに何があって、何て書いてあるかちゃんと覚えている。北アメリカ大陸縦断登山のときの最年少若手隊員だったのが大西保さん。二人はニック・クリンチやウォレン・ハーディングとヨセミテで邂逅し、彼らとも親しい。この二人、日本人初のヨセミテ潜入者なのである。だから、山を登ってもルートが同だったかということしか聞かない。何せ最初から歩いて登る山より攀じ登る山に興味を持っていたのだ。長じてパチュムハムとギャンゾンカンの西チベット二座の隊長を務めた大西さんも蔵書の数がすごい。うーん、歴史的な人物ばかりだな。西チベットや西ネパールなどの辺境の山に登りに行っている和田豊司さん。辺境にはまるとメジャーなところにはいまいち興味がわかないのかもしれない。名古屋に行ったときは泊めてください。
カメラマン・ディレクターの大谷映芳さんとはK2登頂後以来の再会ということはないだろうな。ギアナ高地のロライマやパタゴニア、グリーンランドなど辺境の地で撮影を続けている。朝日新聞のカメラマン山田新さんは河口慧海に興味を持って昨年大谷さんと西ネパールに入った。大谷さんはかつて根深誠さんとマリユム・ラにも行っているが、今は河口慧海が越境した峠はクン・ラに間違いないだろうと言っている。もちろんクン・ラに入り映像を撮ってきた。山田さんの写真も目新しいものだった。写真家の感性なんだろうな、上空から撮ったいい写真もあった。
2006年新年会でのスナップ写真 於 坂口楼
さまざまな人が唱えた河口慧海の越境峠説を丁寧にまとめた静岡山岳会の桑畑茂さんとは初めて会った。これからもよろしくお願いします。遠征登山のたびに、かげながらお世話になっている生玉道雄さんにも初めて会った。こんなところで失礼とは思いますが、カツオがうまい時期に一度訪ねたいと思っています。四国の山はまだ登ったことがないし……。フランスの超一流クライマーが感激するくらいだからきっといいところに、いい雰囲気のお寺があるんだろうなと思う。
ディレクターの白井久夫さんは昨年のチベット旅行で根深誠さんと一悶着あったらしいが、それなりに西チベットを楽しんできたのかもしれない。最年少の佐野剛士さんは西チベット旅行中に大西さんらの一行と出会い、拾われ、河口慧海研究プロジェクトにどっぷりはまってる。もう逃げられないだろう。竹田寛次さん、チョゴリザの初登頂者平井一正さん、西川元夫さん、仲原英哉さん、それに翌日高野山の宿坊に泊まる計画でお世話になるはずだった藤本慶光さん、挿絵を描いた橋尾歌子さん。
それぞれの人の詳しいプロフィールはいまひとつわからないのだけれど、河口慧海という人間に関心を持ち、その功績を研究している面々が初めて一堂に会し、顔を合わせる機会だった。だから何としても新年会には行かなあかんと思った。ちなみに、ここに集った河口慧海研究プロジェクトに所属する面々は、皆クン・ラ越境説だった。
この新年会を催すにあたりまとめ役を務めたのが大西さん。ネパール研究の本当の第一人者だ。小さいころから山で遊んでいたせいか、僕は知らない場所を歩くのが本当に好きで、楽しい。大西さんがネパールにどっぷりはまっているおかげで、僕たちはまず手に入れることが不可能な地図まで手に入れて河口慧海の足跡を研究することができた。より精確な地図を使って歩くのは楽しいが、西ネパールの裏側にこれほど広大な草原があるとは思わなかった。峠を越えて初めてこの大草原と出くわしたときは感動した。チベットノロバが群れで走っているのを見たときはまるでアフリカの草原にいるような錯覚を覚えた。登山を支えたさまざまな地図が、山はもちろん河口慧海の行動の解明にどんなに役立ったことか思い起こすと、大西さんの功績は計り知れない。大西さんは、春先に今西さんの奥さんやらとかで観桜会というのを催しているらしい。関西の面々は遊びも仕事も研究もみな一生懸命やっている。
藤本さんは先に帰ったのでこの写真に写っているのは全員ではありません。皆様お疲れ様でした。二次会は大西邸で開催。二次会には大西さんとネパール・チベット国境を縦横無尽に駆け回る柳原武彦さんも参加。本当は、タケは、実はチョーオユー(82021m)の写真を取りにきたのだけれど、僕はそんなことはすっかり忘れ、写真は持参していなかったのだった。チョーオユー山頂で皆の名前を書いた旗を立てて写真を撮ったのだが、風が強いせいで、たった一コマの撮影のために一時間半も費やした。無酸素登山だったから早く下山したかったのに……。このとき頂上で撮った労作の写真をタケに渡す渡すといいながら、未だに渡していなかったのである。7000メートルから登った無酸素登山だからそんなに長く頂上には留まれないのだけど、たった一枚の写真を撮るために一時間半も頂上にいたなんてばか丸出しである。おまけに一丸レフカメラ本体二台と交換レンズを三本も持っていった。もう返ろうと思っていたところが、BCからの連絡で大西さんがもう少し頑張れなどと変なことを言うものだから長居をすることになったのだ。もちろん撮った写真は一枚ではないけれど寒かった。登頂したのはもう何年前のことになるだろう。タケごめん。
何かと世話になっている中村さんと中村さんの奥さんも二次会に参加。大西さんとこのチベット犬LIMIと蕭紅燕さんとこのチベット犬も参加。二世誕生をもくろんでいるがどうか。力強いLIMIの散歩で引きずり回されているらしい大西さんの奥さんにもいつもお世話になっています。来年もまたみんなで会えるといい。そうそう、新年会だけど、もちろん乾杯する前に長々と河口慧海に関する研究報告を聞いたり、最近の西ネパールの映像やらを見てたくさん勉強しましたで。それに僕の文章を褒めていただいたのも嬉しかった。長い文章なのにそれこそ一気に読める文章だなと自分でも感心していたのだから。
河口慧海研究プロジェクト
川喜田二郎(代表)、高山龍三(座長=講談社学術文庫チベット旅行記校注者)、生玉道雄、大谷映芳、大西保、奥山直司(評伝河口慧海著者、講談社学術文庫河口慧海日記ヒマラヤ・チベットの旅編者)、河原英俊、木本哲、桑畑茂(河口慧海越境峠説一覧作成者)、佐野剛士、清水正弘、蕭紅燕、白井久夫、住吉仙也、竹田寛治、西川元夫、根深誠、橋尾歌子、平井一正、藤本慶光、薬師義美、山田新、吉永定雄、和田豊司
OFFICIAL WEBSITE OF ALPINE CLIMBER SATOSHI KIMOTO
Explorer Spirit 木本哲
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