プロバビリティの殺人とは?  ミステリー雑学百科12

 「細雪」や「春琴抄」などの名作で知られる文豪の谷崎潤一郎は大の探偵小説好き。読むだけでなく自ら安定小説の創作にも手を染めているが、中でも注目されるのが「途上」(大正9年)という短編だ。この作品の新しさは、江戸川乱歩が“プロパビリティーの犯罪”と名付けた、前例のない独創的なトリックを盛り込んでいる点にある。「途上」の主人公の湯河はサラリーマンで先妻をチブスで亡くしている。この湯河の前に、ある日私立探偵の安藤一郎という男が姿を現し、先妻の筆子の死の真相を暴露するわけだが、変わっているのは湯河の殺人方法。
 普通、殺人犯人は、殺そうとする相手を確実に死なせるためさまざまな手段を取る。
 ところが湯河の採用したのはまったく違っている。
 直接殺人には結びつかないけれども、危険の確率の高い状況にわざと何度も被害者の身をさらさせてついには目的を達成するというきわめて陰険なやり方なのだ。
 妻の筆子は生まれつき心臓が弱かった。そこで湯河は危険を増大させるためぶどう酒を寝る前に飲むようにすすめ、アルコールの味をおぼえさせようとする。
 それに失敗すると、今度は、タバコを吸わせ、喫煙常習者にしてしまう。
 また、カゼをひきやすい体質なので、体をきたえたほうがいいと親切にそういって、冷水浴をさせ、心臓病を悪化させようとする。
 さらに、心臓病に致命的な打撃を与えるような高熱の出るチブスや肺炎にかからせようと、菌のいそうなものを飲み食いさせる。つまり、生水を飲ませたり、刺し身や生カキやところてんを食べさせるといったことを手をかえ品をかえてやるわけである。
 「途上」では、私立探偵の安藤のこの指摘に湯河は真っ青になるが、かりにこれが真実だとしても、裁判では、証拠が乏しいうえ、有効な殺人方法ではないのでまず有罪にはできないはずである。“プロパビリティーの犯罪”のプロパビリティーというのは、いうまでもなく確率のこと。この方法は直接犯人が手を下すのではないので、成功すれば完全犯罪になるわけである。
 江戸川乱歩は、この「途上」に感心して、自分でも、“プロパビリティーの犯罪”を扱った短編「赤い部屋」(大正14年)を書いている。戦後にもいくつかこのトリックを扱った作品があるが、最高傑作は松本清張の「遭難」(昭和33年)だろう。
 山岳ミステリーの秀作とされているこの作品では、鹿島槍で遭難死した銀行マンの死の真相をえぐる形を取っているが、作者は、「山でのパーティーの事故は、それが自然発生的なものか、人為的なものか、区別が容易でない」と指摘している。つまり山はもともとさまざまな危険を秘めているだけにちょっとしたことが死を招きやすく、“プロパビリティーの犯罪”が成立する可能性が大きい。
 それだけに「遭難」には、「途上」や「赤い部屋」以上にリアリティーが感じられるように思う。


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