題材で目立つ毒殺もの  ミステリー雑学百科19
 ミステリーの大半は恐ろしい殺人を題材にしている。その中で目立つのは毒薬によるものではないかと思う。
 凶器による殺人は、それを使う体力の問題もあって男性犯人に多いといわれるが、毒殺犯となると、男女の差はなくなるそうである。
 古畑種基も「法医学ノート」の中で、「毒はごく微量で簡単に相手を殺すことができるので、女性的な犯人に好んで使われた」と指摘している。
 ミステリーではなるべく疑わしい人物を多く作中に配置して犯人当ての興味をそそる工夫が凝らされる。その意味でも、男女いずれもが犯人の可能性を持つような殺人方法のほうがいいわけである。
 しかし、毒殺についての知識がないと妙なことになる。
 海外ミステリーにも、二、三気になる例があった。
 たとえば、T・ペリーの「逃げる殺し屋」には、犯人が被害者にクラーレを飲ませて殺す場面がある。
 しかし、大木孝介の「毒物雑学事典」によると、クラ−レは、もともとブラジルのアマゾン川流域やベネズエラのオリノコ川流域の原住民が、動物を倒すために使う矢毒で、動物は筋肉にこの毒を射ち込まれると呼吸がマヒして死んでしまう。しかし、消化官からはほとんど吸収されないので、クラ−レで倒した動物をすぐ食べても中毒しないという。
 つまり、この作品の殺し屋のやり方では、必ずしも被害者が死ぬとは限らないのである。
 ちょっと違うが、ジャクマール、セネガル共著の「11人目のインディアン」は、役者がドーランの下に塗るベース・クリームに青酸カリを混ぜて置き、知らずに顔にすり込んだ10人が死ぬという設定になっている。しかし、平瀬文子の研究報告によると、青酸中毒で死ぬ場合も、個人差があって、57例の実例の内、死ぬまでの最短時間は3分で、2例あったが、中には最長7時間44分もかかった例もある。クリーム入りの青酸カリを顔に塗りつけるだけで死ぬかどうかも疑問だが、少なくとも、全部の人が短時間で死ぬ確率は低いようである。
 また、青酸ソーダには、空気中に放置しておくと、炭酸ソーダに変質して毒性を失う特性があり、有名な怪僧ラスプーチンを殺そうと、青酸ソーダを入れたワインを飲ませたのに死ななかったというのも、こういう現象のせいではないかとするエッセイを読んだことがある。
 こういう知識を生かした優れた短編が、結城昌治の「喘息療法」である。
 お互いに殺そうとして青酸ソーダを飲ませ合った老夫婦がお互いにどうして無事に生きているのか不思議な目で見詰め合う結末には何ともいえないブラック・ユーモアが漂っていて面白い。
 毒殺に関する知識がないとちゃんとしたミステリーは書けないわけだが、その知識はあくまで紙の上の殺人のためのものであることはいうまでもない。

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