人を食った話  ミステリー雑学百科27

 1982年6月11日、パリで起こった、32歳の精神異常の日本人がオランダ人の女性留学生ルネ・ハルヴェルトさんを射殺、死体をバラバラにして料理して食べた事件は、世界に衝撃を与えた。唐十郎はこの事件を基に「佐川君からの手紙」を書いて芥川賞を受賞したが、人間が人間を食べるというのは何とも残酷でおぞましい話である。
 桑原隋蔵博士の「支那における食人間の風習」によれば、中国には、その昔、人間を食べる風習があったようである。
 桑原博士は、こういう異常なことが起こる原因として5つを挙げている。
 第1が飢饉(きん)、第2が戦争で籠(ろう)城して糧食が尽きたとき、第3が嗜(し)好品として食べる、第四が憎悪、怨恨の極として、第五が医療のため、である。
 いずれにしても人間が人間を食べるというのは最も恐ろしいタブーに違いない。
 それだけに、ミステリーにもこういう恐ろしい題材を扱った作品がいくつもある。
 たとえば、英国のロード・ダンセイニの「二瓶のソース」(1934年)。
 200ポンドの貯金を持った少女ナンシイ・エルスが5日間バンガローでステイガーという男といっしょに暮らしたあと姿を消した。
 警官は、男が菜食主義者でもないのに野菜しか買わないこと、そのほかソースを二瓶と肉切り包丁を買ったことから不審を抱き、いろいろ捜査するが少女の死体は見つからない。
 この事件を、ソースの販売外交員スミザースと同じ下宿に住んでいるリンリイという紳士が推理するという話である。
 リンリイは食事をしながら、そのソースが「野菜料理には使えないのかね?」と聞く。「全然向かないんです。肉料理にだけ使うものです」とスミザースが答えるとリンリイは深く考え込んでしまう。そして…。
 しかし、こういう題材を扱ったものとしては、何といっても、スタンリー・エリンの「特別料理」(1948)が一番有名である。
 上司のラフラーに連れられてレストランで、絶品ともいうべき特別料理アミルスタンの羊≠食べる機会を得たコステインが、やがて体験する恐怖をさり気ない結末まで鮮やかに描き出した傑作である。
 アイリッシュやローラン・トポールが短編で同じような食人テーマを扱っているほか、トニー・ケンリックが、長編「殺人はリビェラで」(1970年)で、この主題に挑戦している。
 もともと人間が人間を食べるというのは薄気味悪い話だが、どの作品も、結末に、奇妙なブラック・ユーモアが漂っていて、それが一種の救いになっている。
 江戸川乱歩は、こういう「あどけなく、かわいらしく、しかも白銀の持つ冷やかな残酷味」「無邪気な残虐」を漂わせた英米の短編の特徴を奇妙な味≠ニ呼んでいるが、食人テーマを扱った作品にはそういう特徴がよく出ているといえるだろう。


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