(障害前)
1965年 生まれ。1969年から千葉市 、現在奥多摩町在住。
1980年 日本登攀クラブに入会。
1984年〜85年 ヨセミテなどでクライミング
1986年 ヨセミテ、コズミックデブリ(5.13a)
1987年 ヨセミテ、スフィンクス・クラック(5.13b)、ラーキングフィアー単独第3登
アルプスドリュ西壁フレンチダイレクト単独初登攀
1988年 バフィン島トール西壁単独初登攀
1990年 フィッツロイ(3441m)冬季単独初登攀
1991年 ブロードピーク登頂
1992年 アマダブラム(6812m)西壁冬季単独初登攀。奥多摩町で暮らし始める。
1993年 ガッシャブルムW東壁単独敗退、ガッシャブルムU登頂
1994年 チョーオユー南西壁単独初登攀(新ルート開拓)
1995年 レディースフィンガー南西壁初登攀(夫妻ら・新ルート開拓5.10/A5)
1996年 マカルー西壁単独敗退
1997年 ワンドイ東壁登攀、ガウリシャンカール北壁単独敗退
1998年 クスムカングル(6367m)東壁単独初登攀、マナスル北西壁(夫妻・敗退)
1999年 アルパマヨ南西壁、アルテンソンフラ南壁、パンユラフ東壁登攀、パキスタン無名岩峰(5900m)登頂
2000年 K2南東リブ無酸素単独初登攀(アルパインスタイル)
2001年 ラトックT峰北壁敗退、ビャヒラヒタワー南稜初登攀(夫妻ら・新ルート開拓)
2002年 ギャチュンカン北壁登攀(夫妻・単独登頂。二人とも凍傷を負う)
(障害後)
2004年 ポタラ北壁敗退
2005年 ポタラ北壁単独初登攀
2006年 パリラプチャ北壁敗退
受賞
1994年 オペル冒険大賞
2000年 文科省スポーツ功労賞
2002年 朝日スポーツ賞、植村直己冒険賞
*
山野井妙子プロフィール
(障害前)
1956年 滋賀県生まれ
1980年 アルプス
年 ブレチエール西壁冬季登攀
年 グランドジョラス北壁ウォーカー稜冬季登攀
1991年 ブロードピーク登頂、
マカルー登頂後凍傷を負い、手と足の指や鼻先を失う
(障害後)
1992年 奥多摩町で暮らし始める。
1993年 ガッシャブルムU登頂
1994年 チョーオユー南西壁登攀
1995年 レディースフィンガー南西壁初登攀(夫妻ら・新ルート開拓5.10/A5)
1996年 マカルー西壁
1997年 ワンドイ東壁登攀、ガウリシャンカール北壁
1998年 クスムカングル(6367m)東壁、マナスル北西壁(夫妻・敗退)
1999年 アルパマヨ南西壁、アルテンソンフラ南壁、パンユラフ東壁登攀、パキスタン無名岩峰(5900m)登頂
2000年 K2
2001年 ラトックT峰、ビャヒラヒタワー南稜初登攀(夫妻ら・新ルート開拓)
2002年 ギャチュンカン北壁登攀(夫妻で挑戦・山野井泰史の単独登頂、妙子の指はさらに短くなる)
2004年 ポタラ北壁
2005年 ポタラ北壁
2006年 パリラプチャ北壁
受賞
2002年 朝日スポーツ賞、植村直己冒険賞
※ 内容は調べるのが面倒でちょっくらいい加減です。
今回の登攀について
グリーンランドの未踏峰のも登攀を報告の対象となった山野井泰史講演会の内容を伝えるHPをいくつか垣間見ると、目標はミルネ島最高峰の岩壁で、キャンプはベースと上部キャンプの二箇所に設営。水は約百リットル荷上げ。ボルトは前進用にも使用。岩が非常に硬く、ボルト一本打つのにキリを三本使用したところもある。上部キャンプに荷揚げしてからはワンプッシュで登頂。メインのクラックは一箇所しかなく、クラックがなければ登れなかった。山頂に着いたときにも余力があった、ということらしい。基本的に全部回収してきたが、ボルトは残してきた。クライミングのスタイルは三流だったと二度三度繰り返し話していたそうだ。スタイルは三流という言葉については、大所帯・人工あり・残置ありということが原因になっているようだ。
こんな文章を読んでいたら前進用に使ったと言うボルトと残置ありとう文言が気になった。前進用に使ったというボルトはどこに打ったのだろう。確保用に打ったところはわかるが、前進用に使ったところはわからない。僕自身残置は極力避ける方だが、何百メートルも続く垂直の岩壁で山野井泰史はどんな下降をするのだろうという疑問が湧いた。その方法は今回の登攀では見ることができなかったどころか、その言葉そのものに疑問が湧くものだった。登攀器具を残置せずに垂直の岩壁を安全に下るいい方法があれば、僕は真実知りたいものだと思う。そんないい下降方法があればグレート・トランゴのノルウェイ・ピラーを登った二人が下降中に死ぬことはなかったろう。彼らは、岩角やクラックに差し込んだナッツやカム、あるいはリスに打ち込んだピトンや数少ないボルトで作った下降支点が崩壊して墜死したに違いないのだから。
未来について
彼らはこの翌年も、つまり今年も登山や登攀にでかけ、7010メートルのハンテングリで雪山を登り、アクスウで岩を攀じた。山を目指していつも前向きだ。帰国後、トレーニング中にクマに教われて大きなケガをしたけど、また復活して高みを目指すことだろう。そんなひたむきで前向きな姿勢はとてもいい。
参考文献
山野井泰史著垂直の記憶 沢木耕太郎著凍 丸山直樹著ソロ――単独登攀者・山野井泰史自己紹介(木本哲登山および登攀歴)
木本哲プロフィール(「白夜の大岩壁・オルカ初登頂」のページから)
僕のビッグ・ウォール・クライミング小史
Satoshi Kimoto's World(木本哲の登攀と登山の世界)
しぶとい山ヤになるために=山岳雑誌「岳人」に好評連載中