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ハイビジョン特集「白夜の大岩壁に挑む クライマー山野井夫妻」 <NHKBShi(BS-9チャンネル)>
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NHKBShi(BS−9)のハイビジョン特集で放送された『白夜の大岩壁に挑む〜クライマー山野井夫妻〜(109分)』をようやく見ることができた。
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僕の場合、この岩壁を登ること、この山の頂に立つこと、それだけが目的というわけではない。撮影に加担している以上、撮影が安全に行われること、撮影チームができるだけ安全に岩場を登り下りできるように固定ロープを設置すること、撮影する映像が大自然の雄大さを損なうことなく表現できるような理想的な登攀ルートをたどること、そして僕自身が一カットでも多く放送で使える映像を撮ってくること――。これらすべてが重要なことであった。だから山野井泰史が当初考えていた頂上稜線右奥の、正面からは登っている姿が見えなくなる裏のルンゼをたどるルートを採用せず、登攀が正面に見える岩壁から逃げだす印象を与えずにすんだことは幸いであった。大自然の中で人間の存在感を表現しやすいルートをたどることができたこと、撮影が事故もなく無事終わったことはもちろん、自分が撮ってきた映像が番組で使われていることがわかって、まずはほっとした。
この番組を見終わって最初に思い浮かんだのは、この作品は山野井泰史というより、彼の奥さんである妙子の方がなかなかいい味を出していたな、ということであった。そういう点から言えば、この企画を計画し始めた当初の思惑通りに事が運んだ、と言えるのだろう。登攀という激しい行動し、極北という寒々とした環境を相手に闘っているだけに、妙子の振る舞いが起こすやわらかい感じと淡々と登っていながらもアルパインクライマーに必要な不屈の闘志が滲みでていてなかなかいい感じがする。
僕は山野井泰史の「妙子、妙子」と連呼する声が耳についていて離れなかったのでそれが若干気になっていたのだが、それを逆手に考えれば、泰史の妙子に対する信頼と絆が現わされていていい感じに表現できているな、と思えた。何よりそれが妙子さんの包容力の大きさを表しているように思える。
頂上アタック時、稜線を登攀途中に山野井夫妻の行動を阻む垂壁が出てき、そこでいったん登攀を諦めたせいか、頂上での表情やインタビュー、下山後のBCでのインタビューには「本当に登れてよかった」という気持ちが現れていて清々しさを与えていたように思う。妙子さんの「登れるとは思わなかった」という言葉は、途中で諦めただけに素直に本心が現れた言葉だろうが、その言葉が登攀にマッチしてすごく生きている気がする。二人とも頂上に登れて本当に嬉しそうに見えたのが印象的であった。
それに比べれば自分はあまりに冷めた顔つきだったな、と思う。僕としては登頂の感激に見合う登攀の苦しみを楽しみたかったのだが、残念ながらというべきか、あるいは予想通りというべきなのか、この岩壁の登攀にはそこまで逼迫した苦労を味わわせてくれるような困難はなかったのである。天気さえ持ちこたえてくれれば、このルートなら頂上に登れないということはまずないだろうと踏んでいたとおり、登攀はさしたる困難もなく、無事頂上に至ることができた。これまでの登攀と比べれば、僕にとってこの山はもっともやさしい部類の岩山であった。だから、カメラマンの移動についても大胆な方策が採れた。だけどそうした方法を採ったがためにいくつか大きなリスクを目の当たりにした。本人がそうすることの危険性をわかってはいないからこそそうした行動をすることができるのだが、僕のようにそうすることの危険の大きさを知っていたらとてもできるものではないだろう。幸いに何事も起こらず無事にことが運んだからいいようなものの、安全を考えるというのはつくづく難しいものだな、と思わされた。
岩山は内海の中の本島に近い側の島にあったが、比較的内陸にあたる位置にあったせいか天気は崩れそうに見えても大きく崩れることはなく、天気が崩れたのがたった一度だけだったのも儲けものであった。『極北の大岩壁』の撮影時より二ヶ月以上遅い時期の登攀だったので、『極北の大岩壁』の時のように日が射さないうちは岩が冷たすぎてホールドをつかめないということもなく、クラックの中が冷蔵庫の中のように冷たかったということもなかった。日陰でも岩が十分に暖かかったというのは凍傷の古傷をかかえるクライマーに味方したことは言うまでもない。また、『極北の大岩壁』の登攀時のように岩の取付がフィヨルド内の海が結氷した海面に浮く氷の上ではなく、陸地の氷河の上だったので、氷が解ける前に帰らなければならないという時間的な制約もなかった。今回はできれば頂上に立って欲しいという局側の要望があったので、何かあってもできるだけ頂上に登らなければならないと思っていたのだが、たいした困難もなくことが進んだ。そういう点から言えばやはり岩壁の傾斜の違いというのは大きい。でも、それらの違いを考慮すると、バフィンの登攀に比べ、今回のグリーンランドの登攀は、条件がよかったにも関わらず、登るのにずいぶん時間がかかったものだな、と思う。
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登攀時の最大の危機は頂上稜線上の垂壁で訪れた。立ちはだかる正面の垂壁には割れ目がなく、切り立った稜線だけに左右から容易に巻いて登るというわけにも行かない垂壁で山野井夫妻が登攀の続行を諦めたときのことだった。それでも僕にはまったく登れそうにない壁には見えなかったので余裕はあったのだが、僕は僕がここを登るべきかどうか迷ってしまった。この一瞬こそこの登攀の中でいちばん面白い瞬間であったのかもしれない。
