魅惑的な悪女たち  ミステリー雑学百科23

 ミステリーの中には悪女ものと・いわれるものがある。文字どおり、男を破滅させてしまう強烈な個性を持つ悪女の肖像を描いた作品である。
 ハドリー・チェイスの「イヴ」二九四五年)、ウィリアム・アイリッシュの「暗闇へのワルツ」、アンドリュウ・ガーヴの「ヒルダよ眠れ」(一九五〇年)、ポワロー・ナルスジャックの「悪魔のような女」(一九五二年)、あるいはジェイムズ・ケインの「アドレナリンの匂う女」(一九六五年)などはその一例。
 中でも、悪女の持つ魅力と恐ろしさを甘美に描いた傑作といえるのは、アイリッシュの「暗闇へのワルツ」だろう。
 陽(ひ)は輝かしく、空は青く、時は五月、ニューオリンズはまさに天国であった。
 そして、コーヒー商社を経営するルイス・デュラントは浮き浮きしていた。三十七歳のかれは、新聞広告の通信交際会を通じて知り合った写真の主と結婚することになっていたのだ。
 だが、セントルイスから花嫁を乗せてきたはずの船からは写真の女性は降りなかった。
 ルイスの日に涙があふれてきた。
 と、その時、肩に手が置かれた。
 ルイスが振り返ると、彼がいままで見たこともないほど美しい顔をした若い娘が立っていた。ルイスは信じられない顔で見詰めた。「あたし、ジュリアですのよ」とその若い娘はいった。「あれはあたしの叔母の写真でしたの。わざと、そうしたのです」
 こうして、二人は結婚した。 甘美な新婚生活。だがそれは、果てしない破滅への序曲だった。 ミステリーの中に登場する悪女はみな魅力的である。ものすごい美人ではないとしても、いわゆる男好きのする顔をした女でなければならない。
 「暗闇へのワルツ」のジュリアは小柄で磁器のような美しい肌、幼な子のような清純な目、バラのような口元をした美人だし、ジェイムズ・ケインの「アドレナリンの匂う女」の人妻のサリーはやはり小さな体つきで、イチゴ・クリームを連想させる肌、まっ黒な髪、黒い瞳(ひとみ)の、目を見張らせるようないい女である。男が破滅するのもいとわない魔性の女だ。
 一体、悪女とは何か。
 悪女の最大の条件は、何よりも自分の激しい欲望を抑えられない所にある。物質的には虚栄心が強く、浪費癖がある。肉体的に性欲も強いから淫蕩(いんとう)で、他人のことなどまるで考えない。したがって気まぐれで、人を裏切ることなど何とも思わないし、嘘(うそ)つきが多い。
 しかし、悪女には陽気な悪女と陰気な悪女があるようだ。陽気な悪女には美人が多い。
 アンドリュウ・ガープの「ヒルダよ眠れ」のヒロインなどは陰険な悪女の典型だが、男にとっては陽気な悪女のほうが魅力なのは当然だろう。しかし、どちらも男を破滅させる危険な存在だからミステリーの中でだけ会うようにした方が無難ですね。


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