庚申山・鋸山・皇海山――足尾の盟主の三山駈け 2008.6
あちこちの山から皇海山を見ていたせいか、皇海山という山がどうにも気になってしようがなかった。それが「日本百名山」に選定されていることを知っていたからよけいに興味を持ったのは紛れもない事実だ。だが、近年盛んに登られている群馬県側の不動沢から鋸山と皇海山の鞍部に上がり、皇海山に至るコースには、ガイドという仕事で皇海山の最短コースを登るというのならまだしも、自分個人の希望で登るには興味が湧かない。僕は「日本百名山」という本は好きだが、「日本百名山」のコレクターというわけではないから、ただその山の頂だけを目指して登るというのにあまり興味がないのだ。
もともと皇海山の登路は庚申山から鋸山を経て皇海山に至るというのが本道で、江戸時代から登られていた修験道の登山コースである。だから、尾根道をたどって皇海山に登ってみるなら庚申山から鋸山を経て皇海山に至るコースをたどってみるのがいいに決まっている。庚申山周辺は森がとてもきれいだということを話に聞いて知っていたので、庚申山から皇海山に至るコースによけい興味を持って接することになり、新緑か紅葉の時期にでも一度行ってみようと思っていた。それが過ぎた夏の盛りか秋口なら沢筋を登って皇海山に至る手もあるが、今回は梅雨時であるから尾根道をたどることにした。
庚申山は天平神護2年、すなわち766年勝道上人が開山したといわれているが、江戸期から明治の初めまでは庚申講という庚申山登山ツアーが盛んに行われていたらしい。お山巡りはその人気コースであったのだ。滝沢馬琴もそんなツアー客の一人だったのかもしれない。その滝沢馬琴が著した「南総里見八犬伝」の中の人気者犬飼現八がこの地に参上しているくらいだから、人気のほどが知れるというものだろう。
皇海山に登ったあと、家に帰ってから「日本百名山」の皇海山の項目を読むと、深田久弥は五月の連休の晴れ間を利用して登った、と書いてあった。本に添えられている写真を見ると、それは庚申山の展望台から撮った皇海山の写真であった。日本百名山そのものは、選定の基準として「品格と歴史と個性」に焦点を当てて書かれている文章であるから、皇海山に登るには長い歴史を持つ庚申山から行ってみないことには話にならないことは明白である。
天気は梅雨に入ったばかりでどうなるか分からないが、当日は幸いに梅雨の晴れ間が期待できそうであった。庚申山荘裏手の庚申山お山巡りのコースと分かれて庚申山に立つと、展望は思いのほかすばらしかった。目の前には日光連山と遠くに雪を頂く至仏山が見えた。日本百名山で言えば百名山が四つ、つまり左から皇海山、至仏山、日光白根山、男体山が見えた。深田久弥が登ったと同じ五月晴れのころならそれこそ富士山も見えるのだろう。この庚申山から見る皇海山は確かに威厳があって、登りたいと思える山であった。修験者が庚申山に立ったら、確かに一度は皇海山まで足を延ばさねばならぬ、と思うであろう。鋸山の先にさらに高く聳える山を抜きにしては修行が成り立ちそうにない。実際、皇海山は信仰の山庚申山の奥の院なのである。
庚申山から鋸山までは両山を含めて11の峰があり、それぞれに名前がついている。御岳山は最初の山、地蔵岳は薬師岳手前の小ピークで、薬師岳は一登りするちょっと大きな山、剣ノ山はとんがった岩山という意味だろうがそんな具合に名前がついている。薬師岳から鋸山までが核心部で鎖や梯子やロープが続く。そんな苦労を重ねてついた鋸山から見る皇海山は庚申山から見る皇海山ほど威厳はない。険しい修験の道をたどった感覚がそうさせるのかも知れないが、ここから見る皇海山は柔らかい。ここから眺めていると皇海山はどうでもいいかという気になるから不思議だ。
鋸山から皇海山の鞍部へは急降下で、ここまでがコースの核心だが、鞍部へ降りてしまうとなだらかな山稜になり、皇海山の頂まで樹林が続き、登山道はその中を縫って延びていた。樹林はコメツガやシラビソの寒帯林である。もちろん木々は高く伸び、視界は利かない。そんな林の中をたどって山頂に立つと、山頂は樹林に囲まれてどちらの方角にも視界は開けず、何ということもない普通の藪山の頂である。そんな山頂に立つと、近年開かれた不動沢のコースから皇海山という山だけを登ってきた人に、皇海山がどうして日本百名山に選定されたのかが実感として分かるのだろうか、と老婆心ながらそんな思いが湧きあがる。でもそれと同時に、日本百名山はすでに一人歩きしているのだとも感じた。
僕たちは同じコースをたどって鋸山に登り返すと六林班峠から庚申山荘へ至るコースをたどる。本当は鋸山から庚申山のコースを尾根通しに戻るほうが 早く戻れていいような気がしたのだが、もう一つの道も行ってみたいという気持ちが強く、その道をたどってみた。山腹を大きく迂回して出発点に戻るコースで道は長い。鋸山から六林班峠までは笹が刈られているという情報があったからこそ行ってみたものの、もし道が笹に覆われいたとしたらたいへんなコースである。そんな具合なら鋸山から庚申山へ尾根伝いに戻った方がはるかに早い。そうでなくても六林班峠まで行くならその時間で尾根筋をたどって帰れば、コースの半分ほどが終わってしまうように思われたくらいである。でも、長時間行動に伴う足の疲労度を考えると六林班峠への道をたどった方がいいような気もした。
六林班峠は足尾銅山の用材供給を目的として足尾と群馬県側の砥沢集落とを結ぶ道として開かれたものらしい。砥沢は昭和初期に廃村になって久しく、すでに群馬側の峠道は藪に覆われ、峠からの道は失われている。この道は皇海山を目指した往年の登山者によって踏みつけられ、守られてきた道なのである。ここを訪れる登山者は不動沢からの登山道の開通によってさらに少なくなったのだろうが、その分静寂を保ち、途中に現れる森林の保護につながっていることも確かだろう。ここの林は若葉が吹き出したばかりで本当にきれいであった。時期がもう少し早ければヤシオツツジ、それもシロヤシオが花盛りだったんだろうな、と思う。ここのシロヤシオは皆みごとな大木だ。
ツツジに限らず他の木々も木肌や新緑が美しい。なだらかな斜面にある樹林は下草の笹原の美しさと相俟って本当にきれいで、周回コースをたどった価値があったなと思わせるものであった。途中沢筋を何箇所も越えるが、そのいくつかはちょっと悪い。しかしきれいな樹林は心を和ませてくれ、その悪さを減じて余りある。もちろん十分な体力が備わっていればのことだが、庚申山から鋸山を経て皇海山を往復するコースはとても長い。できることなら二泊三日の日程を考えて山そのものを楽しめるような計画を立てた方がいいだろう。庚申山から鋸山の稜線はシャクナゲがとてもきれに咲き誇っていた。
※日本百名山、二百名山、三百名山のガイドをいたします。ご要望は
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僕のビッグ・ウォール・クライミング小史……公開を取りやめています。「目次」を参照してください
しぶとい山ヤになるために=山岳雑誌「岳人」に好評連載中……登山開始から山学同志会在籍一年目までの山行で学んだこと感じたこと
自己紹介(木本哲登山および登攀歴)……山学同志会在籍一年目に培った技術を基礎として実行した初登攀〜第3登を中心にまとめた
Satoshi Kimoto's World(木本哲の登攀と登山の世界)……海外の山もさまざまなところへ登りに出かけました