多彩な海外ミステリー作家の前歴  ミステリー雑学百科14

 海外ミステリー作家の前身も日本の作家に劣らず多彩である。
 異色中の異色は競馬推理小説の書き手として知られる英国のディック・フランシス。1957年に引退するまで2305レースに出場、引退後は、エリザベス皇后のお抱え騎士だったこともある。デビュー作の「本命」に始まる数多くの競馬ミステリーの現実感はこういう豊富な体験から生まれているわけだ。
 女性では、「わらの女」で一躍有名になった、悪女ものを得意とするカトリーヌ・アルレーが女優出身。
 かつて米国の有名なストリッパー、ジプシー・ローズ・リーが「バタフライ殺人事件」を書いたと話題になったが、実はこれは同ストリッパーの広報宣伝をしていた、ユーモア・ミステリーで知られるクレイグ・ライスの代作だった。
 こういう広告宣伝関係出身のミステリー作家は意外に多い。
 本格派の巨匠エラリー・クイーンのほか、スパイ・スリラーの名手であるエリック・アンブラーなどがこの世界の出身。
 また、貴族探偵ピーター・ウィムゼー卿(きょう)の生みの親として知られる女流ミステリー作家切っての文学派ドロシー・セイヤーズもコピー・ライターだった。
 かの名探偵ホームズを作り出したコナン・ドイルは医者、“ミステリーの女王”アガサ・クリステーは病院の看護婦を一時やっていたことがあり、名探偵のポワロのモデルはそのころに身近に見たベルギー人の避難民といわれる。
 世界初の推理小説を書いた米国のアラン・ポーは、雑誌の編集者だったが、こういうジャーナリズム関係の出身者はかなり多い。ヴァン・ダインもその一人。有名な雑誌の編集を手がけ、ミステリーを書き出す前は、美術評論家として一家をなしていた。
 評論家出身はブラウン神父もので有名なG・K・チェスタトンも同じ。
 新聞記者出身も多い。怪盗ルパンシリーズの書き手として有名なモーリス・ルブランをはじめ、ジェームス・ボンドもののイアン・フレミング、新本格派といわれるアンドリュウ・ガーヴ、「ジャッカルの日」で世界のベストセラー作家になったフレデリック・フォーサイス、風変わりなスパイ・スリラー「消されかけた男」のブライアン・フリーマントルなど数え切れないほど。
 学生時代あるいはもっと若い時代から書き始めた幸運な例としては、密室もので知られるガストン・ルル−とディクスン・カー、メグレ警視のシムノン、「死の接吻」のアイラ・レヴィン、「幻の女」のウィリアム・アイリッシュなどがいる。
 その他多くの作家がいるが、変わりダネを拾うと、ハードボイルド派のハメットは私立探偵出身。E・Sガードナーは主人公のペリー・メースンと同じく弁護士だったし、夫人刑事オパラを活躍させたドロシイ・ユーナックも同じく女性刑事だった。


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