顔のない死体  ミステリー雑学百科28

 松本清張は「推理小説の発想」というエッセイで「死体の処置といえば殺人者の大部分がこの悩みをもっている」といっているが、確かにそうだろう。 
 すぐ犯人が考えつくのは、死体をどこかに捨てたり隠したりすることだが、これが案外難しい。そのままではすぐ身元が割れて犯行が暴露されてしまうからである。
 そこで“顔のない死体“という一連のトリックか生まれた。
 要するに殺した被害者の顔を判別できないようにして置けば、だれが殺されたのかわからないので、警察も捜査のしようがないわけだ。
 この顔のない死体″という言葉を初めて使ったのは、江戸川乱歩で、昭和27年5月に同名のエッセイを発表している。「被害者の顔を見分けられなくするのには、二つの方法がある。一つは、死体の顔を鈍器でつぶすとか、劇薬で焼くかして、見分けられなくする方法。もう一つは、首そのものを死体から切断して隠してしまい、首のない胴体だけを残しておく方法である」と乱歩は書いている。バラバラ死体なども広い意味では、このトリックに当たるだろう。
 しかし、実際には顔のない死体≠フトリックは使うのが難しい。
 人間には顔以外にもどこか特徴があるし、指紋法が発達している現在では、指先が残っていれば指紋から確認ができるからである。
 そこで、この顔のない死体≠フトリックは昔ほど使われなくなったというのが当時の乱歩の意見だった。
 だが、意外なことに顔のない死体≠フトリックは意外にも健在である。
 たとえば、英国の本格派のコリン・デクスターは、「謎まで三マイル」(1983年)で、このトリックを扱っている。
 運河で発見された白人の中年男性の死体は胴体だけ。
 首と手足は切り落とされ行方がわからない。奇妙なことに、胴体の死体は上着とズボンを着ていた。
 有力な手掛かりはただ一つ、ポケットに残された手紙の切れはしだった。
 酒とクロスワードパズルの大好きなモース主任警部は、直ちに捜査を開始するが、ストーリーは二転三転する。
 日本の島田荘司の「寝台特急はやぶさ1/60秒の壁」(1984年)の顔のない死体″のトリックはもっと古典的。
 双眼鏡でよその家をのぞき見しでいた男が豪華マンションの浴室で顔の皮をはがれた若い女の死体を発見するという文字どおりの顔のない死体″である。
 乱歩によれば顔のない死体″のトリックを近代小説で最初に使ったのは、チャールズ・ディケンズの「バーナビイ・ラッジ」(1941年)だという。
 松本清張は「眼の壁」(1957年)で現実の事件をヒントに、死体を濃クロム硫酸の液槽で白骨化してしてしまうトリックを取り入れたが、これが最も新しい形の顔のない死体″のトリックといえそうだ。しかし、DNA鑑定という切り札が出てきたので、顔のない死体のトリックもこれからは次第に下火になるかも知れない。


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