僕は切り立ったフェースを前にして登攀を諦める理由がよくわからなかった。こんな小さな垂壁が出てきたくらいでどうして登攀を諦めてしまうのだろう。こうした垂壁があることは、偵察時の写真や入山時の写真で予想できていたことだから別に慌てる必要はない。正面にクラックがなければフェースを登ればすむことだ、と遠くから二人の様子を見ながら思っていたのだが、まさか彼らがここから下山する話を始めるとは思ってもみなかった。でも現場の様子を見て、当初彼らが計画していた頂上稜線の裏のルンゼの登攀から頂上稜線の登攀に変えたので戸惑ったのかもしれない。
正面に聳えるフェースは、カンテの右を登れば少なくとも5.11bくらいはありそうに見えるが、カンテの左なら間違いなく5.11a以下だろう。登ってみなければ何とも言えないことだが、実際のところは5.10bから5.10dくらいが妥当な線ではないだろうか。僕はそんなふうにグレードを値踏みしていた。だから5.12を登れると言っている山野井泰史がどうしてこんなところで諦めてしまうのか僕にはまったく理解できなかったのである。クラックがなければフェースをグラウンドアップで開拓していけばいいことであるし、必要なら手前にしっかりした支点を作り、思い切ってランナウトして登って行けばいいことである――。さして難しそうには見えない垂壁で登攀の続行を諦める、すなわちこの山の頂に行くことを諦めるのはよしてくれよと、ちょっと憤慨した気持ちが生じたのは事実である。こんなことを書いている自分を見ると、岩を登り続けているとだんだん過激になってく、自分とは違うもう一人の自分がいることに気づかされる。
でも彼らが頂上稜線上の垂壁で登攀続行を諦めたとき、そこからさらに登るべきか、あるいはここから降りるべきか、僕は瞬間本当に迷ってしまったのである。果たしてここで登攀を止めたらどうなるだろう。バフィンのときは頂上に登れなかったから今回はぜひ頂上に登って欲しいと局側から言われていたのは確かなことであるが、彼らの意向に反して登ってもいいものなのか――。僕が彼らに代わってここを登って、果たしてそれがドキュメンタリーになるのか――。そんな疑問とともに、実際に彼らはここで自分たちの力で登るのを諦めてここから引き返そうという会話を交わしていたのだから、僕はそうしてもいいのではないかと思っていたのである。それが今現在彼らが抱えている技術力であり精神力でもあるのだから、この先のピッチをわざわざ僕が彼らに代わって登る必要などはなく、その結果登攀が失敗に終わったとしてもそれはそれでいいのではないか――。僕はそんなふうに思っていたし、考えていたのである。
このとき、下では「木本に代われ、木本に代われ」と呪文のように唱えていたそうだが、僕はこの場所で登攀を止めてもいい、それどころか逆にここで止めるべきではないのか、と思い悩んでいたのだからおかしくなる。でも5.12を登れるまでに回復したと伝えていた山野井通信の記事と実際の行動との乖離に驚き、あまりに不甲斐ない行動に憤りを感じ、僕はその垂壁を登ることにした。撮影のためのガイドという立場ならあえてそこを登る必要は感じない。だが、この壁に三人で挑んでいる登攀パーティーのうちの一人のクライマーという立場なら、ここで、こんなところで諦めるわけにはいかないのだ。この問題の解決を難しくさせているのは、実は僕の立場である。もし僕が撮影のためのガイドという立場なら話は簡単で、僕はここを登らずにさっさと引き返してしまえばいいことなのである。クライマーとガイドという二足のわらじを履いているからこそ話がややこしくなり、悩んでしまわなければならなくなるのだ。
そんな複雑な気持ちもあって、頂上の僕は冷めていたのかもしれない。でも、実際にこの地点から引き返していたとしたらどんな番組になっていただろう――。僕はたびたびそんな思いを巡らせることがある。僕は、たとえこの場所で登攀を止めていたとしてもそれはそれでいい番組が作れていたような気がするのである。「登ってもらってよかったですよ」というのが僕の逡巡に対するPDの意見だが、僕は僕がそこを登ることに後ろめたさも感じていたのだ。結果的には頂上に登ってしまったので、今となってはそうした場合にどんな番組ができていたのかわからないままだが、それまでに撮影した映像や音声は十分過ぎるほどあったのだから番組はできるのでまったく問題はないし、僕がしゃしゃり出て登らなかった方がはるかに人間味がある映像が作れてよかったのではなかったのだろうか、と思うのだ。
さて、僕たちは登攀に成功し、頂上には無事登ったものの、まだBCまでの長躯の下降を残している。番組は大円団を組んでここで終わりというところだろうが、実は登攀はこれからが佳境なのである。これまで登頂に成功はしたものの、下降で失敗して亡くなった人がどれほどいることか。カメラマンを安全に下山させること――。僕にはそれがいちばん大切なことであったから登攀の成功を心から喜んではいられない。いずれにしても、もろもろの事情が登頂の感激の余韻に浸ることを許さなかったのである。
自己紹介(木本哲登山および登攀歴)
木本哲プロフィール(「白夜の大岩壁・オルカ初登頂」のページから)
僕のビッグ・ウォール・クライミング小史
Satoshi Kimoto's World(木本哲の登攀と登山の世界)
しぶとい山ヤになるために=山岳雑誌「岳人」に好評連載中このテーマの一般公開は終了しています。現在は下記青太字ページのみ公開しています。関連本はNHK出版から1月31日発売予定。
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