推理作家になる法   ミステリー雑学百科5

推理作家にどうしたらなれるのか?推理作家になる法は?とよく聞かれる。
 その答えは、まずミステリーを内外合わせて最低500冊以上読んでから、新しい趣向を凝らしたミステリーを書いて懸賞に応募することである。
 優れたミステリーを書くのには、まず、いいミステリーを読むことが必要。というのも、ミステリーはジャンルによって、トリックや設定に新しさが求められるからで、知らないで前の作家のものを取り入れたりすると、盗作といわれかねないからだ。
 その上で、自分なりのミステリーを書いて、懸賞に応募して見るわけである。
 これは実は、私が以前、現在ミステリーの第一線で活躍している作家がどういう形で世に出たかを調べた結果に基づいている。
 これによると、まず、現役の推理作家の中で圧倒的に多いのが、江戸川乱歩賞その他、出版社や雑誌の懸賞募集に応募して入選または次席になった人である。
 一例を挙げると、ユーモア・ミステリーで絶大な人気を博している赤川次郎はオール読物推理小説新人賞、トラベル・ミステリーの旗手西村京太郎は乱歩賞をそれぞれ受賞。亡くなった笹沢左保や山村美紗、まだ現役で活躍している夏樹静子などは乱歩賞で次席になったことがデビューのきっかけになっている。目下、一昔前バイオレンス小説で鳴らした西村寿行も、オール読物新人賞の佳作から出発した人である。
 第二に、純文学など他の分野で活躍していた人が推理作家として転身して成功した例。 坂口安吾や福永武彦や大岡昇平が余技として推理小説に手を染めたのはよく知られているが、松本清張は「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞したあと推理小説を書き始め、「点と線」などで爆発的人気を集めた。
 ハードボイルド派の北方謙三などもそういう成功例の一つといえるだろう。
 時代小説など推理以外の分野で直木賞を受賞した作家がミステリーに転身して人気作家になった例もある。亡くなった有馬頼義、新田次郎、藤原審爾などのほか文壇最長老の南条範夫 などがいる。
 また、風変わりな例では、演劇評論家として有名な戸板康二の推理作家への変身がある。 第三に、推理専門誌の編集者が攻守所を変えて作家に転向する例がある。戦前には例が多いが、戦後もエラリー・クイーンズ・マガジンの編集長だった都筑道夫、生島治郎が推理作家になり、常磐新平も作家になった。ヒッチコック・マガジンの編集長だった小林信彦と合わせると、編集者出身作家四羽ガラスといえそうだ。
 第四に、戦前江戸川乱歩が試みたように高名な評論家や編集長に直接原稿を送付して、認められるというやり方がある。これは今でも絶無ではないが、確率的には低い。
 戦後では、易者に見てもらったら小説の執筆を勧められて、「刺青殺人事件」を執筆、さらに浅草観音のおみくじを引いたら、良匠に見てもらえとあったので、江戸川乱歩に原稿を送って認められた高木彬光の例があるくらいだが、最近の新本格派の新人の中には、編集者に送った原稿が目にとまり、こういう形でデビューをする人もいるようだ。
 というわけで、これまでのデータから、推理作家になる早道は、いい作品を懸賞に応募することにつきるのである。


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