この作品の目次
■はじめに 1_診療依頼 2_初めての凍傷例 3_凍傷患者騒動記 4_剱沢SOS 5_切断
6_忘れえぬ患者 加藤保男/吉野 寛/中島俊弥/木本 哲/大場満郎/山野井泰史、妙子夫婦
7_凍傷の病態 8_山に想う ■あとがき ■参考文献
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感謝されない医者
ある凍傷Dr.のモノローグ
ハイビジョン特集「白夜の大岩壁に挑む クライマー山野井夫妻」 <NHKBShi(BS-9チャンネル)>
。二度とくるなと言われて以来、絶対に行かないと意固地になっている趣きもある。けれど、凍傷になって金田正樹先生の元を訪ねていくことだけは二度とすまいというのは常々心がけていることである。それは僕の身に起こることついても言えることであるし、僕が連れて行くクライアントの身に起こることに対しても言えることである。そんな考えを持っているせいか普段でもなかなか素直に金田正樹先生に会いに行くということができない。しかし、『感謝されない医者』を読んで以来、ちょっと先生に会いに行こうかなという思いが浮かんだりもする。それはその中の一章を形作っている「記憶に残る患者」のうち、一人を除いては皆知っている人だからかも知れない。でも、正直なところは禿博信と同様、僕も六本木に行きたいな、という邪な考えがその大きな理由である
六本木に連れて行ってもらった禿博信とは出身地が熊本と大分で近かく、僕が生まれ育った町にちょくちょくトレーニングがてら出かけていたという話を本人の口から聞いて以来、彼を近しく感じ、エベレスト登山中によく話をしたものだった。『感謝されない医者』を読んでいたらそんなときのことまで思い出してしまったが、それと同時に一人の人間を介してさまざまな人と人がつながっていることも思い知らされたしだいである。
凍傷という高所登山や冬季登山につきものの病で皆とつながっていてもしょうがない気がするが、もし金田正樹という医者がいなかったらこれらの人々の受傷後の人生はもちろん、800人を越える患者の受傷後の人生もだいぶ変わったものになっていたことだろうなと思うとちょっと不思議な気持ちになる。
この作品の目次
■はじめに 1_診療依頼 2_初めての凍傷例 3_凍傷患者騒動記 4_剱沢SOS 5_切断
6_忘れえぬ患者 加藤保男/吉野 寛/中島俊弥/木本 哲/大場満郎/山野井泰史、妙子夫婦
7_凍傷の病態 8_山に想う ■あとがき ■参考文献
金田正樹先生が凍傷と関わることになったのは、整形外科医ということが大いに関係しているのだろうが、何より金田正樹先生自身が、山が好きで、しょっちゅう山に出かけていたことが大きいことは間違いない。そんなことから身の程知らずの凍傷患者の診察を一手に引き受けることになってしまったのだろうが、山に出かけて凍傷になるこんな愚かな山ヤに対して憤りを感じながらも、彼らのその後の人生はもちろん、その後の山の人生のことまでも考えて治療に専念している医者はほかにはいないだろう。そんな思いは、僕の遠い記憶の中に、どうせまた山に行くんだろう、という先生の質問とも愚痴とも受け取れる言葉とともに鮮やかに残っている。表題の『感謝されない医者』どころか誰からも感謝されてやまない医者の凍傷にかける思いのたけを綴った本である。
自己紹介(木本哲登山および登攀歴)……山学同志会在籍一年目に培った技術を基礎として実行した初登攀〜第3登を中心にまとめた普段山ヤは山で凍傷になるなんて考えもしないだろうし、自分が凍傷になるわけはないと思っている人が案外多い気がする。でも凍傷は人々が考えているほど遠い存在ではなく、比較的簡単になってしまうものである。凍傷になりたくないと思ったらさまざまなことに気を使わねばならないが、まずはこの本を買って、しっかり読んで、凍傷について知見を広めるのが先決だろう。この本についてさまざまなことを書くより、この本とともに贈られてきた僕宛の一枚のメッセージの一部を皆さんに紹介しようと思う。その方が僕の言葉よりよほど効果があるだろう。金田正樹先生の了解は得ていないけど、正しい知識を広めて凍傷患者を減らすことが目的だから許してもらえるだろう。ここにその一部を公開し、自分の戒めにもしよう。
可能であれば木本さんのHPですこし紹介ください。
登山者に凍傷の正しい知識を知ってもらいたいので。今年は暖冬なのにもう18名の患者が来ました。うんざりです。
来週あたりから3名ほど手術をしなければなりません。嫌になります。
35年間医者をやっていますが、もうあきたし、凍傷と縁を切りたいですね。どんな仕事であろうと、仕事が忙しいのは喜ばしいことだが、医者の仕事が忙しいのは、特に凍傷の権威といわれる医者の仕事が忙しいのはあまり喜ばしいことではないというのは明らかなようである。僕たち登山者はこのような医者の言うにまかせず、このような医者の仕事を干してやるぐらいの気構えで山に挑まねばならないだろう。そうするためにはまずは正しい凍傷の知識を身につけることが必要である。一人でも多くの登山者が凍傷治療の第一人者が書いたこの本を購入して凍傷に気を配ってくれたら僕としても嬉しい。嫌な手術を施さなければならない金田正樹先生ばかリではなく、凍傷で両足の指を失った僕自身も実際に体の一部を失うことの不都合さを山に行くたび何度も味わわされているから本当に誰にも凍傷にはなって欲しくはないと思うことしきりである。
指を切って20年が過ぎたが、これまで指を切ってよかったと思ったことなど一度もない。それどころか、出てくるのは不都合ばかりである。おまけに加齢とともに故障がちな体になっていくことの恐怖は人知れず大きい。凍傷は自分自身が注意深く行動するだけでもずいぶん防げる病であるが、登山者一人ひとりに正しい知識があればかなり危険な状況でも切らずに済ませることができる。切ったあとで後悔しても遅いので、山に登る、特に冬山や海外の高峰に登るつもりなら手足の指がまだ無事なうちから凍傷について十分研究し、万が一凍傷になったときのことも考えておいた方がいい。
感謝されない医者 ある凍傷Dr.のモノローグ
金田正樹著 山と渓谷社 2007年3月1日初版 1600円著者:金田正樹(かねだ・まさき)
1946年、秋田県生まれ。1971年、岩手医科大学卒業。整形外科医として、秋田大学整形外科、関東逓信病院、聖マリアンナ医科大学東横病院を経て、現在、向島リハビリクリニックセンター長。登山は高校時代からはじめ、1969年、西部ヒンズークシュ無名峰初登頂、1970年、中部ヒンズークシュ無名峰初登頂などの記録を持ち、1973年、第2次RCCエベレスト登山隊にドクターとして参加。海外の災害救援も、1985年のメキシコ地震、1990年のアフガン紛争、1991年の湾岸戦争、1996年のバングラデシュ竜巻災害、2002年イラク戦争などの医療支援に当たる。NPO災害人道医療支援会理事。※第2次RCCエベレスト登山隊時のドクター、住吉仙也Dr.、坂野俊孝Dr.、金田正樹Dr.、彼ら3人のドクターは皆登山の一時代を築き上げたときに第一線で活躍していた登山隊付きのドクターです。僕はこの3人皆にお世話になった。皆それぞれ本を書いて欲しいなと思う。チョゴリで亡くなった坂野俊孝Dr.には重厚な遺稿集があります。
■金田ドクターはこんな本も著しています
災害ドクター、世界を行く! 国境を越えた緊急医療援助17年間の奮闘記
金田正樹著 東京新聞出版局 \1,575(税込)
【著者情報】
金田正樹(カネダマサキ)
1946年、秋田県生まれ。1971年、岩手医科大学卒業。整形外科医として、秋田大学整形外科、関東逓信病院、聖マリアンナ医科大東横病院整形外科を経て、現在は向島リハビリクリニックセンター長。1983年、国際緊急援助隊の第一号医師となり、1985年のメキシコ地震を皮切りに、90年のアフガン紛争、91年の湾岸戦争、96年のバングラデシュ竜巻災害、02年イラク戦争などの医療支援に当たる。NPO災害人道医療支援会理事。登山は高校時代からはじめ、1969年、西部ヒンズークシュ無名峰初登頂、70年、中部ヒンズークシュ無名峰初登頂などの記録を持ち、73年、第2次RCCエベレスト登山隊にドクターとして参加。
Explorer Spirit 木本哲
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